致命傷を負ったが松永嵐山は2日間生きていたことになる。
生前から何事にも律儀だった嵐山は、倒れるときに手に掛かって落ちた日めくりを息絶える日まで破り取っていたのである。
発見が一足早ければと悔やまれてならない。日めくりは今日の日付になっていた。
もう一つ悔やまれるのは、昨今の刑事・探偵ドラマなどで大流行のダイイングメッセージを残していなかったこと。嵐山が日めくりを破り取ったのは腕時計を見ながらだったと考えられるが、その余力を言語でのメッセージに使ってほしかった。
だが、敢えてしなかった線もやはりある。日めくり以外はそのままにし、死亡原因を究明しやすくしようという意志があったようにも考えられる。

だが、解剖の結果はほとんど即死と出た。ということは、嵐山が二日生きていたように見せかけた者がいることになる。
もう一度、近親者や近隣住民、通行者の聞き込みをやり直さなければならない。