
霞ヶ関の官僚たちが使う「霞ヶ関文学」 というものがありますが、これは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術を揶揄したもので、 文章表現を微妙に書き換えることで、別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなどを狙った言葉の使い方で、 この「言葉」を通じて霞ヶ関の官僚は政治をコントロールしているのです。例えば、特殊な用語の挿入や「てにをは」一つ、 それから、 句読点の打ち方一つで、法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能で、 若手の官僚は、入省後約10年かけてこのノウハウを徹底的に叩きこまれると言います。そして、この手法は、あまりにも独特なものであるため、政治家でも見抜けないものが多いとも言われています。例えば、「民営化」という言葉を例にすると、「完全民営化」 と 「完全に民営化」とでは、霞ヶ関文学では全く別のことを意味し、「完全民営化」は、株式と経営が民間企業に譲渡される、文字通りの民営化を指し、「完全に民営化」は、法律上3パターンほどある民営化のどれか一つを「完全」に実現すれば良いという意味になるのです。つまり、「完全に民営化」では、政府の関与が残る民間法人化や特殊法人化でも良いことになる、というのです。しかも霞ヶ関では、それが、こじつけ等ではなく、ごく当たり前だと言います。上記のように、「に」の一文字を付け加えるだけで、意味がガラリと変わるのです。他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えることで意味が変わったり、 単語の後に 「等」をつけることで、事実上何でも入れられるようにしてしまうのです。この「霞ヶ関文学」は、それを熟知した官僚か元官僚にしか見破ることができず、そうしたノウハウを熟知した上で官僚を使いこなせる閣僚がいない為、官僚に取り込まれて、間違った政治主導になっているのです。要するに官僚の言葉で書いてある、どうにでも解釈できる内容の文書が 「霞ヶ関文学」であり、この手法を使い、裏で閣僚を操っているのが霞ヶ関の官僚なのです。