美術作家 肥沼義幸の制作日記 -981ページ目

画家と創造

日本から本を送ってもらいました。

最近、無性に本が読みたくなる瞬間があって

寝る前に同時進行で4冊の本を読んでいます。



美術作家 肥沼義幸の制作日記


左上から右回りで


「見えない音、聴こえない絵」 大竹伸朗 新潮社

「恥の美学」 秋山祐徳太使  芸術新聞社

「横尾忠則の画家の日記」 横尾忠則 

アートダイジェスト

「インドへ」 横尾忠則 文春文庫

                   


小説でも良かったのですが、この4冊はすべて

画家、芸術家のエッセイ集、日記です。

その中で、昨夜「見えない音、聴こえない絵」

大竹伸朗さんの本を読み終わりました。


3年前、大竹伸朗さんの現代美術館の展示「全景」

観ていたので、3年間の準備期間のエピソード

や過去の思い出などなど、大変読んでいて刺激

になりました。2000点を展示するという大胆な

発想の元には、尽きることのない制作に対する

思い。描かなければならない、どうにも抑える事が

できない創造への衝動。


僕も今年はアムスに来て、よ~しやるぞ!!

と制作を始め10か月で油彩、アクリル、木炭の

ドローイング、セラミック、版画などなど、全ての作品を

合わせて約150点を制作してきましたが、大竹さんの

本を読むと「全景」の展示風景を思い出し、まだまだ

やれるぞ~と改めて気持ちが引き締まりました。


本のタイトルになっている「見えない音、聴こえない

絵」の意味。「見えないと絵はできないのか?」

そんな疑問がずっとあった。「人がモノを見て絵を制作

すること」とは一体なんだったのか?人が無条件に

信じ込む「見ること」と「絵」の間には一体何が横たわ

っているのか?

中途半端に「見て」作られた絵より徹底的に「見ず」に

完成したものの方が、やはり「ナニカ」に届く、予想が

確信に近づいた思いがした。


僕も絵を描いていると同じような事を思う事がある。

四角いキャンバスという限定された紙やキャンバス

に何を描くのか?それは時に無限に続く「宇宙」のよう

感じる時がある。今日もまた1枚でもいい絵が描け

たらいいなぁと空に願う。