Rijksakademie 2年間の滞在を振り返って② | 美術作家 肥沼義幸の制作日記

Rijksakademie 2年間の滞在を振り返って②


美術作家 肥沼義幸の制作日記



ライクス・アカデミーでは、アポイントメントを取れば1時間程

アドバイザーがスタジオに来てくれ、じっくりと話す事ができ

ます。


アドバイザーは作家だけに限らず、評論家、キュレーター

生物学者、哲学者など様々な分野の方がいる。


2年前、あるEXレジデンシーのアーティストがこう言った。


「 いいかい。作家のアドバイザーとはアポイントを取らず

に、キュレーターのみアポを取るべきだよ。なぜなら、作家

というのはそれぞれ違う表現をしているし、意見も違う。

たびたび違う意見を言われたら混乱してしまうだろう。

だから、将来のためのコネクションを作るためだけ

キュレーターのみとアポをとるべきだ。」と。


ライクスでの2年間の滞在は、人それぞれ比較的自由に

過ごす事ができる。リサーチを続ける人もいれば、映像

を撮るために頻繁に違う国に行く人もいるし、展示が忙し

くって、なかなかスタジオ来られない人もいる。


僕はこの2年間、全ての時間をリサーチに費やした。

時間が合えば、アドバイザーともアポイントを取った。

確かに、EXレジデンシーの意見も一理あると思ったが、

にとっては、あえて自分を混乱させる事が重要だった。


特に1年目は混乱状態のまま、年末を越した。

実は今でも、その混乱は続いているのかもしれない。

しかし、今感じる最も重要な事は、異国でも絵が描けた

という1つの事実である。


日本では社会記事からインスピレーションを得て絵を

描いてきた。だから、果たして異国で絵が描けるのか

とても不安だった。しかし結果的に、毎日、絵の事を考え

いたように思うのだ。それが解った事が、この2年間の

滞在において1番収穫だった。


また、アドバイザーの意見から、良いと思った

部分は積極的に吸収してしまおうと意識を変えた。

ヨーロッパの絵画の考え方と日本のそれは、昔に比べ

差異が短くなったとはいえ、やはり違う事は確かだ。

せっかくヨーロッパにいるのだから、ここでの文化を貪欲

取り込み、ミクストさせていく。

オープン・マインドな考え方が重要であり、それは作品

にも強く影響を与えた。


ある日本人の方が僕のスタジオに来た時、こう言った。


「昔の肥沼さんの作品の方が、洗練されていないけれど

独特な強いものがあった。ライクスでの滞在が、そんな

部分を消し去り、変えてしまったのかしら。」


「日本に居た頃に描いていた作品の方が、自分と向き

合いながら、メッセージ性のある作品を作っていたん

じゃない。」


確かに、僕はこれらの意見を否定する事はできない。


しかし、「今、昔の画風で描きなさい」と言われたとしたら

100%描けないだろう。なぜなら、僕は今、この瞬間

起こった現実、画面の事件にしか興味がないからだ。

画家が過去の作品に帰れない事は、多くの画家の歴史

みれば分かるだろう。


僕は、これらの意見を忘れずにいようと思う。

いつか日本に帰った時に、ライクスでの経験がより

オープンになった形で役立つと確信しているからだ。