「目覚めてくれ」 | 美術作家 肥沼義幸の制作日記

「目覚めてくれ」

美術作家 肥沼義幸の制作日記



以前もブログに書いたと思うのだけれども、僕は横尾忠則

の文章が好きだ。なので時間があると、横尾氏のブログ

頻繁に拝見させて頂いてる。言葉が水のように溢れ出て

くるようだ。本当にバイタリティーにあふれた方だと思う。


横尾氏が1987年に出版された「横尾忠則の画家の日記

1980~1987」(アート・ダイジェスト)を昨年から何度も読み

返している。日本の本がこちらでは手に入らないので

一冊の本を読み返す習慣が付いてしまった。


本書の中で、僕は特に1985年1月6日、1月7日の日記が

好きである。


1985年1月6日


「 目が覚めると、また苦しい一日が待っているかと思う

とぞっとする。思うように描けない時は人生まで暗くなる。

何ひとつ確かなものがない。非存在!「天の岩戸」を

いじる。いじっっても変わり映えがしない。もっと別の描き

方ができたのではないかと考える。それにしても一向に

ゴールがやってこないのだ。ゴールに飛び込もうとは思

わないが、せめてゴールが見えるところまでいきたい。

世界一下手くそな画家がいるとすれば、それは自分な

のではないかと思えるくらいの自信喪失だ。もともと

不安のかたまりから出発しているので、自信など縁遠

いものだ。絵画は悟りと同質のものだ。「存在」そのもの。

自分の中に眠る未開人に『目覚めてくれ』と呼びかけ

たくなる。」



明確なビジョンをもって制作したり、コンセプチュアルな

作品にも好きなものはあるが、そういう作品は先が見え

しまう部分があると思う。


自分にとって絵を描く事。日々の制作自己との会話の

ようなものであり、時にそれは苦痛を伴う。

しかし、結果的に良くできたものを見返した時、

いつも自分の中に眠る未開人が画面上に現れる瞬間が

あり(それはもう逃す事は頻繁にある)、何か得体の知れ

ないものが画上にぐぐっと出来てた時は至福の時間を

味わう事ができる。次の日にはそんな快感は忘れてし

っているのだけれども、新しい作品を生み出すために

忘れる事こそが重要なのだ。