【悲報】人類は“漠然と始まった”第5次世界大戦の真っ只中に…【前半】
画像は「The Paul Solomon Foundation」より引用
■なぜ一般のイスラム教徒から決起する若者が相次ぎ始めたのか?
今にして思えば、結果としてポール・ソロモン氏の予言は的中したのかもしれませんが、ただし、「イスラム教圏の人々が世界的な銀行・経済システムからシャットアウトされている事態に不満を募らせて決起する」という類いの説明は、いかにも欧米人的な無知と無神経さに彩られていたと評しても過言ではありません。彼ほどの人物ですから、悪意のない無意識的な過ちでしょうけれども。ただし、偏見ということに関していえば、「若者が過激派に洗脳されてテロや戦闘に向かっている」という固定観念に囚われがちな日本人も五十歩百歩でしょう。
むろん、そのような側面はありますが、明らかに、それですべての説明がつくほど単純な話ではありません。そもそも、「自分は死んでもいいから敵に一矢報いたい」と覚悟を決めるのは、よほどのことです。それは人間として「最後の手段」なのです。一体誰が、彼らをここまで追い詰めているのでしょうか。当然、彼らを取り巻く様々な社会的要因もあるでしょう。たとえば、非民主的な政治や教育システムなどです。近代化の遅れと多くの社会問題に関しては、彼ら自身も責任を負わねばなりません。ですが、いまだに止むことのない欧米の犯罪的行為にも責任があることは事実ではないでしょうか。
■長年イスラム教徒たちが溜め込んできた「負の想念」
この問題を考える時、長期にわたる両文明間の関係にまで視野を広げることは重要ですが、とりあえず19世紀の帝国主義時代まで遡れば足りると思われます。今もイスラム教徒の間には、オスマン帝国衰退から現代に至る1世紀半もの屈辱と挫折の記憶があります。ただし、私はその怨念に拍車をかけたのがむしろ「戦後」だと考えています。
一つは、イスラエルの犯人道的行為と、それを容認してきた欧米の偽善や二重基準です。もともと同国は、シオニストのテロ組織がアラブ人の村々を襲撃し、人々を脅かし、追い払うことで建国されました。そのテロリストたちがそのままイスラエルの初期の政治家や軍幹部にスライドした格好です。だから、パレスチナ自治区に対して、現代史的にも稀に見るほど残酷な異民族統治を続けてきました。これに対して欧米諸国の政府と主要メディアがどんな態度を取り続けてきたのかは、ご想像の通りです。まさに「アラブ人だから」とか「イスラム教徒だから」といった差別的な理由で、軽く扱われてきたのが事実です。
もう一つは、ここ数十年の出来事です。とりわけ、「9・11」後に始まった対テロ戦争が“駄目押し”になったというのが私の推測です。このテロ事件は、今にして思えば、ビン・ラディンというサクラを使った「ヤラセ」だった可能性が高い。ところが、アメリカとその同盟国が、そうやって無理矢理に「敵」をでっち上げ、空爆や地上戦で何十万もの人々を虐殺しているうちに、半ば虚構だったものが現実化していったと私は考えます。
一般市民が次々と犠牲になる中で、まさに“普通の”イスラム教徒たちは強い負の想念に捕らわれ始めたに違いありません。「なんで欧米人が安楽を貪っている中で、我々だけがこんな酷い仕打ちを受けなければならないのか。どうして国際社会とやらは、これほどまでに不公平で、われわれの感情と犠牲に対して鈍感なのか」と。
彼らは長年にわたって、いわば「恨み」や「呪い」といった負の想念を潜在意識下に抑圧し続けてきました。世界で頻発するテロ事件は、ここへ来てそれが大噴火し始めたのではないでしょうか。しかも、何の目的かはともかく、その状況に欧米の諜報機関がつけ込んで、さらに火に油を注いでいるというのが事の真相のように思われます。