18_80 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 / 大航海時代

大航海時代(コロンブス・マゼラン・価格革命・商業革命など) 受験対策問題 56

著者名: レキシントン
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大航海時代で押さえておきたいポイント


※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。 
 

インド航路の探索


・十字軍以降、東方との交流が活発となり、多くの通商路が開拓され、東方貿易(レヴァント貿易)により、香辛料・絹織物・宝石など、さまざまな富がヨーロッパにもたらされた。こうした時代に、ヴェネツィア商人で旅行家のマルコ=ポーロは、元のフビライ=ハンに仕え、ジェノヴァに帰国後、『世界の記述(東方見聞録)』を口述した。 この中には黄金の国ジパング(日本)の記述もあり、ヨーロッパ人がアジア来航を望むきっかけとなった。 

・アジアへの新航路をつくる先駆けとなったのが、ポルトガルスペインといった新興国であった。ポルトガルのエンリケ航海王子は、アゾレス諸島ヴェルデ岬を発見し、その後ジョアン2世が航海者バルトロメウ=ディアスを派遣し、この王の治世に、喜望峰の発見や、トルデシリャス条約の締結が行われた。 

1497年、マヌエル1世の命でヴァスコ=ダ=ガマが新航路をもとめてリスボンを出港し、喜望峰をまわってアフリカ東岸のマリンディでイスラーム教徒の水先案内人の協力の下、1498年にカリカットに到着した。これにより、インド航路が開拓され、オスマン帝国を経由しない交易路が成立した。インドと直接交易することにより、リスボンの香辛料の値段はヴェネツィアの半額となり、アジア交易は地中海交易路からインド航路に移っていった。 

・第2次インド航路開拓はカブラルによって行われた。1509年にディヴ沖海戦アルメイダ率いるポルトガル艦隊がマムルーク朝エジプトとヴェネツィアを撃破し、その後ポルトガルのインド総督アルブケルケが、1510年ゴア、1511年マラッカ、1515年ホルムズなど、交易の重要拠点を占領した。また、1517年にコロンボ、1557年にマカオを支配し、1543年には日本の種子島に漂着している。 
 

アメリカ大陸・太平洋航路への到達


・フィレンツェの地理学者トスカネリが唱えた地球球体説は、航海者コロンブスに大きな影響を与えた。コロンブスはスペイン女王イサベル(イザベラ)の援助を受け、サンタ=マリア号を旗艦とした船団を組織し、スペイン西南のパロスを出港、1492年に西インド諸島サンサルバドルに上陸し、新大陸に到達した。 

・新大陸への到達により、スペインはローマ教皇アレクサンデル6世に要請し、ヴェルデ岬西方560kmの子午線より西側をスペイン領とする教書を得たが、ポルトガルが反対したため、教皇子午線を150km西方へ移動させ、1494トルデシリャス条約をむすんだ。また、1529年にはスペインがモルッカ諸島をポルトガルに売却し、サラゴサ条約が結ばれ、太平洋の領土が確定した。 

・コロンブスの航海と同時期、イギリス王ヘンリ7世の援助を受けたカボット父子の北米沿岸探検や、ポルトガル提督カブラルによるブラジル発見、フィレンツェ出身のアメリゴ=ヴェスプッチによる新大陸調査、スペインのバルボアによるパナマ地峡横断など、さまざまな探検がおこなわれた。なお、新大陸はその確認者アメリゴ=ヴェスプッチにちなみ、1507年ドイツの地理学者ヴァルトゼーミュラーによりアメリカと名付けられた。 

・ポルトガル人の航海者マゼランは、ポルトガルからスペインに移り、カルロス1世の援助を受け、世界周航の旅に出た。南アメリカ南端のマゼラン海峡を越え、太平洋、その後1521年東南アジアに到達し、皇太子フェリペにちなんでフィリピンと命名した。1565年に総督レガスピが領有を宣言し、1898年までスペイン領となった。マゼランはその後マクタン島の王ラプラプに殺害されたが、その部下が1522年にパロスに帰着し、地球球体説が実証された。 
 

アメリカ大陸の文明と征服活動


・南北アメリカ大陸には、古代以来独自の文明が発達していた。メキシコ高原から中央アメリカ一帯の文明をメソアメリカ文明といい、テオティワカン文明(紀元前2〜6世紀)、マヤ文明(6〜14世紀)、アステカ文明(12世紀頃〜16世紀)などが栄えていた。また、南北アンデスにはアンデス文明が栄え、キープという十進法が用いられていたインカ帝国という巨大帝国が存在していた。 

・コロンブスをはじめとするコンキスタドールと呼ばれる征服者たちは、キリスト教布教の名のもとに侵略を行った。コンキスタドールのコルテスは、1519年にユカタン半島に上陸し、1521年に都テノチティトランを占領後アステカ王国を滅ぼし、メキシコを征服した。また、ピサロはカルロス1世の援助を受け1533年にインカ帝国を滅ぼし、ペルーを征服した。 
 

新大陸の植民地経営


・スペインは西インド諸島でプランテーションによる大規模経営をはじめ、砂糖生産が盛んになった。また、メキシコ・ペルーの征服により、金銀財宝が大量に本国スペインにもたらされ、更に1545年にボリビアのポトシ銀山が発見されると、大量の銀が銀船隊によりヨーロッパにもたらされた。大量の銀がヨーロッパにもたらされたことにより、物価が高騰し、南ドイツの銀山を経営していたフッガー家や、ヴェネツィアなどイタリア商人は急速に没落していった。これを価格革命という。 

・スペインがメキシコのアカプルコを起点とした貿易をアカプルコ貿易といい、ガレオン船をもちいてフィリピンのマニラを中継地として中国と取引した。 

・新大陸では黒人奴隷が大量に酷使され、アシエント(奴隷供給契約)がスペイン政府と奴隷商人の間に結ばれた。また、土地制度では当初エンコミエンダ制が取られたが、先住民インディオが過酷な労働で激減したため、アシエンダ制に変わっていった。こうしたインディオの状況は、スペインのドミニコ派修道士ラス=カサスが書いた『インディアスの破壊についての簡潔な報告』などスペイン国王に報告された。 
 

商業革命と価格革命


・大航海時代になり、商品の種類や量が劇的に増え、商圏が地球規模に拡大し、商業革命がおこった。また、リスボンアムステルダムアントワープなど、新しい都市が成立していった。 

・新大陸からもたらされた大量の銀は、価格革命を起こし、銀貨の下落と物価の高騰を招いた。これは貨幣地代に依存していた領主にも大きな打撃となり、ヨーロッパ社会が大きく変化するきっかけとなった。また他方でグーツヘルシャフト再販農奴制が盛んとなった。 

・この時代以降、地球規模での分業体制が成立し、この様子を「中核」と「周辺」からなる「近代世界システム」と表現したのが、後世のアメリカの歴史家ウォーラーステインである。 
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