チューレ空軍基地米軍機墜落事故 Ⅱ【前半】未回収の爆弾 余波 クロームドーム作戦 武器安全性 

 

作業員の賠償請求

放射能汚染のモニターチェックを行うポンプ作業員。プロジェクト・クレステッドアイスにて。

除去作業に関わったデンマークの作業員は被曝により長期にわたる健康障害が発生していると主張した。彼らはキャンプ・ハンジカーで作業していたのではなかったが、汚染された氷が集積されたタンク・ファームや汚染された残骸が船積みされた港で作業し、除去作業で使われた車両の修理を行っていた[71]。また、現地の大気から被曝した可能性もあった[71]。多くの作業員は、プロジェクト・クレステッドアイスの健康問題が報告された後の数年間検査を受けた。1995年の調査では、1,500名のサンプルのうち410名が癌で死亡していた[72]

1986年、デンマーク首相ポウル・スリュタは、生存している作業員の放射線検査を委託した。デンマーク臨床疫学研究所は11か月後、プロジェクト・クレステッドアイスの作業員の癌発症率は、プロジェクト以前および以後に基地を訪れた作業員に比べ40%高いと言う結論を出した。また、作業員の癌罹患率が、一般の人に比べ50%高いことも明らかにしたが、被曝が原因とはしなかった[40]

1987年、ほぼ200名の除去作業員がアメリカを相手取り訴訟を起こした。この訴訟は成功しなかったが、結果的に数百の機密文書が公開されることとなった。それら文書によって、デンマークの作業員よりも多く被曝していると思われるアメリカ空軍の除去作業に関与した人々が、その後の健康問題について調査されていないことが明らかにされた[40]。アメリカはそれ以降それら作業員に対し定期検診を実施した[73]。1997年、デンマーク政府は1,700名の作業員に対し、一人当たり50,000デンマーク・クローネ(2009年時点で60,000クローネ相当)の賠償金を支払った[74]

2000年にデンマーク政府に対して調査を開始するよう欧州司法裁判所命令が下され[75]、さらに2007年5月に欧州議会が同様の命令を決議をしたにもかかわらず、デンマーク作業員の健康は定期的に検査されることはなかった[73][76]。2008年にチューレ元作業員協会は欧州司法裁判所に提訴した。原告は、デンマーク政府が先の判決への対応を怠ったことが、彼らの病気の発見の遅れにつながり、予後の悪化を招いたと主張した。デンマークは1973年に欧州原子力共同体に加盟しており、従って1968年の事案についてヨーロッパの条約に束縛されず、「事故が発生したときデンマークは加盟国ではなく、従ってその時点での共同体法に束縛されると考えることはできない。デンマークの作業員と事故の影響を受けたと思われる人民に対する義務は、国内法からのみ生じる[77]」とされた。

デンマーク政府は、事故と長期にわたる健康問題との関係を否定した。デンマーク国立放射線防護研究所のカール・ウルバク博士は、「私たちは癌の事故や癌の死亡率に関する非常に優れた記録を所有しており、そして徹底的に調査を行った」と語った[75]。作業員たちは、証拠の欠如が、適切な医学モニタリングの不足に起因していると語った。2008年11月、この訴訟は不成功に終わった[75]

科学的研究

放射能汚染は、主に現地のイヌイットが食料源として依存する海洋環境で発生した。放射性残骸は少なくとも2つの「ソースターム」[注釈 10]からなっており、兵器の核反応物質は、ほとんどがウラン235プルトニウム239のおよそ4倍の量)だった。現地の科学的監視が、1968、1970、1974、1979、1984、1991、1997、および2003年と定期的に行われた[78][79]

1997年、デンマークとフィンランドの科学者を中心とした国際派遣団が、ノーススター湾での包括的な堆積物サンプリングプログラムを実施し[14]、主に以下のような結論が出された:

  • プルトニウムは堆積物から沿海の海面に浸出していない。
  • 残骸は生物活動の結果、堆積物の非常に奥深くに埋没した。
  • プルトニウムの深海生物相への転移は少ない。

別の調査では、ウラニウムが、プルトニウムやアメリシウムより速く汚染された残骸から浸出していることを示していた[14]。2003年に実施された調査では、「チューレの海洋環境におけるプルトニウムの人への危険性はほとんどない。大部分のプルトニウムは、人から遠く離れた、バイロット湾(ノーススター湾)の海底に比較的安定した状況下で残留しており、海水や動物の体内のプルトニウム濃度は低い。しかし、Narssârssukの表層土のプルトニウム汚染は、その放射性粒子が空中に再懸濁した場合に、現地を訪れた人がそれを吸入することで少々のリスクになりうる[80]」としている。2003年、2007年、および2008年に、最初の地表のサンプルがRisø国立研究所によって採取された — 調査結果は2009年に発表されることになっている。

証拠と未確認の爆弾の再調査

デンマーク外務省は、BBCが2001年に情報公開法に基づき取得した348件の文書を再調査した。2009年1月、外務大臣ペア・スティ・ムラーは、348件の文書にチューレに残存する核兵器についての新しい情報があるかどうか確認するため、デンマーク国際研究所(DIIS)による、348件の文書と1994年にエネルギー省から公開された317件の文書との比較研究を委嘱した[83]

注釈

  1. ^ バイロット湾(入り江)とも呼ばれる。
  2. ^ 当時はまだ衛星による監視および確認は行えなかった。
  3. ^ 訳注: この時期、現地は極夜である。
  4. ^ いくつかのソースでは、その地域はより正確にはウォルステンホルム・フィヨルドであるとしている。 (Project Crested Ice: The Thule Incident, p. 7)
  5. ^ 訳注: アメリカ唯一の、核兵器組み立ておよび解体工場。
  6. ^ 訳注: アメリカの核物質処理センター。
  7. ^ 「プライマリ」(第1段階)と「セカンダリ」(第2段階)については水素爆弾およびテラー・ウラム型を参照。
  8. ^ 訳注: 「Not for Release to Foreign Nationals」(他国への開示禁止)を意味する。
  9. ^ Dansk Udenrigspolitisk Institutの略。
  10. ^ 放射能汚染を伴う核関連事故が発生した際に、それらの環境への影響を評価するには、核分裂生成物の種類、化学形、放出量を明らかにする必要があり、これらを総称してソースタームと呼ぶ(緊急被ばく医療のための用語集原子力安全研究協会)。

出典