地震の年表 (日本) Ⅳ【内】17世紀江戸時代~18世紀 | V:理衒C2WkWk纒人工地震津波核予報
17世紀
江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)
17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6 クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[70] 。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震 (南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8 、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人 と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震 - 津波で50人死亡[71] [注 11] 。
1611年
9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人 。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1 (Mw >8.5 )。十勝・根室沖のM 9クラスとする説がある。一方、東北地方太平洋側 [注 12] で繰り返し発生していると推定されるM 9クラスの地震の候補ともされる [43] [注 13] [72] 。 伊達領 で大津波による死者約2,000〜5,000人 。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日 ) 高田領大地震 - M 7.7。震源は直江津 沖。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあるが疑わしい[73] 、京都で寺社・民家が多数壊れ[注 14] 死者も出たことから、震源が京都沖の局所的な地震とする見解もある[74] 。同日に、伊豆と小田原と広い範囲で有感。津波が発生し千葉県銚子市の飯沼観音 の境内まで到達したとの記録がある[注 15] 。池上本門寺 五重塔 が傾く[注 16] 。
1615年6月26日(慶長20年6月1日) 相模・江戸で地震 - M 6 1 ⁄4 〜3 ⁄4 、小田原、江戸で被害。
1616年9月9日(元和2年7月28日) 宮城県沖地震 - M 7.0、仙台城が破損。三陸地方 大津波。
1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M 6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本で地震 - M 5〜6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 ※ - M 6.0±1 ⁄2 、死者多数。ただし、宝永地震 を転記した際に生じた誤り[75] との説がある。
1628年8月10日 (寛永5年7月11日 ) 江戸で大きな地震があり、江戸城 の石垣が壊れた - M 6.0。
1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震 (相模・駿河・伊豆地震) - M 7.1あるいはM 7.0±1 ⁄4 、小田原で大きな被害を出し死者110〜150人。駿河・熱海に津波。
1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M 6.0前後、大きな被害。
同日に 蝦夷 で強震(『福山秘府』)。上記17世紀前半の津波堆積物を1611年とする説がある一方で、1635年とする説もある[70] [76] 。
1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震 (石川県加賀市) - M 6 1 ⁄4 〜3 ⁄4 、死者多数[注 17] 。
1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後 本荘 - M 6.5±1 ⁄4 、象潟 で津波死者117名。本荘城廊大破。
1646年6月9日(正保 3年4月26日)M7.6,仙台城の石壁100m以上崩れ、3階の陣櫓3基倒れ。白石城 の石壁・櫓破損[77]
1647年6月16日(正保4年5月14日) 丹沢で地震 - M 6.5±1 ⁄4 、江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城 に大きな被害。
1648年6月13日(慶安 元年4月22日)相模・江戸で地震 - M 7.0程度。小田原城破損、箱根で落石、死者1名。ただし、江戸での被害疑問とする見解もある[78] 。
1649年
3月17日(慶安2年2月5日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0±1 ⁄4 。松山城、宇和島城 の石垣や塀が崩れる。
7月30日(慶安2年6月21日) 慶安武蔵地震 - M 7.1あるいはM7.0±1 ⁄4 、武蔵・下野で地震。死者多数。
9月1日(慶安2年7月25日) 武蔵で地震 - M 6.4程度。川崎宿で大きな被害。
1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 - 千葉県で津波の記録あり。
1659年4月21日(万治 2年2月30日) 会津 で地震 - M 6 3 ⁄4 〜7.0、死者多数。
1662年
6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震 (寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震 ) - M 7 1 ⁄4 〜7.6、死者数千人 。京都の大仏殿 小破。小浜 で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震 (日向・大隅地震) - M 7 1 ⁄2 〜7 3 ⁄4 又はM 7.2〜7.5[79] 、死者多数。
1664年(尚質王 17年) 琉球鳥島 で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[80] 。
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M 6 3 ⁄4 前後、死者1,400〜1,500人 。
1670年6月22日(寛文10年5月5日) 越後村上地震 - M 6 3 ⁄4 前後、死者13人、江戸でも有感。
1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M 7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[81] 。
1676年7月12日(延宝4年6月2日) 津和野地震 - M 6.5前後、津和野城 の石垣が崩れ、領内で潰家133、死者7人。
1677年
4月13日(延宝5年3月12日) 延宝八戸沖地震 - 陸奥 、陸中 、八戸沖(青森県東方沖)で地震 - M 7 1 ⁄4 〜8.0 、津波あり、三陸沖北部の固有地震[82] 。
11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震 (延宝地震) - M 8.0 前後(Mw 8.5 )、死者500〜600人。福島県〜千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害[83] )。
1678年10月2日(延宝6年8月17日) 宮城県北部沖で地震 - M 7.5前後、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日) 日光地震 - 栃木県北部、日光付近で群発地震。規模の大きなものは、6月17日にM 6.0〜6.5、6月18日にM 6.5〜7.0、10月20日にM 7.0±1 ⁄4 の地震が発生。10月20日の地震では、五十里村で生じた山崩れが川を塞いだために湖が生じた。関谷断層 で発生した可能性が指摘されている[84] 。
1686年
1月4日(貞享2年12月10日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0〜7.4、広島県中西部を中心に被害、死者有り。
10月3日(貞享3年8月16日) 遠江・三河地震 - M 7.0±1 ⁄4 又はM 6.6〜6.7[85] 、死者多数。
1694年6月19日(元禄7年5月27日) 能代地震 - M 7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
1696年11月25日(元禄9年11月1日) - M 6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[86] 。地震記事は未確認[71] 。
1700年4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M 7.3、石垣・家屋倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[87] 。
18世紀
1703年
12月31日(元禄16年11月23日) 元禄地震 (元禄関東地震) - M 8.1〜8.2 (Mw 8.1〜8.5 [88] )、関東南部に津波。死者6,700人 、潰家、流家約28000軒(『 楽只堂年録 』)(死者20万人とも『 鸚鵡籠中記 』)。
同日、豊後で地震 - M 6.5±1 ⁄4 、元禄地震とほぼ同刻に発生。府内領 で潰家273軒、死者1人、由布院でも潰家。
1704年5月27日(宝永元年4月24日) 羽後・陸奥 で地震 - M 7.0±1 ⁄4 、野代(現能代市 周辺)の被害大。死者58人。十二湖 を生じた。
1705年5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山 付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城 の石垣が破損。
1707年
10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震 (南海トラフ全域が震源域) - M 8.4〜8.6 (Mw 8.7 [89] 〜9.3 [90] [91] )、死者4,900〜2万人以上 、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、 東海道 宿場町・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・ 土佐 などで大きな被害(『楽只堂年録』)。地震から49日後に 富士山 の宝永大噴火。 道後温泉 の湧出が数か月間止まる。
10月29日(宝永4年10月5日) 宝永富士宮地震 - 富士宮で地震、M 7.0、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社 および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[92] 。
11月21日(宝永4年10月28日) 周防・長門で地震 - M 5.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。
1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M 7クラス[93] 、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川 堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。
1710年10月3日(宝永7年閏8月11日) 因伯美地震 - M 6.5程度、山崩れなど。死者多数。
1711年3月19日(宝永8年2月1日) 伯耆・美作で地震 - M 6 1 ⁄4 、大山で山崩れ、伯耆・美作で潰家、死者4人。鳥取地震 の起り方に似る[14] 。
1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃 北西部で地震、M 6 1 ⁄4 、山崩れなど。死者56人。
1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M 6.5〜7.0。
1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M 7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1718年8月22日(享保3年7月26日) 三河 、伊那遠山谷で地震 - M 7.0、遠山川の河道閉塞が後日決壊し、死者50人。
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M 6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M 6.0〜6.5、諏訪高島城 の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登半島 で地震 - M 6.6〜7、死者少なくとも5人。
1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸 沖で地震 - M 7.3、津波で船の流失あり。
1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県 南部で地震 - M 6.5、死者数名、家屋が倒壊。
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4 )、死者2,033人 。北海道西南沖の大島 で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人 。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡島北方沖で地震 - M 7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M 7.4〜7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[82] 。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M 7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[82] 。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M 7.0。宝暦八戸沖地震の余震[82] 。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M 6.9あるいはM 7 1 ⁄4 ±1 ⁄4 、弘前城損壊など。死者約1,500人 。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M 7 1 ⁄4 ±1 ⁄4 、M 7.2[79] 又はM 7.4[85] 、大分城で被害多く、熊本領内でも被害有り。津波有り。
1771年4月24日 (明和8年3月10日) 八重山地震 (明和の大津波) - M 7.4〜8.0 (Mt 8.5 , Mw 8.7 [94] )、死者約12,000人 。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房 まで津波の到達と記録あり。
1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M 6.8〜7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性有り。
1780年7月30日 (安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M 6.5〜7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M 7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
1786年3月22日〜3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[95] 。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M 7.0±0.1、土佐室津に津波。
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県 島原半島 で雲仙 普賢岳 の噴火が起こり、眉山の山体崩壊 による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M 6.4±0.2、死者約15,000人 。
5月24日(寛政4年4月4日) 寿都湾 沖合で地震 - M 7.1、小樽 から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[96] 。
6月13日(寛政4年4月24日) 北海道後志で地震 - M ≒ 7.1又はM 7.3[97] 。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震 (鯵ヶ沢地震) - M 6.9〜7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震 (連動型宮城県沖地震 ) - M 8.0〜8.4 、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M 6.0±1 ⁄4 又はM 6.7[97] 。金沢などで地震。640人死亡、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
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