ジンクス Ⅰ【前半】目次 日本のジンクス 政治 経済 天候…
野球
- 「投手は点を取った回とその次の回に気をつけろ」 - 味方チームに点が入った回は油断してその回と次のイニングに点が入る、チャンスが出る事が多い[要出典]。
- ラッキーセブン - 7回の攻撃で得点が入りやすいこと。- これは試合の終盤に入り先発投手の疲れが見え始める為と言われることがある。
- 代わった所に打球が飛ぶ - 交代した直後の選手の所に球が飛ぶ。著名な例では、1996年夏・第78回選手権大会決勝戦の奇跡のバックホームなどが有る。
- スミ1 - 1回の表か裏に1点が入って、その後膠着状態となるような試合展開のこと。1点を追う側にとっては、その1点が結局決勝点になってしまうという意味で、守る側からすると結局その1点しか取れないという意味で、双方から不吉とされる。
- 会心の当たりは野手のいるところに飛ぶ - もともと野球の野手の守備位置は、打球の飛びやすい場所を考慮してつくられたものであるから、とも。
- ピンチの後にチャンスあり(あるいはその逆) - チャンスを得点につなげられなかった失意やプレッシャーが守備のミスを生みやすく、ピンチをファインプレーなどで切り抜けたことが攻撃の勢いにつながるからとも。似たようなものに、「無死満塁は(1アウトを取られると)点が入らない」というものがある。これは、無死で迎えた打者の「無死満塁ならどうやっても(安打や犠飛、最悪でも併殺打)点が入るだろう」という期待、一死を取られた後に打席に立つ打者の「併殺打を打ってしまうとチャンスが潰れてしまう」という圧力、二死満塁の場合は「安打でなければ点が入らない」という状況によるものだと言われている。ただ、後述の分析結果によると錯覚に過ぎないとされている[要出典]。
- 野球は9回二死から - ツーアウトと追い詰められた後、思いがけない連打や得点機の生まれること。逆転のPL、サヨナラゲーム#最終回二死から9点差を逆転しサヨナラ、第91回選手権大会決勝戦などを参照。
- この派生で、9回二死3ストライクからというシーンもあり、これは3ストライク目のボールを捕手が完全捕球せず、それによる振り逃げで得点を許すことを指す。振り逃げ#阪神 対 広島などを参照。
- 三振前の大当たり(三振前の大ファウル) - ホームラン性の大当たり(ポール際へのファウル)を打った後は三振になりやすい[要出典]。
- 打ち疲れ - 大量得点差で勝った次の試合は大量失点・無得点で負ける[要出典]。
- 「あと1人」の悲劇 - 先発投手が9回2/3で相手打者に初安打を許し、完全試合やノーヒットノーランが完封止まり(いわゆる、一安打完封)になり、最悪の場合同点や逆転を許すことや降板させられて完投までも逃すこともある。また、これらの大記録は放送席で過去の達成例が調べられた直後に途切れることも多い[要出典]。
- この他、「優勝まであと一人(アウト1つ)」としながら最終的に逆転負けを喫した場合も、「『あと1人』の悲劇 」に含まれることがある(1958年の日本シリーズ・1986年のワールドシリーズなど)。
- 『優勝旗は白河の関を越えない』 - 日本の高校野球で言われている、東北地方・北海道勢は優勝できないというジンクス[12]。東北地方・北海道と西日本を比較すると、気温差や積雪の影響で冬場の練習環境に格差があったためと思われる[誰によって?]。だが、2004年夏・第86回選手権大会で、南北海道代表の駒大苫小牧高校の優勝によりこのジンクスは打ち破られ、さらには津軽海峡まで一気に飛び越えた[13]。とはいえ、2015年現在東北勢の優勝はいまだなく、そのため東北では『優勝旗は白河の関を越えていない』とされている[14]。
- 『打線は水物』 - 打線は長く好調を維持できず、不安定であるということ。
なお、加藤英明・名古屋大学大学院教授らが2005年プロ野球公式戦データを基にして取った統計によると、「チャンスを逃すとピンチあり」「大量得点をした次の試合は打てない」は錯覚であるという。「人は印象が強いと、本当は頻繁に起きていないことでも確率が高いと思い込みがちだ。通説にも錯覚がかなりあるのではないか」と加藤は話している[15]。
プロ野球
- 優勝のジンクス
- 前述の中日ドラゴンズの優勝ジンクスは、1954年日本一時の造船疑獄による吉田内閣退陣、1974年優勝時の田中金脈問題による田中内閣退陣、1982年優勝時の鈴木内閣退陣、1988年優勝時のリクルート事件(翌年竹下内閣退陣,昭和天皇崩御)、1999年の(中日が優勝を決めた日に)東海村JCO臨界事故、2004年の新潟県中越地震など古くからささやかれており、メディアで言及されるケースも多い[16]。
- 読売ジャイアンツが優勝した年、またはその翌年は景気が悪くなる[要出典]。
- 阪神タイガースが優勝した年、またはその翌年は景気が良くなる[要出典]。
- 阪神が優勝した年において、日経平均株価が大きく上昇する年が重なっているというもの[要出典]。
ただし、その代わりに大規模な台風や地震が多発したり、大きな戦争が発生する[17]。
- 大型の複数年契約を結ぶと成績が著しく低下する。契約最終年になると成績が向上する。
- 梨田昌孝はチーム監督就任二年目に必ず優勝する。詳しくは本人の項にて
- 球団にまつわるジンクス
- 阪神タイガースは全国高等学校野球選手権大会の開催中は成績が悪くなる。
- →死のロードを参照。
- マーティ・ブラウン監督(元広島東洋カープ・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)が退場すると勝つ[18] が、翌試合は負ける[19]。
- 千葉ロッテマリーンズで選手の応援・記念弁当を作ると、その後故障や成績不振に見舞われる。
- →弁当の呪いを参照。
競馬
- 京都新聞杯が秋に施行されていたころ、日本ダービーを勝ち、かつ京都新聞杯を勝った馬は菊花賞に勝てなかった。1992年のミホノブルボン、1993年のウイニングチケット、1998年のスペシャルウィーク、1999年のアドマイヤベガなどが当てはまる。
- フルゲートが28頭であった時代の日本ダービーでは、8枠の馬は勝てないというジンクスが存在した[要出典]。
- デビュー戦を小倉競馬場で迎えた馬は日本ダービーを勝てないというジンクスが存在した。2005年に小倉でデビューしたメイショウサムソンが翌2006年の日本ダービーを制し、このジンクスは破れた[要出典]。
- 南関東公営競馬の的場文男騎手は東京ダービーに過去27回挑戦し、2着が8回あるものの未勝利で、「南関東の七不思議(のひとつ)」と言われている[20]。
サッカー
- 前田の呪い - 前田遼一がシーズン初ゴールを決めた相手チームは、必ずJ2降格となる。デスゴールなどとも呼ばれる。
- サッカー日本代表で背番号1を付けたゴールキーパーはFIFAワールドカップのピッチに立てない[25]。しかし川島永嗣がこのジンクスを破った[26]。
- 1993年以降に生まれた日本代表選手は「アジアの大会で勝てない世代(どこかで敗退する)」と言われていたが、2016年1月26日、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねたU-23アジア選手権の準決勝でイラクを破って五輪出場を決め[27]、4日後の決勝でも韓国を破って同大会に優勝した[28]。
- ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチが退団したチームは、翌年J2に降格する。これまで所属した大宮アルディージャ、清水エスパルス、名古屋グランパスの3チームは全て降格した。
- 指原莉乃がAKB総選挙で優勝した年に、大分トリニータが降格する。2013年はJ1最下位でJ2降格、2015年はJ221位で町田ゼルビアとのJ2・J3入れ替え戦で敗北し、J3降格。2016年には指原が史上初の2連覇を達成したが、J3の下はないため降格はしなかった。逆にトリニータはJ3を優勝してJ2に昇格した。これにより、指原のジンクスが破れた。因みに指原はトリニータの大ファンであり、J3優勝が決定した際、「トリニータ、すごい!!選手の皆様、サポーターの皆様!おめでとうございます!!!」とつぶやくと、「試合、みにいきたいなあ」と続けた。
- FIFAワールドカップアジア最終予選で、第1節で敗れたチームは本大会に出場できない。
芸能
- 菊地亜美がイベントで同席した女性アイドルグループの特定メンバーについて“この子辞めそうだ”と楽屋で言及すると、名指しされた者は必ず脱退・廃業する(2016年2月現在、既に5件的中)。“デスヴォイス”(正しくはデストーク)と称し、「余りに当たり過ぎて怖いから」とやたらに口にしないようにしているとのこと[29]。
- アール・エフ・ラジオ日本のラジオ日本NEXT枠で番組を持った女性アイドルグループは、担当期間中にメンバーが脱退しまた番組も一期で終わる(東京女子流の小西彩乃、Dream5の玉川桃奈、赤マルダッシュ☆の玉城茉里)。