貨幣史・世界史 Ⅰ【冒頭】目次 概要 貨幣の起源
貨幣の使い分け
前述のように貨幣には4つの機能があり、いずれかに用いられていれば貨幣と見なせる。歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせて用いられてきた[6]。たとえばバビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどが使い分けられた。中国の漢では賜与や贈与の目的や立場に応じて、金、布帛、銅が厳密に使い分けられた[7]。中世の西ヨーロッパはバンク・マネーとも呼ばれる計算用の貨幣を尺度として支払用の複数の貨幣を管理した[8]。日本の江戸時代では石高制のもとで米を価値の尺度として、支払いには主に金、銀、銅を用いた。
身分や性別によって特定の貨幣が使われる場合もある。たとえばロッセル島にはンダップという男性用の貨幣とンコという女性用の貨幣があり、ンダップは23種類、ンコは16種類の異なる価値を備えていた[9]。サモアには女性が生産するトガ財(編みゴザ、ヤシ油等)と男性が生産するオロア財(豚、武器等)があり、交換手段の貨幣が浸透するとオロア財が優先して貨幣で買えるようになった[10]。トロブリアンド諸島では、クラ交易に用いるクラ財は貨幣で買えないが、クラ財と交換できる豚やヤムイモは貨幣で買える。このため、女性や若者など貨幣収入を得やすい者がクラ交易への影響を強めた[11]。また、15世紀から16世紀のメソアメリカでは食物であるカカオが貨幣としても流通し、アステカではカカオの飲食は貴族、戦士、商人などの階級に限られていた[12]。
貨幣と地域
貨幣には地域内での使用と、貿易や地域間の交易での使用があり、内外で異なる貨幣が定められる場合もある。この違いは貨幣が必要となる周期や取引の大小によって決まり、地域内の貨幣は小額面で周期的であり、貿易の貨幣は高額面で非周期的となる。たとえば18世紀のベンガルでは、穀物の先物取引にはルピー銀貨を用い、穀物を地域内の市場で買うには小額取引に適した貝貨が用いられた。さらに、納税と穀物取引では異なるルピー銀貨が用いられた[13]。
マリア・テレジア・ターラー、1780年鋳造
現在では1国1通貨の制度が普及しており、これは後述のように国際金本位制に起源を持つ。それ以前は、貿易用の貨幣は発行者の国を超えて複数の国や地域で用いられた。たとえば古代ギリシアのドラクマ、中世イスラーム世界のディナールやディルハム、中国の宋銭、貿易銀と呼ばれるラテンアメリカのメキシコドルやオーストリアのマリア・テレジア銀貨がそれにあたる[14]。
1国1通貨の制度が普及する以前は、地域内で用いられる地域通貨も多数存在した。たとえば穀物や家畜を用いた各地の物品貨幣や、日本の伊勢神宮の所領を中心とした山田羽書、中国の民間紙幣である銭票などが知られている。地域通貨が政府や民間業者の保証なしに流通する場合は、地元で取引される商品の販売可能性によって成り立っていた。
貨幣の発行
貨幣発行益は、古くから政府や造幣者に注目されてきた。発行した貨幣を用いて財や労働を調達できるほか、貨幣の普及により税の徴収が楽になるという利点がある。また、地金の値段よりも額面が高い貨幣を作れば、差額によってさらに利益は大きい。多くの国家で大量の貨幣が発行され、たとえばペルシアのアケメネス朝やローマ帝国では兵士への支払いに硬貨が多用された[15]。貨幣発行益を得るための造幣は、時として貨幣や政府への信用に影響する。たとえば日本の朝廷が発行した皇朝十二銭は、改鋳のたびに目方と質が低下した新貨が出たため、信用の低下につながった[16]。
貨幣を発行する造幣権は基本的に政府や領主に管理され、無断で作る私鋳は厳しく取り締まられた。しかし漢の劉邦は、楚との戦争時に民間の造幣を許可し、半両銭が普及する後押しとなった。許可の理由として、小額貨幣の推進、算賦という銭を納める人頭税の推進、民間造幣業者の大地主や任侠を味方に引き入れるためなどの説がある[17]。緊急時においては短期間で地域通貨が発行され、たとえば泉州での飢饉の際の私鋳銭、銅不足によって作られたアーマダバードの鉄貨、世界恐慌が起きたあとのワシントン州の木片などがある[18]。1685年のフランス領カナダでは、銀貨不足のためにトランプを切って作ったカルタ貨幣(英語版)が通用し、これをアメリカ大陸初の紙幣とする説もある[19]。
金属貨幣の発行には大量の金属を必要とし、鉱山での過酷な採掘も伝えられている。アテナイのラウレイオン銀山は奴隷の労働としてもっとも過酷と言われ、ペルー副王領のポトシ銀山では、インカ時代の賦役をもとにしたミタ制によって先住民が酷使され、多数が命を落とした[20]。