技術的特異点(2045年問題から転送)Ⅱ 2025人
ヴァーナー・ヴィンジ
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ヒューゴ・デ・ガリス
1990年代に遺伝的アルゴリズムの研究で先駆的な業績を挙げ、1994年から2000年まで国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の人間情報処理研究所で10億ニューロンの人工脳を開発するための研究計画に参画したヒューゴ・デ・ガリスは人工知能は急激に発展して、シンギュラリティが21世紀の後半に来ると予測する。その時、人工知能は人間の知能の1兆の1兆倍(10の24乗)になると主張している[9]。
アイディア
アイディアの歴史
技術的特異点のアイディアは少なくとも19世紀半ばまで遡る。 1847年、Primitive Expounder の編集者である R. Thornton は、当時、四則演算可能な機械式計算機が発明されたことに因んで、冗談半分に次のように書いている[10]。
… そのような機械を使えば、学者は精神を酷使することなくただクランクを回すだけで問題の答を捻り出せてしまう訳で、これが学校にでも持ち込まれたなら、それこそ計算不能なほどの弊害を齎すでしょう。いわんや、そのような機械がおおいに発展し、自らの欠陥を正す方策を思いつくこともないまま、人智の理解を超えた概念を捻り出すようになったとしたら!
1951年、アラン・チューリングは人間を知的能力において凌駕する機械について述べている[11]。
機械が思考する方法がひとたび確立したならば、我らの如きひ弱な力はすぐに追い抜いて行くだろう。… 従って何らかの段階で、丁度サミュエル・バトラーがエレホン(en:Erehwon)の中で描いたように、機械が実権を握ることになると考えねばなるまい。
1958年5月、スタニスワフ・ウラムはジョン・フォン・ノイマンとの会話に言及して次のように書いている[12]。
あるとき、進歩が速まる一方の技術と生活様式の変化が話題となり、どうも人類の歴史において何か本質的な特異点が近づきつつあって、それを越えた先では我々が知るような人間生活はもはや持続不可能になるのではないかという話になった。
1965年、統計家 I. J. Good は、人類を超えた知能による世界への影響を強調し、より特異点に迫るシナリオを描いた。
超知的マシンを、いかなる賢い人もはるかに凌ぐ知的なマシンであるとする。そのようなマシンの設計も知的活動に他ならないので、超知的マシンはさらに知的なマシンを設計できるだろう。それによって間違いなく知能の爆発的発展があり、人類は置いていかれるだろう。従って、最初の超知的マシンが人類の最後の発明となる。