火山噴火の歴史 Ⅱ【前半】11世紀 - 18世紀

 
 

19世紀

1801年から1900年まで。

  発生年   火山名   概要
1. 1801年  -  日本の旗鳥海山  -  享和元年8月、噴石により登山者8名死亡[資料 5]
2. 1813年  -  日本の旗諏訪之瀬島  -  文化噴火。
3. 1814年  -  フィリピンの旗マヨン山  -  溶岩がカグサワ英語版)を埋め尽くし死者1,200名以上[41]
4. 1815年  -  インドネシアの旗タンボラ山  -  噴出物1,700億トン、直径6キロメートルのカルデラを形成。火砕流、津波、疫病、飢饉などにより犠牲者数117,000人。

詳細は「夏のない年」を参照

5. 1816年  -  日本の旗阿蘇山  -  文化13年7月、噴石により死者1名[資料 5]
6. 1822年  -  日本の旗有珠山  -  文政5年3月23日、火砕流で山麓の集落が全滅。死者103名、馬1,473頭被害、負傷者多数、集落移転。
7. 1841年  -  日本の旗口永良部島  -  天保12年5月23日、噴火により村落焼亡、犠牲者多数[資料 5]
8. 同年  -  インドネシアの旗ガルングン山  -  火砕流および土石流により死者4,000名以上。
9. 1845年  -  コロンビアの旗ネバドデルルイス火山  -  土石流・洪水により死者1,000名[30]
10. 1846年  -  日本の旗恵山  -  弘化3年11月18日、噴火で発生した泥流により北東側集落で死傷者多数[資料 5]
11. 1854年  -  日本の旗阿蘇山  -  安政元年2月26日、噴火により参拝者3名死亡[資料 5]
12. 1856年  -  日本の旗北海道駒ヶ岳  -  安政3年9月25日、大噴火により火砕流発生[27]。噴石により死者2名、火砕流により19ないし27人の犠牲者[資料 5]VEIは4[27]
13. 同年  -  インドネシアの旗アウ山英語版  -  火砕流により死者2,806名[30]
14. 1871年  -  インドネシアの旗ムラピ山  -  噴火により死者1,400名[29]
15. 1872年  -  日本の旗阿蘇山  -  明治5年12月30日、噴火により硫黄採集者が数名死亡[資料 5]
16. 1874年  -  日本の旗三宅島  -  明治7年7月3日、流出溶岩により家屋45軒が埋没、死者1名[資料 5]
17. 1883年  -  インドネシアの旗クラカタウ  -  8月27日、島が吹き飛ぶ[43]大噴火により噴出した火山灰・岩石・噴煙が上空20,000メートル以上にまで到達、噴火によって発生した津波も含め犠牲者数36,000人以上。
噴火の爆発音は4,600km離れたインド洋上の島にまで達した[43]
18. 1886年  -  ニュージーランドの旗タラウェラ山  -  6月10日零時頃、突然爆発的噴火が発生、午前2時30分までには3つの山頂すべてが噴火を開始し、午前3時20分にはロトマハナ湖の湖底が爆発[45]
湖底の沈殿物で生成されていた観光名所であったピンクテラス、ホワイトテラスは双方とも壊滅し、近隣の村は火砕流に飲み込まれ、100名以上の犠牲者を生んだ[45]
火山灰噴出量は1.5km3を超え、15,000km2以上の範囲に渡って降り注いだ[45]。1707年富士山宝永大噴火と同じく、玄武岩質噴火でプリニー式噴火という非常に特異的な噴火[33]
19. 1888年  -  日本の旗磐梯山  -  明治21年7月15日、山体崩壊を伴う噴火により土石流が発生、山麓5村11部落が埋没し死者477名、負傷者28名。噴火に際して移動した大量の土砂が融雪期の洪水被害の原因となった。VEIは4[27][資料 5]
20. 同年  -  パプアニューギニアの旗リットー山  -  火山性津波により死者3,000名[30]
21. 1892年  -  インドネシアの旗アウ山英語版  -  火砕流などにより死者1,532名[30]
22. 1893年  -  日本の旗吾妻山  -  6月、噴火により火口付近調査中の2名死亡[資料 5]
23. 1895年  -  日本の旗御鉢  -  明治28年10月16日、噴石により家屋22軒出火、噴火および噴石により4名死亡[資料 5]
24. 1896年  -  日本の旗御鉢  -  明治29年3月15日、噴火により登山者1名死亡、負傷者1名。
25. 1897年  -  日本の旗草津白根山  -  明治30年8月3日、爆発により負傷者1名。
26. 1900年  -  日本の旗御鉢  -  明治33年2月16日、爆発により死者2名、重傷者3名。
27. 同年  -  日本の旗安達太良山  -  7月17日、火砕流が火口の硫黄採掘所を直撃、硫黄採掘所全壊により死者72名、負傷者10名、山林耕地被害。

20世紀