アメリカ合衆国領土の変遷 Ⅴ 1840年代 1850年代
1860年代
- 1860年2月8日
テキサス州は、当時連邦政府が管理していたグリア郡の領有権主張を始めた。ここは現在オクラホマ州に入っている。
- 1861年1月29日
カンザス準州東部が合衆国第34番目の州、カンザス州として加盟した。西部については特異な状態ができた。そこは1861年2月28日にコロラド準州に付加されたが、カンザス州成立からコロラド準州形成までの1ヶ月間は公式の位置付けが無いままだった。
- 1861年2月4日
アメリカ連合国が結成された。南部州は異なる日付で合衆国から脱退し、アメリカ連合国に加盟したが、地図の簡略化のためにアメリカ連合国の最終形を示す。ケンタッキー州とミズーリ州には南部と北部の両政府が存在し、インディアン準州は南部が支配した。南北戦争前後の動きはCSA states evolutionで参照できる。
- 1861年2月28日
コロラド準州が編成され、これにはユタ準州、ニューメキシコ準州およびネブラスカ準州からの土地とカンザス準州の残りの土地が含まれた。現在のコロラド州の領域に相当する。またワシントン準州の東端はネブラスカ準州に移管された。
- 1861年3月2日
ネブラスカ準州からダコタ準州が分離され、ミネソタ準州設立時に残されて非自治的領域となっていた領土もこれに含まれた。ダコタ準州は現在のノースダコタ州とサウスダコタ州、およびモンタナ州の大半とワイオミング州北部で構成された。ネブラスカ準州はネブラスカ州とワイオミング州南東部ということになった。ユタ準州からネバダ準州が分離され、現在のネバダ州北西部ということになった。東部州境はワシントンD.C.から西経39度離れた線とされた。
- 1861年8月1日
アメリカ連合国が合衆国ニューメキシコ準州の南半分にアリゾナ準州を設立した。1862年2月14日に自治化されることとされた。現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の南半分に相当する。
- 1862年7月14日
ネバダ準州の鉱山と放牧という性格のために土地が付加された。その東部州境はワシントンD.C.から西経39度離れた線から38度離れた線とされ、それまでのユタ準州管轄から移管された。
- 1863年2月24日
北部はニューメキシコ準州から分離する形で独自のアリゾナ準州を創設し、両準州は今日の州の形に相当するものとなったが、アリゾナ準州にはネバダ州の南端も含まれていた。
- 1863年3月4日
ワシントン準州、ダコタ準州およびネブラスカ準州の部分からアイダホ準州が編成され、現在のアイダホ州、モンタナ州およびワイオミング州の大半から構成された。ネブラスカ準州とワシントン準州は今日の州の形に相当するようになった。
- 1863年6月20日
バージニア州北西部の郡部でアメリカ連合国の一部となることを望まなかったところが分離し、合衆国第35番目の州、ウェストバージニア州として加盟した。
- 1864年5月26日
アイダホ準州からモンタナ準州が分離し、ダコタ準州からも一部の土地を併合した。モンタナ準州は今日のモンタナ州に相当し、アイダホ準州はアイダホ州とワイオミング州西部ということになった。ダコタ準州はノースダコタ州とサウスダコタ州およびワイオミング州大半となった。
- 1864年10月31日
ネバダ準州が合衆国第36番目の州、ネバダ州として加盟した。当時の姿は今日のものより幾らか小さく、東部と南部に欠けている所があった。
- 1865年4月9日
アメリカ連合国が降伏した。レコンストラクション時代および合衆国への再加盟には数年を要した。地図は簡略化のため、全州が再加盟した状態で示した。この間の動きについてはCSA states evolutionを参照。
- 1866年5月5日
ネバダ州の東州境はワシントンから西経38度線から37度線まで移され、ユタ準州の土地が移管された。
- 1867年1月18日
アリゾナ準州北西隅がネバダ州に移管され、ネバダ州は今日の姿になった。
- 1867年3月1日
ネブラスカ準州が合衆国37番目の州、ネブラスカ州として加盟した。
- 1867年10月11日
アメリカ合衆国はロシアからアラスカを購入した。アラスカ県と指定され、アラスカ国境問題の地域を除き今日のアラスカ州の姿に相当している。
- 1868年7月25日
ワイオミング準州がダコタ準州、アイダホ準州およびユタ準州の部分から編成された。これは現在のワイオミング州に相当する。
1870年代
- 1872年10月21日
イギリスとのブタ戦争を正式に終わらせ、アメリカ合衆国にはサンフアン島が与えられた。
- 1876年8月1日
コロラド準州が合衆国第38番目の州、コロラド州として加盟した。