サウジアラビア Ⅱ 歴史
政治
絶対君主制・政教一致
サウード家による絶対君主制でワッハーブ主義に基づく厳格なイスラム教義を国の根幹としており、後述の時期になるまでは憲法をもたなかった政教一致。要職は王族が独占しており、ギネス世界記録には王族の数が世界最大と記載されている。サルマーン現国王は第2世代であるが現在は第6世代まで誕生している。
建国以来、長年にわたって不文憲法を貫いていたが、ヒジュラ暦1412年シャアバーン27日(1993年3月1日)に公布された統治基本法が憲法の役割を果たすようになった。また、同時に諮問評議会法や地方行政法も発布され近代法治国家としての体裁が整えられた[2]。
政府は統治基本法が憲法であるとしているが、一方でその第1条に「憲法はクルアーンおよびスンナとする」と明記されており、実態はクルアーンこそが『憲法』ある。同じイスラム教でも、シーア派は敵視されている。
行政・立法
詳細は「諮問評議会 (サウジアラビア)」を参照
従来は内閣も議会も存在せず、勅令が法律公布と同義となり、行政も勅令の他、クルアーンやシャリーア(イスラム法)に則って施行されてきたが、統治基本法公布によって選挙が行われ、内閣に相当する閣僚評議会や国会に相当する諮問評議会、そして地方議会も設置された。ただし首相格の閣僚評議会議長は国王の兼任である。
詳細は「サウジアラビアの州」を参照
国内は13の州に分割されている。勅任の知事(アミール)が就任するがサウード家出身者以外は認められない。
税制
税金のない国と言われることもあるが、実際には統治基本法にザカート税(喜捨の義務)が明記されており、ザカート税法の規程が存在する。徴税担当は「所得税およびザカート税省」。属人主義であるシャリーアを基準とするサウジアラビアではサウジアラビア人とそれ以外の外国人では適用される税法が異なる。税率的にはほとんど変わらないが、サウジアラビア人にはザカート税を、外国人には所得税を課す。
税金がないといわれる一因には、ワッハーブ派の法理ではザカートとワクフ以外の財産徴収はシャリーアに反する搾取であると考えられているため、欧米で言うところの税金は搾取であり憲法違反であるとされているからである。これはオイルマネーで潤っているからというわけでもなく、油田発見以前の貧しい国だった時代にも初代国王が欧米式の税制を導入しようとした時にイスラムに反するとして猛反対されて実施されなかった過去がある。ザカート、ワクフは欧米の税金とは違うものであるとする主張を採用すれば税金のない国となる。
司法
サウジアラビアでは宗教が法律となりコーランに基づくイスラム法(シャリーア)により統治が行われている。しかし、実際は部族的慣習がそのまま社会的慣習となっているケースが多く、数々の矛盾を孕んでいるため、他のイスラム圏では見られない独特の環境を生み出している。この複雑な法体系の近代化が進められ、現代では大幅に制度改革が実施されている。
司法は原則としてワッハーブ派に基づいて執行されることになっているが、東部州のシーア派住民は法務省の下位機関であるシーア派裁判所のシーア派の裁判官(カーディー)による裁判権が認められている。このため、一国に二種類の刑法と民法が存在するという複雑な事情があり、どちらの裁判所によって判決が出されるかによって適用される法律が異なる場合もある。ただし、シーア派に認められているのは24条の刑法と婚姻、遺産相続、ワクフのみであり、ワッハーブ派住民とシーア派住民の間で訴訟になった場合にはワッハーブ派の法が優先される差別的な状況になっている。
通常の警察組織とは別に、勧善懲悪委員会と呼ばれる宗教警察が厳しい取り締まりを行っており、違反者は外国人であっても問答無用で逮捕される。
原則的に女性と男性は完全に区別されている。女性による自動車の運転の禁止(イスラムでは禁じられていない)や公共の場所でのアバヤ(ベール)、ヒジャーブ(スカーフ)、ニカーブ(顔のベール)の着用は、一般にサウジアラビアの習慣について語る際にしばし用いられる特徴的なことであろう。 男尊女卑が定められており、結婚、就職、旅行など全ての行為について、女性は父またはその男兄弟(即ち、伯父または叔父)、夫などの「男性保護者」の許可が必要である。20世紀初頭までのアジアでのいわゆる「三従」に似る。
裁判はアラビア語のみで行われ、仮に被告がアラビア語を理解できなくても通訳なしで一方的に進められる。また、証人はイスラム教徒の男性がアラビア語で証言しなければ証拠能力を認めない。このため、アラビア語を理解できない外国人労働者には極めて不利な裁判になる。
酒やポルノ類の持込などに対しては、重刑が課せられる。イスラム思想に則り法整備をしており、麻薬、強姦、殺人、同性愛においては死刑、窃盗においては手首切断や、飲酒においては鞭打ち刑などの身体刑を行っており、また裁判についても、被告人が理解できない言語で公判が進められたりと公平でない上、判決を容認しない場合は、弁護士などは資格を剥奪される。これらの法令は西欧各国のメディアにより非難されている。
2005年5月には、スリランカから出稼ぎに来ていたリザナ・ナシカというメイド(事件当時17歳)が、乳児にミルクを与えた際に気管に詰まり、メイドが救命措置を取ったが死亡してしまい、事故死ではなく殺人であると判定され、死刑が宣告された。スリランカ政府は寛大な処分を求めたが、それにもかかわらず2013年1月、斬首刑が執行された。
詳細は「リザナ・ナシカ」を参照
ムハンマドの慣例に従い、9歳女子との結婚を認めるというイスラーム法が存在するため、10歳前後での早婚も公に認められている[3][4]。一例ではあるが親の借金のかたに結婚させられる8歳の幼女までも存在し[5]、上記のイスラーム法に定められた年齢になるまで性行為を行わないことを条件に結婚の継続が承認されている[6]。これに関しては批判も少なくないが、サウジの大ムフティーであるアブドルアジズ・アール=アッシャイフが、イスラーム法上10歳の少女でも結婚・性行為の対象とすることができ、批判者は少女への不正義を行っていると逆に批判した[7]。
名誉殺人も存在しているとされ、認められれば罪に問われないことが多い。家族を他の宗教に改宗させようとした外国人とその家族を射殺した男は、これにより無罪判決が下った。 ディーヤと呼ばれる制度があり、被害者の法定相続人が加害者を許した場合は罪に問われない。これは金銭によって示談になった場合にも適用される。
司法改革の歴史
前時代的といわれるサウジアラビアの司法制度であるが、近年になってからはさまざまな司法制度改革が行われ、法制度の近代化が進められている。 建国以来、長年にわたって憲法がなかったが、1993年3月1日に公布された統治基本法が実質的な憲法となった。
シャリーアでは特許や著作権などの欧米では一般的な権利について認めていなかったが、1989年に特許と著作権に関する法律が施行され、1990年には特許を認定する特許局が設置された、サウジアラビア人の特許が初めて認められたのは1996年のことである。特許は15年間有効とされ、さらに5年間の延長が可能である。 ただし、サウジアラビアで公式の暦はヒジュラ暦であり、1年がグレゴリオ暦にくらべて11日ほど短いため、期限切れがグレゴリオ暦のそれよりも若干早く来るという特徴がある。
2007年10月に出された勅令により始まり、2009年2月14日の勅令で大規模な司法制度改革が行われた。今までの最高司法委員会に代わって最高裁判所、控訴裁判所、普通裁判所が設置され日本や欧米のような三審制の裁判が行えるようになった。2009年2月14日の勅令で大規模な人事異動が実施され、初めての女性副大臣が誕生するなどリベラル派人材への大幅入れ替えが実施された。
人権
「イスラームと児童性愛」および「サウジアラビアにおける女性の人権」も参照
国際人権規約(自由権、社会権)を未だ批准せず、前時代的な法制度[8]や人権侵害[9]に対しては欧米諸国だけでなく、他のイスラム諸国からも抗議が尽きない。しかし、批判国に対する石油輸出停止などの報復がたびたび実行されている[10]ため、これらの報復を恐れて国交断絶や経済制裁などを発動する先進国は皆無となっている。特に中東有数の親米国家であることから、“自由民主主義の守護・伝道者”をもって任じるはずのアメリカ合衆国が、制裁を行なうどころかアメリカ中央軍の部隊を駐留させて中東の反米諸国ににらみを効かせるという恩恵にあずかっている。
サウジアラビアにおいては、前近代的なイスラム法に基づく人権蹂躙が数多く報告されている。これはサウジアラビアでは宗教が法律と融合しイスラム教を擁護する法としてのイスラム法が規定され、それに基づいて行政が執行されているためである。当然ながら国際的な自由権規約・社会権規約とも批准していない。このため近年は、欧米諸国からのみならず他のアラブ諸国からも人権擁護を求める声が寄せられる。
基本統治法は第26条で「王国はイスラム法にのっとり人間の権利を保護するものとする」と明文規定するが、ここに定める“人間の権利”とはイスラム法における権利であって、現代西洋の人権思想における「人権」とは異なる概念である。具体例として、性的自由の抑圧、人体の切断(窃盗犯は手を手首から、性犯罪者は陰茎を)や公開の斬首刑などの刑罰、老人による幼女少女との強制結婚などがある。また、雇用主による外国人就労者に対するパスポートの取り上げ(スポンサー制度)も横行しており、国際労働機関から再三にわたり改善勧告を受けている。近年、スポンサー制度を一括管理する民間機関の設置が議論されているが、本格的な実施には至っていない。
2014年2月には、「社会の安全や国家の安定を損なう」全ての犯罪行為、「国家の名声や立場に背く」行為をテロリズム行為と断じ、処罰対象にする対テロ法を施行した。これにより捜査当局は“容疑者”の尾行や盗聴、家宅捜索が可能になる。ヒューマン・ライツ・ウォッチは「当局がすぐに平和的な反体制活動家に対して新法を利用するだろう」と警鐘を鳴らした。 サウード家を始めとする政府中枢と支配層はスンナ派(ワッハーブ派はスンナ派に含まれる)である。
皮肉にもサウジアラビアは2015年に国際連合人権理事会の議長国となっている[11]。