2007-2008の世界食料価格危機Ⅴ農家への影響・暴動と… 

 

南米[編集]

2008年4月、国連食糧農業機関に加盟している南アメリカ諸国は食料不足及び価格の高騰、それによる暴動への対処について話し合うためブラジルのブラジリア市で会談を行った。[94]

モザンビーク[編集]

2月中旬、モザンビークの地方都市チョクエで始まった暴動は、首都マプトにも広がり、少なくとも4人が死亡した。暴動は地元メディアによって「これは『食料暴動』である」と報道された。バイオ燃料を擁護する人々はこれは実際は軽油の価格抑制を求める『燃料暴動』であるのにメディアが反バイオ燃料の感情を煽るために偏向報道をしていると主張している。[95]

パキスタン[編集]

パキスタンでは陸軍が田畑や倉庫からの収奪を防ぐために出動したが食料の価格上昇を防ぐことはできなかった。新たな大統領に就任したザルダーリーは前政権の食料の食料備蓄が適切でなかったと非難した。[96]

ミャンマー

かつて世界随一のコメ生産国であったミャンマーは、現在でも自給できる十分なコメを生産してきた。しかし、コメの輸出はミャンマー当局が灌漑や倉庫などのインフラ整備を無視したためにこの40年以上の間に400万トンから去年はたったの4万トンにまで落ち込んだ。

2008年5月3日、サイクロン・ナルギスがもたらした海水により、ミャンマーのコメの穀倉地帯は広範囲にわたって被害を受けた。FAOは東南アジアのコメの65%が被害を受けたと推測している。長期にわたる食料の不足と供給制限の拡大が懸念されている。軍事政権はコメ不足について何も言及しておらず、輸出も以前と変わらず続けている。 エコノミストであり、ミャンマー事情に詳しいオーストラリアのマコーリー大学のショーン・ターナルは2008年5月27日の「The Irriwaddy」のインタビューで「少なくとも次の2回の収穫まではサイクロンによる塩害の影響を免れず、被害を受けたそれらの地域では収穫を得ることができないため、2年間は満足なコメや食料が得られないだろう。経済にも重大な影響を与えるだろう」と語っている。

パナマ

パナマでは、対応策として高値のコメを政府が買い取り、廉価で販売店に売却した。このコメは「エル・コンピタ」(政府銘柄)として知られ、買い取りには税金が利用された。[97]

フィリピン

フィリピンでは4月13日、アロヨ政権がこの国では食料暴動など起きておらず、ハイチの状況と比較することなどできないと主張した。[98]セルジオ・アポストル大統領主席法律顧問は「我々はこの問題を何とか解決しようと努力しているのにハイチはそんな素振りは見せていない。我が国では食料不足など起きていない。だから、比較することなどできない」と述べた。[99] ラウル・ゴンザレス司法長官は、次の日食料暴動はそんなに遠くで起こっているわけではないと語ったが、これはすぐに政権内部から批判された。[100]

4月15日、コメ最大輸入国であるフィリピンは中国、日本や他のアジア諸国に対して、特にこれらの国々の一部採られているコメの禁輸について話し合う緊急会談を持つよう働きかけた。フィリピンのアーサー・ヤップ農業大臣は「自由貿易は頓挫してしまうだろう」と述べた。[101] 2008年4月の終わり、フィリピン政府は世界銀行の専門家がコメ輸出国に対して規制を解除するよう働きかけることを依頼した。[102]

ロシア

2007年10月、ロシア政府は大統領選前、大衆の不安を抑えるために食料品の小売業者に対して価格を凍結するよう圧力をかけた。[103]2008年5月1日、価格の凍結は解除された。[104]

セネガル

2008年5月31日、セネガルで食料と燃料の値上がりに抗議する暴動が起きた。この際24人が逮捕、拘留されたが、地元の人権団体は公安当局が逮捕者に対して拷問や他の「名状し難い行為」を行ったと主張した。[105] さらに2008年4月26日、ダカールでも抗議活動が行われた。[106]

ソマリア

ソマリアにいた目撃者と政府職員によると、2008年5月5日、数千人のソマリア人が食料価格と通貨価値の崩壊のため暴動を起こし、政府の軍隊と武装した警備員により少なくとも5人が殺害された。[107]この抗議は現在行われている対テロ戦争による深刻な人道の危機の最中に起きた。

北米

2008年4月、サムズクラブが外食、小売向けの白米の販売に長期にわたる制限を設けるという報道がなされると、コメ不足は俄かに注目を集めた。他の形態の販売制限はされていない。[108][109] これはメキシコの最初の四半期の原油産出量が未曾有の7.8%減少という発表の後に起こった。バイオ燃料の擁護者はトウモロコシとコメ価格は関連がないのにもかかわらず、このことをトウモロコシ由来エタノールは食料価格の上昇とは無関係なのだという彼らの主張の論拠にした。

イエメン

南イエメンでの暴動は3月後半から始まり、4月初旬まで続き、武器を手にした暴徒によって警察署が襲撃されたり道路が岩で敷き詰められたりした。軍が戦車や他の軍用車両とともに出動した。暴動は数千人の暴徒によって数日のあいだ続き、100人以上が逮捕された。政府は死者は出ていないと主張したが、住民達はけがをした14人のうち少なくとも1人が死亡したと主張している。[110]

予想