世界恐慌 Ⅳ【後半】1929・ソ連・中華民国

 

 

社会科学における解釈とその影響

詳細は「世界恐慌の原因」を参照

政治経済学

世界恐慌は「基軸通貨交替」「覇権国交替」に伴う当然の、あるいは必然的な事態と考えられる。英仏を中心とする世界体制が第一次世界大戦で崩れ、米国が覇権国になる途中の出来事であった。世界の富を集めた結果として世界的に通貨が必要であったが、金本位制のもとで通貨創造が出来ない各国は米国からの資金還流を待つしかなかった。しかし米国には覇権国の責任を受ける準備が出来ておらず、国際連盟には参加せず、ドイツなどの経済的苦境を放置した。さらに「真正手形説によるデフレ政策」を取り、米国の繁栄を世界各国に分かち合うことがなかったため、世界各国の経済的苦境が結局米国自身に跳ね返った。貨幣収縮によって米国の生産量に見合うだけの支払うべき資金(有効需要)がどこにもないからである。米国はインフレを受容して、その本位金保有高以上の資金創造を海外に投資することで国際分業を促進しなければならない立場にありながら、むしろ投資資金を引き上げる事で世界各国の流動性を枯渇させた。モンロー主義孤立主義)が優勢で、ウッドロウ・ウィルソンの国際主義ではなかった。第一次世界大戦の参戦も、ルシタニア号事件とツィンメルマン電報事件が必要であった。第一次世界大戦後でさえ、ウィルソンが設立に尽力した平和のための国際組織「国際連盟」には上院の反対で参加できなかった。

レンテンマルクを発行しドイツの天文学的インフレ(レンテンマルク発行直前で1$=4兆2000億マルク)[62]を収束させたワイマール共和国グスタフ・シュトレーゼマンの功績は結局彼の死とともに水泡に帰し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の勃興を促した。

軍事ケインズ主義を取ったドイツ・イタリア・日本などが急速に復興し、米国のニューディール政策は景気の回復に結び付くには小さすぎたため、状況を好転させたが完全に癒すには至らなかった。ニューディールはケインズ主義の需要喚起策の成功と考えられ、事実、状況を好転させたが、「真正手形説」のFRBが貨幣発行を金準備にあわせて、激しくマネーサプライを削った悪影響を完全に消去するに充分な、財政・金融拡張政策は組まれなかった。ケインズ自身も自覚していたように、戦争と戦時国債発行によるマネーサプライが強力に余剰生産力を解消したのである。そういう意味でも「デフレ的」な「真正手形説論者」によって1929年に始まった世界恐慌は第二次世界大戦の素地を作ったと言える。事実、ニューディールは世界経済の需給ギャップを埋めるにはあまりにも小さく、財政出動に慎重でありすぎ、期間も十分ではなかった。アメリカは第二次世界大戦によってようやく後先を考えない政府支出を始め、国民もまた強力に政策を支持したことによりようやく不況から脱却し、飛躍するのである(参照:軍事ケインズ主義)。

ニューディール政策#政策に対する賛否」も参照

経済学