ESCO事業(Energy Service Company…Ⅲ
日本におけるESCO事業の歴史
日本においては、1990年代の末頃から、当時ESCO事業が流行していたアメリカ合衆国の例を参考に、導入が試みられるようになった。
1997年度には、通商産業省 (当時) 傘下の財団法人 省エネルギーセンターに「ESCO事業導入研究会」が設けられ、日本におけるESCO事業導入の可能性について調査が行われた。
1999年には、業界団体「ESCO推進協議会」が設立され、ESCO事業の促進を目的とするロビー活動を展開するようになった。
2000年頃から、導入の支援策として、ESCO事業に適用できる補助金制度等が整備されたことにより、ESCO事業の国内市場規模は拡大し、2007年頃までが最盛期となった[8]。 また、当初の予測と異なり、業務施設より産業施設での伸びが目立つ結果となった。
その後、比較的ESCO事業に適する大規模産業施設 (工場) や業務施設 (病院、ホテル等) がほぼ払底[7][9][6]したことや、リース取引に関する会計基準が改正されたことから[10]、市場規模はピークアウトし、案件の小口化と事業収益率の低下が進んだ。 また、地方公共団体のESCO事業発注に応募する事業者が減少するなど、業界全体のESCO事業離れが進んでいる。
2008年度には、省エネルギーセンターによるESCO導入のための情報提供及び調査事業が終了した[1]。 また、2009年5月には同センターのESCO事業推進部が廃止された。
日本市場におけるESCO事業の状況
資源小国である日本においては、オイルショック (1973年) を契機に省エネルギーの取り組みが進んでおり、ESCO事業が発祥した米国と比べて、エネルギー効率はかなり高い状況となっている[11]。
したがって、日本ではESCO事業が適するエネルギー多消費の施設はもともと少なく、ほとんど事業として成立しないことは、導入まもない時期から指摘されていた[12]。 とりわけ、率先的な省エネルギー対策が行われてきた日本の官公庁施設 (国、地方公共団体等) のエネルギー消費量は、民間施設よりも少なく[13]、米国のESCO市場において州政府・連邦政府等が主要顧客の一角を占めていたのとは対照的な状況となっている。
このような状況から、日本では、光熱水費等の削減分のみを原資としてESCO事業を成り立たせることは難しく、多くの事業で補助金が利用されてきたのが実情である[14]。
これに加え、官公庁や大企業は、自らのリソースにより省エネルギー対策が可能なため[15]、これらの顧客にとっては、補助金が受給できることを除き、ESCO事業のメリットはほとんどなかった。
ESCO事業者にとっても、官公庁の事業は利幅が薄い上、競争的な選定手続きと事業提案書の作成が負担となるため、魅力は乏しく、応募するESCO事業者は減少し、入札が不調となるケースも出ている。 そのため、官公庁にとって、ESCO事業を発注することは業務管理上のリスクを伴うことともなっている。
これらの事情から、日本においては、省エネルギー対策が不十分な中小企業がESCO事業の主な対象と捉えられるようになった。 しかし、中小企業の場合は、長期のファイナンスを利用するための与信が不足していることが多く[16][17]、これらの顧客にとっても、ESCO事業は有力な省エネルギー手段とはなっていない。
結局、ESCO事業は、事業者の利益率と顧客のメリット双方が高くなければ提案が難しいため、事業者の間で、契約数を積極的に伸ばしていく動きは見られなくなった[18]。
実際、東日本大震災による電力危機を背景とした自家発電設備の特需も、ESCO事業の拡大に結びつくことはなかった[18]。 その後も電気料金の高止まりや環境規制の強化に伴って、省エネ機器・省エネサービスへの需要は引き続き旺盛であり、LED照明とセットでESCOサービスを提案する事業者もあるが、多くはLED照明のみの受注にとどまるなど[19]、節電・省エネルギーへの対応においても、ESCO事業以外のサービスが選択される傾向となっている[20]。
また、業界側からも、ESCO事業の枠組みが「付加価値一定、価格漸減のデフレ型サービス」であり、付加価値と収益性の高いビジネスを行うためには、そのようなスキームからの脱却が必要との指摘がなされている[21]。
日本市場への導入から10年以上を経て、省エネサービス全体の中でのESCO事業の存在感は縮小し[7]、代わって、簡易に導入できるエネルギーマネジメントシステムなどの新たなソリューションが市場の関心を集めるようになった。
ESCO事業が広まらなかった理由