スパイSPY Ⅳ【上】スパイ本人による回顧録・著名なスパイ…
- 日本・協力者
- ハリー・トンプソン - アメリカ海軍事務係下士官。宮崎俊男海軍少佐によって協力者にされていた。
- アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ - 在イギリススペイン大使館報道官、外務省の協力者。第二次大戦下、マドリッドを中心に対米情報網「東機関」を構築。後年NHKの番組でその存在が明るみに出る。
- ウィリアム・フォームズ=センピル イギリス海軍大佐。豊田貞次郎中佐に空母関係の機密情報を提供する。
- クリス・メイヤーズ - イギリス海軍少佐。豊田中佐に潜水艦関係の機密情報を提供する。
- フレデリック.J.ラットランド - イギリス空軍少佐。高須四郎少佐に運営されて主に米英に関する情報収集を行った。
- ベルバレー・ディッキンソン - アメリカの人形店店主。横山一郎海軍大佐によって運営され、海軍情報の収集を行った。
- 谷豊 - 通称ハリマオ。東南アジアで盗賊をしていたが、大日本帝国陸軍の諜報活動に協力。
- 木村肥佐生 - 援蒋ルートの実態を調べる為、日中戦争下のチベットに潜行。同様の潜行者に西川一三・野元甚蔵が知られる。終戦後現地で改革派青年グループと交流。更にイギリスの情報提供者となる。帰国後はアメリカ大使館に勤務。後に亜細亜大学教授を務める。
- 飯塚盈延 - 「松村昇」の偽名で日本共産党で特別高等警察の指示を受けて活動し、幹部として組織壊滅を実行。俗に「スパイM」と呼ばれる。
- 坂西志保 - アメリカ議会図書館日本課長だったが、大日本帝国海軍のスパイでもあり、日米開戦で強制送還された。
- 川島芳子 - 清朝の皇族粛親王の第十四王女。第一次上海事変を引き起こした首謀者の一人とされる。
アメリカ
- 機関員
- フランシス・ゲーリー・パワーズ - U-2のパイロット。U-2撃墜事件に遭遇。
- モー・バーグ - メジャーリーグ選手。第二次大戦中にOSS。
- 協力者
- ドミトリー・ポリャコフ - ソ連GRUの将軍。CIAの協力者。
- 徐峻平 - 中国人民解放軍参謀本部第二部美洲司司長、大校。CIAの協力者。
- 笠信太郎 - 朝日新聞論説主幹。スイス終戦工作の頃からアレン・ダレス(後のCIA長官)に率いる米国情報機関のエージェントになり、日本の知識人の親米化工作を行っていた[4]。
- 緒方竹虎 - 朝日新聞主筆。コードネームは「ポカポン」。緒方政権樹立のための「オペレーション・ポカポン」がCIAによって展開された。またCIAの指導により、日本版CIAの創設を企てた[5]。
- 辰巳栄一 - 自衛隊や内閣調査室の設置に関する情報をCIAに流し、日本に再軍備の圧力を掛けるようアメリカに求めた。
- 野村吉三郎 - CIAの支援を受けて海上警備隊(海自の前身)を発足させるとともに参議院議員に当選。
- 正力松太郎 - 日本へのテレビ(正力マイクロ波事件)と原子力発電の導入で、アメリカ政府と利害が一致していたので協力し合い、その結果「ポダム」というコードネームを与えられ、CIAの協力者となった[6]。
- 岸信介 - 総理大臣。CIAから資金提供を受けていた。日本の反共政策を主導した[7]。
- 池田勇人 - 総理大臣。CIAから資金提供を受けていた。彼の代までアメリカによる政界干渉があった[8]。
- 西尾末広 - 旧日本社会党国会議員。CIAから資金提供を受けていた。のちに民社党を結成して初代書記長に就任。[9]
- テオドール・ゼーフェッケ - ゲシュタポ隊員。戦後、CIAの協力者として活動した。
- バージニア・ホール - ゲシュタポに「連合国のスパイの中で最も危険なスパイ」とされた女性スパイ