メタ哲学  Ⅰ【前半】【重要原初】目次・理論的根拠・哲学の… 

 

分類法

メタ哲学に特有な課題は哲学の(下位)分野の分類法をもたらすことである。アリストテレスは最も普遍的な学問である「第一哲学」と自然を扱う「第二哲学」(つまり「自然学」)について語った。しかし古代後期には、徹底的な教理としての「第一哲学」は自然学の後に来るものと考えられ、「第一哲学」について書かれた作品はphysics(自然学の)meta-(後に)来るもの、metaphysics(形而上学)と呼ばれた。アリストテレスの「形而上学」は伝統的に三つの部分からなるとみなされた。つまり、存在論自然神学普遍学の三つである。

時代が下りキリスト教が支配的になるにつれて、「philosophia ancilla theologiae」の格言が示すように哲学は全体として補助的な学問と考えられた。ルネサンス期の終わりごろには存在について考える理論が存在論と名付けられ、それに対応して知識に関する理論が認識論の名のもとに現れた。

18世紀にはアレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテンが感覚的知識の特別な場合について考えこれを(優れた、理性的な認識論に対して)gnoseologia inferior(劣った認識論)と呼んだ。これがカントによって美学となる。

ギリシア人倫理に強い関心を抱いており、ローマ帝国の時代においても倫理は主要な関心事の一つであった。後の時代には倫理学は独立した学問として確立された。

よって、哲学の学問的構造は一般的には

となる。

これらは形而上学 (存在論因果性、 宇宙論[20]を含む) 倫理学、 認識論、 論理学、 そして最後に美学というように列挙される。

応用哲学は、例えば宗教のような社会的活動や、科学や社会学のような知的追究に対する哲学的批判である。哲学者にして百科全書編集者のモーティマー・アドラーは様々な研究分野の二次的問題を抱えていたが、しばしばそれらの問題は彼の分類法によれば「…の哲学」というフレーズで呼ばれるような、哲学の様々な分枝のもとに見いだされるものであった[24]。アドラーはこれらの二次哲学的問題を二つに分けた。一方は、存在、原因変化永遠運命のような思考の対象とし、もう一方は、宗教哲学歴史哲学言語哲学科学哲学のような、思考の主題、つまり手続き上の領域とした。メタ哲学もまた、例えば宗教の形而上学、宗教の認識論、宗教の価値論というように他の主な分枝によって二次的な問題を理解しようと試みた。

哲学の目的

哲学におけるあなたの目的は何か。 ハエにハエとり壺からの出口を示してやること。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン, 『哲学探究』, 309

例えば実存主義者やプラグマティストのように、哲学者の中には、哲学は究極的には実践的な学問で、我々が何者なのか、我々を取り巻く世界に我々はどう関係しているのか、我々は何をすべきなのかを示すことで我々の人生を有意義なものにする助けになるものだと考えている人もいる。一方、分析哲学者のように、哲学を「その目的に照らし合わせて公平な知識の追究」[23]のような目的を持った、技術的、形式的で、完全に理論的な学問とみなすものもいる。また、「それが研究するすべてのものの絶対的に根本的な原因を発見すること」[20]「日常的な信念科学的な信念の本性及び意義を明るみに出すこと」[18]さらに科学や宗教により与えられた識見を統合し、またそれを超えていくこと[14]が哲学の目的に含まれると提言するものもいる。

哲学の方法

詳細は「哲学の方法」を参照

哲学の正しい方法とはこうであろう。言えること、つまり自然科学の問題、つまり、哲学によってなすべきことが含まれていないようなこと以外は言わないこと。そして、誰かが形而上学的なことを言おうとしたときには必ず彼に、彼は自分の問題の中の確かな標識に何の意味も与えられないことを説明すること。この方法は他人を満足させられないだろう。彼は我々に哲学について教えてもらったという感じがしないだろう。しかしこれが唯一の厳密に正しい方法であろう。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考, 6.53

大多数の根拠が哲学の主な方法は「多かれ少なかれ系統だった種類の」[15]論理的で[13]、理性的で、批判的な研究と討議であることを認めている。トマス主義の哲学者は「理性の自然の光」について同様に言及している。

スティーヴン・トゥールミンは哲学の三つの基本的な方法を定義している:

幾何学者としての哲学者
形式的研究の中心 ;プラトンからフレーゲまでの思想家
人類学者としての哲学者
人間本性の基盤を見つけようとする ;デイヴィッド・ヒュームアダム・スミスのような思想家
批判家としての哲学者
そのもとで知識が存在できるようなアプリオリな条件について研究する;イマヌエル・カント

歴史的方法

哲学の歴史的方法には古代ギリシア哲学認識論言語学の三つがある。

古代ギリシアの哲学に対する実践知的な取り組みはソクラテスエピクロスのような哲学者によって率先された。哲学のこのような形での問いは幸福な人生の追究や美徳の養成に関係する物事を主に含むが、政治哲学宗教哲学は記録された思想を特色としている。こういった哲学者達の一般的な方法は今日ソクラテス式問答法として広く知られている「反対論証」である。

認識論的な取り組みは特に合理主義経験主義の間の議論において知識の基盤をなす。この区別は経験主義の側のジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、ジョージ・バークリー、合理主義の側のルネ・デカルトバールーフ・デ・スピノザゴットフリート・ライプニッツといった近代哲学に適したものである。しかしながら、この区別は近現代の哲学に適用した時にだけ意味を成しうる。

さらに最近の哲学に対する言語学的な取り組みは、認識論の形でも(言語と世界の関係、「意味の意味」)、概念観念の研究としても行われる。アルフレッド・エイヤーの『言語・真理・論理』では(議論はあるものの)哲学の定義として二つの判断基準が示されている。第一に、科学は本当に知識の分枝でなければならない。第二に、それは「哲学」として知られる観念や印象の領域との関係をはらんでいなければならない。よって、エイヤーにとって哲学は、完全に分析的な課題として、また「どのように使われるか」の定義の集まりとして定義される。「真理とは何か?」あるいはより一般的に「xとは何か?」という問いは世界に関する事実というよりむしろ定義を問うているのだ、と思想の分析派は一般的に提言している。

直感に対する反省

近年の哲学者にはソクラテスから現代の言語哲学までの哲学的探求の基本的な手段である直感に疑いの目を向ける者もいる。「直感に対する反省」において、様々な思想家が知識の確かな根拠としては直感を放棄してそれによって「アプリオリ」な哲学を問題にしている。

実験哲学は、哲学的問題に持続的にかかわるために経験的な調査を、特に世論調査を少なくとも部分的に使用するような哲学的研究の形式である。分析哲学において見出された方法と対照的に、哲学者は問題に対して自身の直観に訴えることから始め、そして前提として直感を使って議論を形成することがあると言う者もいる。しかしながら、経験哲学は何を達成できるかに関する意見の不一致は広がっていて、何人かの哲学者が経験哲学に対する批判を行っている。具体的には、経験哲学者が集めている経験的なデータは、哲学的な直観に導く横たわっている心理学的な過程をよりよく理解することを考慮に入れることによって哲学的な問題に遠回りになるような影響を及ぼすといった指摘がある。

定量的な推論を利用するような別の分野の哲学は「計量哲学」と呼ばれる。この分野では、様々な存在論や倫理学の体系に対していくつかの単純化された想像上の世界を構築し、それらに対して実験をすることで現実世界の観察に直面させる。ここに現れる研究および科学的活動は膨大なメタ哲学的・メタ理論的な前提を要求する。

哲学の発展

詳細は「 哲学の発展」を参照

メタ哲学に顕著な問題は、哲学の発展が起こるかどうか、そしてさらに、そういう哲学の発展は本当に起こり得るものかどうか、といったことである。本当に哲学的な問題が現実に存在するかどうかはルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインによって最も著しく討議されてきた。それに反対する意見として、そういった問題が本当に存在すると考えるカール・ポパーが、それらは解かれ得るし、それらのうちのいくつかの決定的な解決を発見したと主張している。