ヒンドゥー哲学入門Ⅲサーンキヤ哲学・ヨーガ・二ヤーヤ・ヴァ…
ヴェーダーンタ
ヴェーダーンタあるいは「後期」ミーマーンサー学派はブラーフマナの儀式主義的な教えよりもウパニシャッドの哲学的教説に専心する。語源的には、ヴェーダーンタはヴェーダの知識の最後の部分を意味する。これはジュニャーナ・カーンダ(知識部、jñāna-kāṇḍa)としても知られる。一方、ヴェーダの最初の部分はカルマ・カーンダ(祭事部、karma-kāṇḍa)と呼ばれる[19]。ヴェーダのうち、信仰・祈祷・瞑想といった精神修養に焦点を当てた部分はウパーサナ・カーンダと呼ばれる。
伝統的なヴェーダの儀礼は瞑想的・慰撫的な儀式として行われ続けたが、知識により焦点を当てた理解が起こった。それは、伝統的な儀礼主義よりもむしろ瞑想・自己修養・精神的結合に焦点を当てた、ヴェーダの宗教の神秘主義的側面であった。
より深遠であるヴェーダーンタは、ウパニシャッドに要約された、ヴェーダの本質である。ヴェーダーンタ思想はヴェーダの宇宙論・頌歌・哲学に依拠した。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドは3000年も前に現れたとされた。元本としては13ほどのウパニシャッドのみが認められているが、100以上のウパニシャッドが存在する。ヴェーダンタ思想の最も顕著な業績は、自意識はブラフマンの意識と連続していて区別不可能だという教説である。
ヴェーダーンタ・スートラの格言は謎めいた、詩的な文体で表されており、様々な解釈を許す。そのため、ヴェーダーンタから六つの分派が生まれ、それぞれが独自の方法で聖典を解釈して二次注釈書を生み出した。
アドヴァイタ
詳細は「アドヴァイタ・ヴェーダーンタ」を参照
アドヴァイタは語義上「非-二元性」を表す。この学派は最も古く最もよく受け入れられたヴェーダンタ学派である。この学派の最初の偉大な確立者はアディ・シャンカラ(788年 – 820年)で、彼はウパニシャッドの師範の教えを、ひいては彼ら自身の師範たるガウダパダの教えを受け継いだ。彼は主だったヴェーダの聖典に対する広範な注釈書を著し、ヒンドゥー教の思想や生活法の復興・改革に成功した。
このヴェーダーンタ学派によれば、ブラフマンとは唯一の実在であり、ブラフマン以外には何ものも存在しない。この世界で二元性や差異が現れるのはブラフマンの重複であり、これをマーヤーと呼ぶ。マーヤーはブラフマンの幻想的・創造的側面であり、これによって世界が起こってくる。マーヤーは存在するものでも存在しないものでもなく、幻想(例えば蜃気楼)の場合のように仮初めに存在するものである。
人間が自分の精神を通じてブラフマンを知ろうとすると、マーヤーの影響によってブラフマンは世界や個々の人間とは隔絶した神(イーシュヴァラ)として現れる。ところが実は、個々の霊魂(ジーヴァートマン, jīvātman)とブラフマンの間に差異はないのである。神への祈祷、瞑想、無私の行動などの精神修養によって心が浄化され、間接的に真なるものを認識することになる。盲人がまばゆく輝く太陽を見ることはないように、無知によって目が曇らされている者が実在の非二元的な本性を見ることはない[20]。それゆえ、解脱へ直接至らしめる唯一のものは、直接に無知を取り除く自己認識である[21]。これを認識すると、自身および自身と同様のものとしての世界を見て、非二元的なブラフマン、つまり存在―知識―至福―究極を見て取る[22]。
ヴィシシュタードヴァイタ
詳細は「ヴィシシュタードヴァイタ」を参照
ラーマーヌジャ(1037年頃 – 1137年)がヴィシシュタードヴァイタ哲学あるいは制限不二一元論の主要な唱道者である。ヴィシシュタードヴァイタは根本的な性質・特質を持った超越的存在という概念を唱道した。ヴィシシュタードヴァイタはアドヴァイタ派の非個人的で空虚な唯一性としてのブラフマンの概念に反論した。ヴィシシュタードヴァイタ派の人々はブラフマンを普遍的な唯一性とみなしたが、同時に万物の根源でもあり、遍在して存在に動的に関わるものだともみなした。この学派の人々にとって主客認識の感覚は幻想であり、無知の徴候であった。しかし、個人の自己認識は、普遍的存在ブラフマンに由来するため、全くの幻想ではない[23]。ラーマーヌジャはブラフマンを擬人化したものがヴィシュヌだとみなした。
ドヴァイタ
ドヴァイタ・ヴェーダーンタ(ヴェーダの二元論的結論)学派はマドヴァチャーリヤー(1238年頃 – 1317年)によって創始された。この学派では二つの異なる実在の存在を理論化することで二元論が支持される。最初の、そして最も重要な実在はヴィシュヌあるいはブラフマンの実在である。ヴィシュヌは最高の自己、神、世界の究極的真理、独立した実在である。第二の実在は独立ではないが等しく真である世界で、これは自身の本質と離れて存在する。個々の霊魂(ジーヴァ)、物質、その他の、第二の実在から成るものは全て分離した実在をもって存在する。アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(ヴェーダの一元論的結論)からこの学派を区別する要因は、神が個人の役割を支配していて世界を統治・支配する真の永遠なる存在とみなされている点にある[24]。
さらに五つの特徴がある— (1) ヴィシュヌは霊魂と区別される; (2) ヴィシュヌは物質と区別される; (3) 霊魂は物質と区別される; (4) 霊魂は別の霊魂とは区別される (5) 物質は他の物質と区別される。霊魂は永遠だがヴィシュヌの意志に依存している。この神学は霊魂が創造されたものでないという説によって悪の問題を説明しようとする。個々のものは神的存在に依拠しているため、それらは神的存在の反響、映像、あるいは影ともみなされるが、どのような形でも神的存在と同一視されることはない。それゆえ解脱は、全ての限りある存在が最高の存在に本質的に依存していると認識することだとされる[25]。
ドヴァイタードヴァイタ(ベーダーベーダ)
ドヴァイタードヴァイタは13世紀アーンドラ地方のヴィシュヌ派哲学者ニンバールカによって提議された。この哲学によれば存在の範疇は三つある、つまりブラフマン、霊魂、物質である。霊魂と物質はブラフマンとは異なる性質・能力を持つためブラフマンと区別される。ブラフマンは独立して存在するが、霊魂と物質は他のものに依存して存在する。そのため霊魂と物質は離れてはいるが他に依存するような存在をもっている。さらに、ブラフマンは支配者であり、霊魂は享受する者であり、物質は享受されるものだとされる。また、信仰の最高の対象はクリシュナとその配偶者ラダであり、数千のゴピつまりウシ飼い女を伴っているという。また、祈禱は克己心より成るとされる。
シュッダードヴァイタ
シュッダードヴァイタは「純粋非二元論」哲学であり、ヴァッラバ・アーチャーリャ(1479年 - 1531年)によって提議された。この創設者はヴァッラバー・サンプラダーヤ(ヴァッラブ派)あるいはプシュティマールガ(優雅なる道、puṣṭimārga)と呼ばれるクリシュナ信仰に重点を置いたヴィシュヌ派のグルでもあった。
アチンティヤ・ベーダーベーダ
詳細は「アチンティヤ・ベーダーベーダ」を参照
チャイタニヤ・マハープラブ(1486年 – 1534年)は神の魂あるいはエネルギーが神から分離しておりかつ分離していないと説きはじめ、この魂あるいはエネルギーをクリシュナつまりゴーヴィンダと同一視し、これを考察の対象にはできないが愛の祈り(バクティ)を通じて経験の対象にはできると考えた。彼はマドヴァチャーリヤーのドヴァイタ思想を奉じた[26]。この「思考不可能な唯一性と差異」の哲学。