マハーヴィーラ Ⅱ尊称異称/思想/輪廻と業/五戒 

 

アヒンサー

ジャイナ教の教義から多大な影響を受けたマハトマ・ガンディー1929年撮影)。菜食主義者でもあった彼はアヒンサーを訴えた

不殺生(アヒンサー)を説くのは、すべて生きものは苦を憎むものであり、それを殺せば必ずその憎しみは殺害者にふりかかって束縛の原因になると考えるからである。ジャイナ教における「生命」の範囲は上述のように幅広く、容器いっぱいの水は、容器いっぱいのに等しいものとされ、ともに命あるものとされる。

そのためジャイナ教の不殺生戒は仏教よりも徹底しており、一匹殺さないものである。ジャイナ修行僧にとって、水こし袋、口を覆う、鈴のついた、やわらかいなどは生活必需品である。水こし袋は水中の微生物を除去するため、布は空中の微生物を誤って吸引することを防止するため、杖や箒は道行くときに足で踏んで殺さないよう虫たちをやさしく払いのけるために使用される。ジャイナ教徒用の市場では類はいっさい扱わず、根菜類や蜂蜜なども忌避される。また、極度に小さな動物を殺してしまう危険があるため、日没後の外出は禁じられている。

無所有

無所有を説くのは、「無欲無一物」の清浄な世界を希求するためである。すなわち、マハーヴィーラは、所有欲求であり、欲求は行為を誘い、行為すれば必ず殺生することになり、殺生は最大ので、また束縛の主要な原因であると説く。それゆえ「すべて」を捨てることが求められる。「すべて」には、物質的なものだけではなく、家族親類などの人間関係、欲求などの精神的なもの、さらには修行に不必要なものすべてが含まれる。衣服を用いない裸形が、ことのほかジャイナ教において修行の理想とされる所以である。

また出家者の修行も仏教より厳格で、ヴァルダマーナが一貫して苦行を続けたことに倣い、ひたすら試練に耐えることが重んじられる。苦行は超自然的な験力を生み、霊魂に付着した汚れた業を払い落とす効果があるとみなされる。特に断食は重視され、最終解脱には断食により身体を放棄することが求められた。

相対論

マハーヴィーラは、論証に際しては、事物は相対的にのみ認識され、また真理は多様に言い表されるべきものだという見解を示し、いかなる事物に対しても一方的、断定的な判断を下すべきではなく、必ず「ある点からすれば」(スィヤート)という限定をつけるべきだと主張した。ブッダの中道説に対し、事物は多面的にみなくては真実には至らないとする不定説の立場である。ある事象に対する判断は、判断者の立場にしたがって異なるものであり、その判断数は7と考えられている。これはジャイナ教における一種の相対論(アネーカーンタ・ヴァーダ、anekānta-vāda)の側面である。ジャイナ教では、この7種の判断をもとに世界の成り立ちに関する原理(「七諦」[20])が立てられ、これにより世界の経過が説明されている。

補説

男女平等
マハーヴィーラは、男性と女性が精神的に平等であること、そして、両性ともモークシュ(解脱)または涅槃の境地に達して最終的に解脱に至ることも可能であると説いた。ミルチア・エリアーデも、裸形での修行が義務づけられたマハーヴィーラ在世時の初期教団にあって、女性は容易に裸になれないはずであるのに尼僧(sādhvī)や女性信者(Śrāvikā)の多さを驚愕の念をもって指摘している[4]
「数」に対する情熱
ミルチア・エリアーデは、シュブリヒの「数の体系」という語を引用しながら、マハーヴィーラの教義の特徴を「自然の構造に対する関心と分類や、数に対する情熱」[4]であるとしている。3種類の意識、4つの世界、5種の正しい知識、魂の功罪を示す6つの色、7原理、8種の「業体」、精神性の14段階などである。

視覚芸術におけるマハーヴィーラ

『カルパ・スートラ』より「マハーヴィーラの誕生」(一部分)、14世紀第4四半世紀

マハーヴィーラ像は、彼の死(涅槃)の600年以上後に彫刻されるようになった。マハーヴィーラあるいはむしろすべてのティールタンカラ(ティッタンカラ、祖師)の像は、ジャイナ教徒の信者にとって奉献の必需品であった。それゆえ、彼らの実際の肖像を発見することを目指す代わりに、第一にかれらのなかで規格化された基準のなかでの精神的・審美的な模範が主として求められたのである。

祖師たちのイメージとは、大部分が金属またはに変換された心のイメージであった。頭の後方でみずからの肩とのかぶり物にかかる髪を結い、初代アーディナータ(リシャバデーヴァ)と23代祖師パルシュヴァナータのイメージはそれぞれ異なった標識を持つが、そうした区別は、若干の地域偏差や遠方における少数の微細な特徴をのぞくと、他のティールタンカラ像ではほとんどみられない。

マハーヴィーラ像の場合も、胸のライオン紋章と頭部のわずかに他と異なる特徴のほかは、他のティールタンカラのそれと大部分は同一である。少なくとも数千とある古代の単独像で、異なるティールタンカラの紋章を含む奉献台には、ほとんど完全なものはないのであり、それゆえ、それぞれのティールタンカラ固有の同一性を認めるのは困難である。

マハーヴィーラの像容は、主として直立(kayotsarga-mudra)または結跏趺坐padmasana)である。他の姿勢は、マハーヴィーラが大悟(keval gyan)に達したというときの姿勢godohana-mudraでさえ好まれなかった。空衣派(digambara)の信者によって求められる像は衣服のみならずあらゆる種類の装飾のない裸像であり、白衣派(svetambara)によって求められる像は、衣類、宝石またさえ着用するものがある。君主が座すような玉座に据え付けられるものさえ見受けられる。

視覚芸術におけるマハーヴィーラ像は彼の人生のエピソードをほとんど反映していない。ただし、彫刻家も画家も、多くのメイドが付き添いベッドに横たわる彼の母トゥリシャーラを描き、母が出生の際に16の吉兆を夢みたという話にまつわる関心を示した。マハーヴィーラのトリ・ラトナ(「正信」「正知」「正業」の3つの宝)の象徴的記号表現もさまざまな彫刻パネルでみられる。同様に、かれの最初の説法(samavasarana )の図は多くの細密画壁画の画題となった。