七項目の確認事項(ななこうもくのかくにんじこう)とは、1968年1月30日大阪国税局高木文雄(当時)と部落解放同盟中央本部ならびに部落解放大阪府企業連合会(略称は大企連または企業連)との間に結ばれた取決め。「7項目の確認事項」「七項目確認」「七項目の合意事項」「七項目の密約」などとも呼ばれる。

2002年に同和対策事業は一応終了し、2003年頃のインタビューで元法務大臣前田勲男は「(課税上の同和減免は)近年はなくなったはず」と発言したが、2010年に同和減免を利用した脱税の指南で逮捕起訴された元小倉税務署長は「7項目の確認事項は前任者から引き継ぎをうけ、私も後任に引き継いだ」、「同和特別控除は、国の法失効後も、部落解放同盟の強い要望で、水面下で慣行化」している、と公判廷で証言した(後述)。

 

目次

1概要
2脱税の温床
3確認事項の存在をめぐって
4同和関係納税者に対する税務事務特別処理要綱
5全日本同和会の脱税事件
6部落解放同盟の元顧問税理士の指南による脱税事件
7参考文献
8脚注
9関連項目
10外部リンク

概要

大阪国税局が入居する大阪合同庁舎第3号館

1968年1月30日、部落解放同盟大阪府連合会の代表者100人余は大阪国税局別館にて大阪国税局長以下45名と交渉を行い、国税局から

#国税局として「同和」対策を打ち出す。
  1. 租税特別措置の中に「同和」対策を折り込むために努力する、それまでそれにかわるべき措置として、局長権限による内部通達の形で処理する。
  2. 部落解放同盟の指導で企業連を窓口として出された白色申告および青色申告については、全面的にこれを認める、ただし内部調査の必要ある場合は同盟を通じ、同盟と協力してこれを行なう。
  3. 「同和」事業については課税の対象としない。

との回答を得た[1]。七項目の確認事項の内容は、『解放新聞』大阪版1969年2月15日付によると以下の通りである。

四三年一月三〇日、大阪国税局長(高木前局長)と大阪企業連との間にかわされた確認事項は、次の七項目である。
  1. 国税局として同和対策特別措置法の立法化に努める。
  2. 租税特別措置の中に、同和対策控除の必要性を認め法制化をはかる。それ迄の措置として局長権限による内部通達によってこれを処理する。
  3. 企業連が指導し、企業連を窓口として提出される確定申告については(青白を問わず)全面的にこれを認める。
  4. 同和事業については課税対象としない。
  5. 国税局に同対部を設置する。
  6. 国税部内において全職員に同和問題の研修を行う。この際企業連本部と府同対室と相談してこれを行う。
  7. 協議団の決定も、局長権限で変更することが出来る。

これらの確認事項は、部落解放同盟や大企連を経由して出される税務申告をフリーパスで認めるものとなっており[2]、部落解放同盟傘下企業の脱税の温床となった[3]

1969年1月には、大阪国税局長と部落解放同盟近畿ブロックとの間で、この大阪方式を他の府県にも適用するとの確認がおこなわれた[4]

1970年2月には、国税庁長官が「同和問題について」と題する通達を出し、全国の税務署に「同和地区納税者に対して実情に即した課税」をおこなうよう指示。これにより七項目確認は国税庁の公認のもと全国に拡大した。

1971年12月、部落解放同盟関東ブロックと東京都同和企業連合会(略称は東企連)が東京国税局との間に七項目確認と同様の取決めをおこなった。

以後、この七項目確認は同和対策事業特別措置法の一応の失効(1979年)を目前にした1978年11月、大企連と大阪国税局長篠田信義(当時)との間で「新七項目の約束事項」として更新され、ほぼ現在まで機能し続けている。このときの「新七項目の約束事項」の内容は次の通りである。

#国税局として同和対策審議会答申を尊重し同和対策基本法の立法化に努める。
  1. 租税特別措置法の中に同和対策控除の必要性を認め、それまでの措置として局長権限に依る内部通達によってこれに当る。
  2. 企業連が指導し、企業連を窓口として提出される青、白、自主申告について全面的にこれを認める。調査の必要がある場合には企業連を通じ、企業連と協力して調査をする。
  3. 同和対策事業に対しては課税対象としない。
  4. 国税局同対室を更に充実強化する。各署の同和対策の窓口は総務課長とする。
  5. 国税局に於て同和問題研修会を行ふこと、この際府同対室、企業連と相談して行ふ。
  6. 悪質な差別事件の増発状況に鑑み、国民の理解を深めるため、その啓発活動の増進に努める。

脱税の温床

現職税務署員の証言によると、税務申告の際に大企連を窓口にすれば1000万円の所得が300万円から400万円に、2000万円の所得が500万円から600万円に圧縮され、所得の3分の2が「減免」された[5]。このような例は大阪だけで数千件あったという[5]。この結果、被差別部落と無関係な企業までが大企連に群がり、部落解放同盟の顔役に数百万円の裏金を密かに包んで大企連に入れてもらうようになった[6]。1997年の調査によると、こうした部落外企業は、大企連の支部組織である飛鳥地区企業者組合の中で28.9パーセントを占めていた[7]。関係者によると、中には暴力団のフロント企業や企業舎弟も加盟していたという[6]

税務当局は、「同和減免」フリーパスを承認しているだけではなく、企業連加盟業者については、たとえ脱税行為があったとしても追及せず、最初から差し押さえ処分を放棄している[8]。その根拠は、大阪国税局が管内税務署の管理・徴収部門の統括官(課長級以上)の幹部に出した「同和速報」第55号(1976年4月6日付)、表題「企連加入業者に対する更正(決定)に係わる管理・徴収部門における事務処理について」である[8]

通常、収入の不正申告や無申告を発見した場合、税務署は税金の更正・決定処分をおこない、納税者に通知し、そこで納税者が徴税に応じなければ督促状を出し、それでも納めなければ財産の差し押さえ処分をおこなうことになる[8]

しかし「同和速報」第55号によると、「更正(決定)通知書を企連事務局経由で送達してきたもの」については「督促保留期限」を「70・12・31」(昭和70年12月31日)とコンピュータに入力するよう指示している[8]。すなわち、徴収の時効である5年間を遥かに超える20年間もの長きにわたり「保留」とし、最初から差し押さえを放棄している[8]。また滞納については「別途連絡する」まで「一切整理を行わない」とし、大阪国税局「特別整理部門」が取り扱う1000万円以上の大口納税者についても、各税務署は大阪国税局に報告しないでよいと通達し、脱税を見逃す趣旨となっている[8]。さらに企業連加入業者に対する徴収・滞納処分などの関係書類はすべて「署長室に保管」して一般納税者と区別し、「定期異動の際には的確に事務引き継ぎを行い無用のトラブルが生じないよう注意する」と、極秘扱いにしている[8]

この文書が「同和速報」第55号(関係統括者まで開示)となっていることからして、税務処理について一般署員の窺い知れない極秘扱いが他にも多数あると考えられている[8]

部落解放同盟に対するこのような優遇措置は、上田卓三(部落解放同盟大阪府連委員長、社会党衆院議員)が一般の中小企業を対象に1973年に結成した「大阪府中小企業連合会」(中企連)にも適用されていた[8]。たとえば1985年5月10日付の大阪国税局資産税課長補佐名で各統括官あてに出された「特定譲渡事案の提出について」には、この提出書類は「大企連・中企連を除く」とされており、中企連が企業連(大企連)と同じ優遇措置を受けていたことを示している[8]

確認事項の存在をめぐって

国税局ならびに部落解放同盟・大企連は、今日ではこの確認事項の存在を表向き否定している[9][10]。しかし、部落解放同盟の機関紙『解放新聞』大阪版(1969年2月15日付)は、上記のように1968年1月の大阪国税局長と部落解放同盟大阪府連合会の交渉結果としてこの七項目確認を掲載している。

総務庁地域改善対策室室長として地対財特法の立案にあたった熊代昭彦衆議院議員自民党)は「国税についての問題点は、昭和43年の大阪国税局長と解同中央本部及び大企連(大阪企業連)との間の『いわゆる確認事項』に端を発する」と述べ、この確認事項の存在を認めている[11]

また、元法務大臣前田勲男和歌山県選出参議院議員、自民党同和対策特別委員会委員長)もこの確認事項の存在を認め、「同企連(同和問題企業連絡会)というのが各地にありました。1968年1月、当時の高木文雄・大阪国税局長が部落解放同盟などとの団体交渉の席で、同和地区の状況を踏まえて課税すると申し合わせた。簡単にいえば、課税面で優遇するという話です。政府は建前上、こんな申し合わせは存在しないことにしてましたが、実態としては存在していた。ただ近年はなくなったはずですけど」と発言している[12]

この七項目の確認事項については、日本共産党の以下の国会議員が具体的事例を示して「同和減免」の実態を追及している[13]

さらに1994年6月7日には、衆議院予算委員会第二分科会において、当時の大蔵大臣藤井裕久野中広務の質問に答えて七項目確認の存在を認めている。野中はこれに先立つ1993年10月6日の衆議院予算委員会でも「昭和四十三年一月三十日以降大阪国税局長と解放同盟中央本部及び大企連との確認事項が行われております」「同和対策特別措置法が施行された後、昭和四十五年二月十日、国税庁長官通達をもって、この国税庁長官通達は、結局はこの四十二年の解同及び大企連との確認事項を追認する形で、最後に、「同和地区納税者に対して、今後とも実情に即した課税を行なうよう配慮すること。」これで、近畿地区だけでなく、全域に広がったのであります。すなわち、これを利用することによって、今度は申告すればそのまま認めてもらえる、そんな器用なことがやれるんならおれも同和を名のろうということで、えせ同和がつくり上げられてきたことは御承知のとおりであります」[15]と述べ、この確認事項の問題を取り上げている。

また、現職(1991年当時)幹部税務署員によると、幹部職員を集めた「同和研修」に際しては、「税の執行機関は、七項目確認事項を誠意をもって対処しなければならない」と書かれた資料が配布されている[5]

1980年12月、部落解放同盟大阪府連合会委員長上田卓三と部落解放同盟大阪府連合会副委員長兼大企連理事長山口公男との連名(各団体印付)で大阪市内の税務署長に宛てて出された「要求書」には、「要求項目」の2番目として「七項目の確認事項については関係機関へ更に徹底されたい」と書かれている[5]

2016年12月6日法務委員会でも、税理士出身の衆院議員の西田昌司(自民党)が「実は私、税理士やってまして、非常にショックを受けたことがあるんですよ。今からもう30年近く前、開業して間もない頃の話ですけど、税法のどこを見ても同和の方々に対して税を優遇するなり、そういうことはどこにも書いてないんですが、実は公然としてあったわけですね。それは税の現場で通達なり、されていたようでありますけれども」、「私現場でも見たことありますから」、「法律で定めていることを超えて、そういう税の特典がされていた現実がある。これはどうだったんだろうか」と問題提起した[16]。これに対して参考人の灘本昌久は「部落内の中産階級は同和事業に大反対だった。そのような人にもおいしい目をさせて反対の声を抑える上で、同和関係者への税の減免は『配り物』として効果があったかもしれないが、そもそもそんなことが必要だったのかと問われると、長期的には同和事業の推進自体を歪めるものだったろうと私は思う」、「ただ運動を推進する立場からいうと、減免額の相当部分が、場合によっては億単位のお金がカンパとして一支部に入ったので、金銭的には助かったんでしょう」と答えた。