シヴァ=大自在天Ⅱ【悪魔界王最高破壊神】千分神

 

西インドでの偶像化

クシャーナ朝コイン(紀元前1世紀から紀元2世紀頃)。右側のデザインはトリシューラ(三叉の槍)を持ち、牛の前に立つシヴァと解釈されている[112]

3つの顔を持つシヴァ。ガンダーラ。2世紀ごろのもの。

シヴァが偶像化されたものとして最も早い時期の物、すなわち彫像はガンダーラや古代インドの北西部で見つかっている。この彫像は損傷しており、加えて仏教関係の彫刻とも特徴が重なるため、はっきりとこれがシヴァであると言い切れない部分もあるのだが、シヴァの武器であるトリシューラと特徴のひとつであるファルスが確認できるのでおそらくシヴァであろうと考えられている[113]。また、古代のクシャーナ朝のコインに描かれている神がシヴァではないかという指摘が存在する[114]。クシャーナのコインではシヴァと思しき人物を指しウェーショー英語版)(またはオエーショ英語版))と記されているが、ウェーショーの語源や由来ははっきりしていない。

ルドラからヒンドゥー教の主神の1柱へ

ヴェーダのマイナーな神であったルドラが最高神としての神格へと発展していく過程の最初の痕跡は、ギャビン・フラッドによれば紀元前400年から紀元前200年頃のシュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッドに見られる。これ以前のウパニシャッドの世界は不二一元論であり、シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッドはルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)に対する有神論的な信仰の最初のきっかけを与えている[61]。すなわちこの文献で、ルドラ・シヴァが宇宙(ブラフマン)の創造者であり、魂(アートマン)を輪廻から解放する者であると同定される。シヴァ派の信徒、苦行者らに関する言及が、パタンジャリマハーバーシャ英語版)やマハーバーラタに見られることから[117]、紀元前200年から紀元後100年には、シヴァへの帰依に焦点を絞るシヴァ派の歴史が始まっていることがわかっている[61]。一方ロバート・ヒューム(Robert Hume)やドリス・スリニヴァサン(Doris Srinivasan)らはシュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッドが提示するのはシヴァに焦点を当てた有神論ではなく、多元論汎神論単一神教であると述べている。

ジュニャーナの獲得

自らの内に全てを見、
全ての内に自らを見る者が、
ブラフマンに至る、
それ以外に道はない。

——カイヴァリャ・ウパニシャッド英語版) 10[

古いものでは紀元前10世紀の終わりから新しいものでは17世紀までと様々な時期に書かれた14のウパニシャッドから成るシャイヴァ・ウパニシャッド英語版)では[123]、シヴァを物理世界を超越した普遍の存在ブラフマンとアートマンとして賞揚し[124]、さらにシヴァに関する儀式と象徴主義について語っている[125]

ルドラに関して触れられる文献はわずかにとどまるが、例えばアタルヴァシラス・ウパニシャッド英語版)(紀元前5世紀頃)では、すべての神はルドラであり、全ての生命と全ての物質はルドラであり、ルドラは全ての中に存在する根源であり、最終目標(ジュニャーナ)であり、全ての見える物と見えない物の最も内側にある要素であると主張される[124]パウル・ドイセンによればカイヴァリャ・ウパニシャッド英語版)(紀元前10世紀頃)にもルドラがシヴァに置き換わったバージョンの、同様な記述がみられる。すなわち、アートマ・ジュニャーナに達する人は自らをすべての中に住まう神聖な要素として感じ、自ら及びすべての意識とシヴァ(すなわち至高のアートマン)との一体感を感じ、この至高のアートマンを自らの心の奥底に見つけるものである、と語られている。

シャイヴァ・プラーナ[注 11]、特にシヴァ・プラーナ英語版)(10-11世紀)とリンガ・プラーナ英語版)(5-10世紀)にはシヴァの様々な姿、シヴァに関する神話や宇宙論、巡礼地(ティルサ英語版))などが紹介されている。シヴァに関するタントラ文献は8世紀から11世紀の間に纏められており、シヴァ派の中でも二元論を固持する信徒にとってのシュルティ英語版)(聖典、ヴェーダ参照)となっている。シヴァに関する文献は10世紀から13世紀にかけてインド全土で発展しており、特にカシミールカシミール・シヴァ派英語版))とタミル地方シヴァ・シッダーンダ英語版)、あるいは聖典シヴァ派とも)での受容が顕著である[129]

シヴァによる信仰の融合

ヒンドゥー教のルーツ」も参照

現代わたしたちが知るシヴァの姿は様々な古い神々がひとつの神格へと融合された結果であると言えるかもしれない。複合的なシヴァの神格がどのような過程を経て収束していったのかはわからないが、由来を辿る試みは行われており、いくつかの推測も存在する[131]。例えばヴィジャイ・ナート(Vijay Nath)によれば、

ヴィシュヌとシヴァは(中略)彼らの信徒の信仰に、無数の地方の信仰と神々を取り入れ始めた。後者(地方の神々)は、例えば同じ神の様々な様相を表すものとして、あるいは同じ神の違った姿として、またはそれによって信仰されるようになった称号として取り入れられた。(中略)シヴァは無数の地方の信仰の中で、神々の名前に「イーシャ」(Isa)、「イーシュヴァラ」(Isvara)という接尾辞をつけることによって同一視されるようになった。例えば、ブテーシュヴァラ(Bhutesvara)、ハタケシュヴァラ(Hatakesvara)、チャンデシュヴァラ(Chandesvara)などのように[132]

例えば、マハーラーシュトラ州では地方の神としてカンドーバ英語版)が信仰されている。カンドーバは農業牧畜カーストの守護神であった[133]ジェジュリ英語版)がカンドーバ信仰の最縁部となる[134]。カンドーバはシヴァの姿に取り込まれており[135]、信仰はリンガを通して行われる。カンドーバはまた、スールヤ[133]、カールッティーケーヤ(スカンダ)とも同一視されている[137]

ヒンドゥー教の中での位置づけ

リンガから現れるシヴァを描くリンゴドバーヴァ英語版)はシヴァ派の間で象徴的に信仰される。トリムルティにおいてシヴァがいかに傑出しているかを物語る。両脇のブラフマーヴィシュヌはリンゴドバーヴァ・シヴァに会釈をしている。

シヴァ派

詳細は「シヴァ派」および「ヒンドゥー哲学#シヴァ派」を参照

シヴァ派ヴィシュヌ派シャクティ派スマールタ派と並びヒンドゥー教四大宗派のひとつとなっている。シヴァ派(シャイヴィズム)の信徒は「シャイヴァ」と呼ばれシヴァを最高神として崇めている。シヴァ派においては、シヴァは全ての中の全て、創造神、維持神、破壊神、啓示を与える者であり、全てを覆い隠すものだと信じられている。シヴァ派にとってシヴァは単なる創造者ではなく、彼自身も彼の作品であり、シヴァは全てであり、普遍的な存在である。シヴァ派においてシヴァは根本的な魂であり、純粋な魂であり、ブラフマンである[5]

シヴァ派の理論は2つに大別できる。比較的大きな勢力なのがバラモン教時代のヴェーダ叙事詩プラーナ文献に見られるシヴァ・ルドラの影響を受ける理論。もう1つがシヴァ、シャクティに関するタントラ文献の影響をうける密教的な理論である[138]。ヴェーダ・バラモン教のシヴァ理論は一元論不二一元論)的性格と、神への帰依(二元論)的な性格が見られる。神への帰依とは例えばタミル地方(南インド)のシヴァ・シッダーンタ派英語版)やリンガーヤタ派英語版[注 12]のように寺院内にリンガやシヴァとパールヴァティの宗教画、ナンディンなどといった偶像や象徴を奉り、シヴァに纏わる神話をモチーフにしたレリーフで飾る。

シヴァ派のタントリズムは実践的な信仰の領域から派生した分派にて発展し、シヴァに関する神話やプラーナ文献を無視する。例えば今は途絶えたカーパーリカ英語版)派(髑髏男の意)の信徒と大乗仏教がかつて共存し、多くの習慣を共有し、髑髏を身に着けたシヴァとシャクティを崇拝し、髑髏の鉢で施しを求め、肉や酒や性的関心を儀式に用いていたという記録が残されている[141]。対照的にカシミール・シヴァ派英語版)の密教的信仰はクラマ派(Krama)とトリカ派(Trika)を特徴とする[142]。クラマ派はシヴァとカーリーのペアを重視する[143]。一方のトリカ派はトリムルティの理論を発展させ、不二一元論的な解脱を追い求めるために、個人的な「シヴァ」に焦点を当てた禁欲的な生活を伴う。

ヴィシュヌ派

詳細は「ヴィシュヌ派」を参照

ヴィシュヌ派の聖典でもシヴァについて語られている。シヴァ派の信仰でシヴァが最高神に位置付けられるのとと同様に、ヴィシュヌ派ではヴィシュヌが最高神として扱われる。しかしいずれの宗派でも信仰は多神教的な性格をもっており、それぞれでシヴァとヴィシュヌが、加えてデーヴィ(ヒンドゥーの女神ら)が崇拝される。どちらの聖典にも排他的要素は含まれておらず、例えばヴィシュヌ派のバーガヴァタ・プラーナではクリシュナ(ヴィシュヌの化身)をブラフマンとして礼賛する一方でシヴァとシャクティ(シヴァの配偶神の1柱)も同じブラフマンの顕現した姿だとして称える。一方のシヴァ派でも同様にヴィシュヌが称えられる。例えばスカンダ・プラーナ英語版)では以下のように語られている。

ヴィシュヌはシヴァ以外の何者でもない。そしてシヴァと呼ばれる神は他でもないヴィシュヌと同一である。

スカンダ・プラーナ、1.8.20-21[149]

双方の信仰に、シヴァとヴィシュヌのどちらが優れているかを競うエピソードや、シヴァがヴィシュヌに敬意を払う、またはヴィシュヌがシヴァに敬意を払うという挿話が存在している。サロジ・パンゼイ(Saroj Panthey)によればこれら双方の聖典、絵画などに見られるお互いを敬う描写は、彼らの持つ相互補完的な役割の象徴である[150]。マハーバーラタではブラフマンはシヴァとヴィシュヌと同一であると[151]、そしてヴィシュヌはシヴァの至高の姿であり、シヴァはヴィシュヌの至高の姿であると語られている[152]

シャクティ派

詳細は「シャクティ派」を参照

ヒンドゥーの女神を重視するシャクティ派では、根本原理、普遍の現実であるブラフマンを女神(デーヴィ)であるとし、男性神を女神の同等かつ補完的なパートナーとして扱う。このパートナーはシヴァか、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)である。

リグ・ヴェーダの賛歌、デーヴィ・スークタ(Devi Sukta)には女神を崇拝するこの信仰の最も早い痕跡がシヴァ・ルドラの文脈とともに見つけられる。

私は女王であり、宝を集めるものであり、もっとも慈悲深く、何よりもまず帰依する価値のある存在である。
    こうして神々は私をあらゆる場所に、わたしが住まう家とともに作り出した。
物を見、息をし、発せられた言葉を聴く者たちは、私を通してのみ日々の糧を得る。
    彼らは、私が宇宙の原理の中に住まうことを知らない。一同皆聴け、私の宣言する真実を。

私はたしかに宣言する。神も人も同様に歓迎しよう。
    私は私を慕うものを並外れて強い者にしよう。彼を豊かに育まれた者にしよう。賢人にしよう。ブラフマンを知るものにしよう。
ルドラ(シヴァ)のために弓を曲げよう。彼の放つ矢は不信心な者を滅ぼすだろう。
    私は人々のために戦えと命令を下そう。私は地上と天界とつくり、彼らの内側の支配者として住んでいる。
(以下略)

リグ・ヴェーダ、デーヴィースークタ 10.125.3 – 10.125.8、

シャクティ派の理論を説明しているデーヴィ・ウパニシャッド英語版)では第19詩にてシヴァに触れ、称えている。シャクティ派にとってバガヴァッド・ギーターと同等の価値を与えられている聖典、デーヴィー・マーハートミャではシヴァはヴィシュヌとともに礼賛されている[163][164]アルダナーリーシュヴァラという神格のコンセプトは、多くのヒンドゥー寺院、文献に見られるテーマであり、半分は男性で半分は女性であるという状態が象徴的に表現され、シヴァと女神シャクティの融合を表現している。。

スマールタ派

詳細は「パンチャヤタナ・プージャ英語版)」を参照

スマールタ派ではシヴァはパンチャヤタナ・プージャ英語版)(儀式)で信仰されるの神の内の1人である[167]。この儀式には5柱の神々を象徴する偶像が用いられる。パンチャヤタナ・プージャにおいてはこの5柱は同等なものとして考えられており[167]、それぞれが五つ目型英語版)(さいころの5の形)に並べられる[168]。シヴァ以外にはヴィシュヌ、いずれかのデーヴィ[注 13]スーリヤイシュタデーヴァター英語版[注 14]の偶像がこの儀式に用いられ信仰される[169]