進化心理学【前半】序概説
至近因と究極因
詳細は「ティンバーゲンの4つのなぜ」を参照
心理学の伝統的なアプローチは至近因に関する研究と言うことができる。進化心理学は至近因を形作った究極因に注目する。進化心理学者が特定の行動や心の働きを「適応的」だと言うとき、それはその行動が(少なくとも祖先の環境では、平均的には)生存と繁殖成功を高めたという意味だが、「個人が生存と繁殖成功を高めることを動機として行っている」と言う意味ではない。自然選択の結果、それは一種の直観(例えば道徳的判断のような)あるいは学習の傾向(甘い物は好みやすい、高所やヘビに対する恐怖を身につけるのはたやすいというような)としてあらわれると予測できる。
進化適応環境
進化適応環境(Environment of evolutionary adaptedness、EEA)とは生物の適応を形作った選択圧の統計的な複合物のことを指す。通常、進化心理学者は更新世の石器時代の環境を強調する。しかしEEAは特定の場所、特定の時間を意味していない。ある適応を形作った選択圧や環境と、別の適応を形作った選択圧や環境が同じであるとは限らない。例えば地球の明るさ(それは我々の眼を作った)は大まかには数億年以上一定であった。
行動は化石にならないために、過去の心理を特定するのは不可能であると主張されるが、祖先のことについて数多くのことが知られている。我々の祖先に眼があったことはほぼ確実で、その眼は外部の情報を取得するのに使われた。バロン=コーエンはそれを用いて人がどのように他人の心を読むのかを研究した。祖先の時代にはまた物理法則が日々を支配し、男と女はつがいになり、怪我をすれば出血し、捕食者や寄生虫、病原菌の危険にさらされ、兄妹と結婚すれば有害な表現型に苦しめられた[5]。
心のモジュール性
詳細は「心のモジュール性」を参照
ジェリー・フォーダーが心のモジュール性を提唱すると、進化心理学者はこれを支持した。そしてフォーダーが想定した以上のモジュールを仮定した。これを大量モジュール仮説(Massive Modular Hypothesis、MMH)と呼ぶ[7]。モジュールがどのように存在するか、高次の認知プロセスもモジュール化されているのか、モジュール同士がどれだけ独立しているかなど詳細には合意がない。以下の説明はレダ・コスミデス、ジョン・トゥービーらの想定するモジュールである。モジュールは通常、領域特異的、あるいは内容特異的システムなどと呼ばれる。より高次の認知能力や、極端な行動主義で想定されていた汎用学習装置は領域一般的システムなどと呼ばれる。
- 領域一般的
- 情報処理装置は領域一般的であっても、同時に専門的機能を持つことがあり得る。それは多くのモジュールに作用することができる。古典的条件付けとオペラント条件付けは適例を提供する。伝統的な視点では、時間的・空間的な連続性が学習装置に刻みつけられると考えたが、適応主義的アプローチでは条件付けを引き起こすメカニズムは野生で効率的に採餌するために機能が特化されていると考える。報酬の量は餌を探し回る状況によって異なるために、上手く設計された装置は程度の違いに敏感でなくてはならず、採餌率の変化に気付かなければならない。
- 領域特異的
- 領域制限された装置は内容を与えられることができる。例えば人間の顔認識モジュールは幼児が両親の顔を見分けるのに役立つが、植物を認識するのには役に立たない。このような内容(や傾向)を含んだ専門領域は、内容のない推論システムよりも急速な学習を可能とする。
大量モジュール仮説では顔、感情、場所、動物、ヘビ、体の部位、果物と野菜、植物、血などを即座に判別する認識モジュールがあると考える。また認知的発達の研究はいくつかの専門化された推論モジュールが存在することを示唆する。例えば素朴心理学、素朴生物学、素朴物理学、数の概念などである。自閉症や前頭葉を損傷した人は他者の心を推論するのが上手くないが、他の物理的推論能力はおおむね平常である。コスミデスらは人間の多目的で柔軟な思考と行動は、多数の進化的な専門システムを含む認知構造の上に成り立つと考える[4]が、ポール・ロジンのような他の人々は各モジュールの相互作用が一般認知能力だと考える。
心の生得性への進化心理学的視点
本能と理性や学習は対極にあるとみなされ、ヒトは本能が消失していると考えられることがあるが、しかし直観的推論や学習には次のような特性がある。
- 複雑に特殊化されていて適応問題を解くことができる
- 通常、全ての人に確実に発達する
- 意識的な努力無しでも発達する
- 認識せずとも作動する
- 知的に振る舞うと言うような他の一般的な能力とは明らかにことなる
プログラムの出力は一種の直観となってあらわれる。網膜の働きに意識的にアクセスできないように、その動作に気付くことはない[5]。
生まれと育ちのどちらが相対的に重要かという議論に対しては(他の認知科学者と同様に)進化心理学者は生まれか育ちか、本能か理性か、生得的か経験的か、生物学的か文化的かという単純な二分法を否定する。環境が個体に与える影響は、進化的に形作られた認知機構の詳細に強く依存する。環境の影響は生得論と一貫性がある。
全ての種には、種普遍的、種典型的な進化的に形作られた構造がある。しかしそれは(全く同一の胃が無いように)個性がないという意味ではない。「認知的構造」は遺伝子と環境の産物である。それは人間の(特に祖先の)通常の環境の範囲内では確実に発達するような性質を持っている。進化心理学者は発達において遺伝子が環境以上に、生得性が学習以上に重要な役割を果たすとは仮定しない[4]。
標準社会科学モデル
詳細は「標準社会科学モデル」を参照
進化心理学者はヒトの心を空白の石版と仮定する経験主義を標準社会科学モデル(Standard Social Science Model、SSSM)と呼んで批判した。極端な行動主義もこれに含まれる。
しかしオペラント条件付けでさえ、報酬の頻度によって振る舞いを変えるような複雑な学習プログラムが無ければ働かない。古典的条件付けはより率直に多くのプログラムの存在を仮定する。どのような行動であれ、プログラムと環境からの入力の相互作用によって引き起こされる。
一部の人は、生まれた時から存在しないのであればそれは学習の結果であると見なす。しかし、例えば高所恐怖症は這うことができない赤ちゃんには存在しない。それは学習していないからだと主張できると同時に、自然選択が這うことができない赤ちゃんに高さへの忌避を与える必要がなかったからであるとも主張できる。
社会生物学・人間行動生態学
進化心理学は(人間)社会生物学や人間行動生態学、ヒューマン・エソロジーと同一視されることがある。進化心理学者は通常、社会生物学の支持者であり擁護者である。しかし社会生物学は自然選択の働きに注目し、計算機理論やより心理学的な側面へ関心を向けなかった。生物は適応度を最大化しようとしているように見えるが、その行動が適応度の最大化と一致するかどうかとは関係なく、自然選択が形作った神経プログラムを実行している。選択圧を知ることは重要だがそれだけではヒトの行動は説明できない。社会生物学が動物行動学とは異なるように、進化心理学と社会生物学は異なる[5]。
進化心理学は人間行動を支える精神メカニズムの発見と、それを作った選択圧の解明に注目する。また多目的学習装置よりも専門化された認知モジュールを行動の基盤として重視する。人間行動生態学は行動そのものと、行動に影響を与える生態的制約に注視する。二重相続理論は文化と遺伝子の相互作用を重視する。つまり文化が遺伝的進化に与える役割を強調する[8]。しかしこれらの視点は矛盾するのではなくて、補い合うことができる。
応用と発展
人間の行動のうち、生存・繁殖の成功の役に立たないように思われる行動(非適応的行動)や形質についての議論もある。たとえば同性愛のようなマイノリティの性向や、殺人・人種差別のような反社会的な行動、精神疾患などは本当に非適応的なのかという議論。若いうちに自殺することは完全に非適応的な行動だが、これには何の積極的な適応的意義もないのか、自ら命を絶つことは別の何らかの適応的な心理メカニズムの誤作動によって生じているのだろうかといった議論がある。このような社会的タブーに関連する研究には、人差別や犯罪の正当化に繋がる、あるいは正当化を試みているなどの批判がある。それに対して、人の本性を無視するよりは直視し理解する方がより良い社会を作るために有益である、人の本性を研究することと社会的・政治的に犯罪や差別を認めることは全く別の問題であるなどの反論がある。
隣接した分野に、幼児は不完全な大人ではなくてそれぞれの発達段階で適応しているのだと考える進化発達心理学や、D.S.ウィルソンが提唱している宗教を進化の視点から解明する事に注目した進化宗教学などがある。進化心理学は進化生物学と同様に非常に学際的な分野である。心理学、人類学、社会学はもちろん動物行動学、霊長類学、行動遺伝学、神経行動学、進化ゲーム理論など新しい分野の学問からも影響を受けている。
議論史
人間の心と行動の進化の研究はチャールズ・ダーウィンの1871年の著作『人類の起源と性に関連した淘汰』まで遡ることができる。ダーウィンはヒトの感情や道徳心も自然選択などによって形作られたと論じた。ダーウィンの影響を受けたジョージ・ロマネスは比較心理学を創設しヒトと動物の連続性を説いた。アメリカでは同時期にウィリアム・ジェームズとウィリアム・マクドゥーガルが「本能」の概念を用いてヒトの行動を説明した。しかし彼らの機能主義的な説明はその後心理学ではあまり顧みられなかった。
19世紀末から20世紀初頭には、社会ダーウィニズムや優生学的政策への反発として心理学を生物学的説明から切り離す試みが進んだ。ジョン・ワトソンは行動主義を立ち上げ、その視点はバラス・スキナーによって強化された。社会学や人類学ではフランツ・ボアズやその弟子たちによって生物学的説明は顧みられなくなった。
1950年代にはノーム・チョムスキーが生成文法を提唱しスキナーを批判した。エリック・レネバーグは単一の汎用学習システムが複雑な学習を全てこなせるという仮定について疑問を提示した。またアラン・チューリングらによって心の計算理論の基盤が築かれた。1960年代には初期の動物行動学者が本能の概念を復活させ、行動の生得性を強調した。しかしこの時代にはまだヒトの行動の生得性や遺伝的基盤を論じることはファシストと見なされる風潮があり、動物行動学の視点から人間の攻撃性を論じたコンラート・ローレンツやデズモンド・モリスは批判を浴びた。またその頃の進化学者の視点は一般的に種の保存論であった。同じ頃W.D.ハミルトンは血縁選択説を提唱し、進化を遺伝子の視点から捉える新しいアプローチを発見した。G.C.ウィリアムズは種の保存論を批判し、それが理論的に成り立たないことを指摘した。そして自然選択がどのように働くかを厳密に考慮する適応主義的アプローチを提唱した。この頃に行われた進化的な視点の他の分野への応用はジョン・ボウルビィの愛着理論やナポレオン・シャグノンのヤノマミ族の血縁性の研究などが挙げられる。
1970年代以降、互恵的利他主義やESSといった理論も提唱され、自然選択がどのように利他的行動、血縁関係、協力、つがい、採餌、繁殖、子育てなどの複雑な社会行動を進化させたかを明らかにした。この分野には社会生物学あるいは行動生態学という呼称が付けられたがE.O.ウィルソンやリチャード・ドーキンスの著作をきっかけとして社会生物学論争が起きる。この論争は科学分野を超え、進化理論を人間行動の理解に用いることに対して政治的、倫理的、社会的批判も行われた。1980年代にミシガン大学やカリフォルニア大学で社会生物学者から教育を受けた心理学者、人類学者らはこの新しいフィールドに進化心理学という名を付けた。レダ・コスミデス、ジョン・トゥービー、ジェローム・バーコウは1992年に論文集『The Adapted Mind』を出版し、進化心理学の成立を宣言した。
コスミデスらは進化心理学の基盤となった分野を次のように説明している[5]。
- 認知革命は人間の心が情報処理装置と見なせることを明らかにした
- 古人類学、狩猟採集民研究と霊長類学の進歩は我々の祖先が直面したであろう問題に関するデータを提供した
- 動物行動学、言語学、神経心理学は心が受動的に世界を記録する空白の石版でないことを示した
- 進化生物学は漠然とした種の利益論法を否定し、より厳格な適応主義を発展させた。