今でも放射線量が高レベル。核実験によりできた、旧ソ連の負の遺産 「チャガン湖」
2016年02月21日 ι コメント(48) ι 知る ι 自然・廃墟・宇宙 ι #
米ソ冷戦時代真っただ中の頃、ソ連(現ロシア)は核使用の可能性を試すために、カザフスタン北東で核実験を開始した。国家経済のための土木作業、運河や貯水池の建設、石油の採掘などの平和利用が目的という大義名分のもとに数々の核実験を行なったのだ。
これはアメリカが考案した、プラウシェア計画のソビエト版といえよう。アメリカからこのおぞましいアイデアを拝借して、ソ連はアメリカを上回るさらに多くの核実験を始めた。アメリカは27回の実験を行って、やっとこれがいいことではないと理解して1977年に中止したが、ソ連は1989年まで実に156回にものぼる核実験を執拗に行った。
Soviet nuclear test. Chagan. Atomic Lake.
核実験の結果できたアトミックレイクであるチャガン湖の水は、危険なレベルの放射能で汚染されていて、魚は棲めないし、岸辺に鳥やほかの動物もいない。もちろん人間が泳ぐこともできない。常に悪臭を発しているこの湖の水は、近くのイルティシ川に流れ込んでいる疑いが高まっている。この川はシベリア、ひいては北極海のカラ海までつながっている。
カザフスタンのセミパラティンスク実験場のはずれにあるチャガンでの1965年1月の実験はよく知られているもののひとつだ。貯水池を作るのに核爆発が有効かどうかを試すもので、国家経済計画のために行われた核爆発の中で、初めての最大規模の実験だった。
140キロトンの爆弾をチャガン川の乾燥床の178メートルの深さの穴にセットして、爆発によって直径400メートル、深さ100メートル、淵までの高さ20~38メートルのクレーターができた。このクレーター口が水量が多い時期に川をせき止め、のちに、クレーターの中に水路が引き込まれて水が貯められて貯水池となった。
この貯水池は、今では非公式ながらチャガン湖と呼ばれ、現在も存在している。水は相変わらず放射能を帯び、その値は飲料水として許容できるレベルのおよそ100倍近く高いが、100~150メートル離れると線量レベルは基礎濃度になる。この湖ができた当時、ソビエト政府は大喜びして、自国の核兵器計画全体を紹介するビデオを制作した。湖で泳いでみたり、湖水を近隣の家畜に飲み水として与えたりする場面まで出てくる。
チャガン実験でできた放射性物質の20%が爆心地から放出され、日本にもその影響が見られた。この事実は、大気中試験を禁止した1963年10月の部分的核実験禁止条約に違反したとして、アメリカを激怒させた。それに対して、ソ連はこれは地下試験で、空中に放出された放射性物質の量はたいしたことはないと主張した。その後多くのやりとりがあったが、結局は、この問題はいつの間にか立ち消えになった。
via:charismaticplanet・translated konohazuku / edited by parumo