10世紀(じっせいき)とは、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最後の世紀である。
目次
1 できごと
1.1 900年代
1.2 910年代
1.3 920年代
1.4 930年代
1.5 940年代
1.6 950年代
1.7 960年代
1.8 970年代
1.9 980年代
1.10 990年代
1.11 1000年代
2 フィクションのできごと
3 人物
3.1 東アジア
3.1.1 唐
3.1.2 五代十国
3.1.3 北宋
3.1.4 契丹
3.1.5 朝鮮
3.1.6 日本
3.2 イスラム世界
3.2.1 サーマーン朝
3.2.2 カラハン朝
3.2.3 ガズナ朝
3.2.4 ブワイフ朝
3.2.5 ファーティマ朝
3.2.6 後ウマイヤ朝
3.2.7 学者・詩人
3.3 南アジア
3.4 キリスト教世界
3.4.1 フランス王国
3.4.2 神聖ローマ帝国
3.4.3 イタリア
3.4.4 東ローマ帝国
3.4.5 東欧
3.4.6 北欧
3.4.7 アイスランド
4 脚注
5 関連項目
できごと
清涼殿落雷事件。この落雷は昌泰の変で大宰府に流された菅原道真の怨霊によるものと恐れられ、道真は北野天満宮の祭神となった。画像は「北野天神縁起絵巻」。
かな文字の誕生。日本独特の美意識の発展とともにかな文字が成立し、和様の書が生まれた。画像は万葉仮名から平仮名へと移行する段階の「草仮名」で書かれた「秋萩帖」で小野道風によるものと伝わる。
宋の建国。唐の滅亡以後、半世紀にわたる五代十国の混乱にあった中国も趙匡胤が宋の初代皇帝太祖として即位するに及び安定した時代を迎えた。画像は故宮博物院所蔵の太祖趙匡胤の肖像。
キリストから加冠される皇帝コンスタンティノス7世の象牙彫刻。この皇帝の治世に東ローマ帝国はマケドニア朝ルネサンスと呼ばれる文芸復興の時代を迎えた。
聖公ウラディーミル1世の洗礼。東ローマ皇女アンナとの結婚を期に洗礼を受けキリスト教(東方正教会)に改宗しロシア・ウクライナ史に大きな影響を与えた。
神聖ローマ皇帝の帝冠(ウィーン・ホーフブルク宮殿蔵)。オットー1世が皇帝となり以後代々のドイツ王が神聖ローマ皇帝位を占めることになった。
紀元1000年のヨーロッパ。新しい世紀の到来は期待と不安が混じったものだった。画像は950年代に描かれたスペインのサン・ミジャン修道院のベアトゥス『黙示録注解』写本(エル・エスコリアル修道院蔵)。
マジャール人の定着。遊牧民族マジャール人もパンノニア平原に定着し、紀元1000年にはキリスト教を受容してハンガリー王国を成立させている。画像はハンガリー初代国王イシュトヴァーン1世がジュラの街を制圧したことを描く14世紀の年代記の挿絵。
アズハル大学。ファーティマ朝時代にカイロのアズハル・モスク付属大学として設置された世界で最も古い大学である。
サーマーン朝の発展。この王朝の時代に東方イスラム世界でのペルシア文化の復興が進んだ。画像はブハラにある中央アジア最古の建造物イスマーイール・サーマーニー廟。
チョーラ朝芸術の最盛期。画像はこの時代を代表する「舞踏の王」ナタラージャとしてのシヴァ神像(ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)。
プランバナン寺院群。ジャワ島で繁栄した古マタラム王国のバリトゥン王時代に着工され、続く王ダクサによって完成をみたヒンドゥー教の大寺院。
イェリング墳墓群。デンマークのハーラル青歯王がキリスト教への改宗したことを記念してルーン文字で刻まれた石碑である。
日本では平安時代中期に差し掛かるころである。律令国家体制を支えていた古墳時代以来の在地首長階層と彼らに率いられていた伝統的な地域共同体が急速に没落し、それに依存していた班田や戸籍による地方統治や税収が困難となる。この地方社会の変動への対策として地方に赴く筆頭国司(受領)に大きな権限を与え、あらたに経済力を握り台頭してきた富豪層を負名に編成し、田堵として公田経営を請け負わせる王朝国家体制への社会変動で律令制は形骸化した。受領の国衙統治において私的武力を蓄えた富豪層を統制する軍事警察力を担う階層として武士が登場することで中世社会への変化が本格的に生じる。
900年代[編集]
詳細は「900年代」を参照
901年
藤原時平により菅原道真が大宰府へ左遷される(昌泰の変)。
元号が「昌泰」から「延喜」に替わる(延喜の治)。
六国史の最後となる『日本三代実録』が完成する。
唐の昭宗皇帝が長安から李茂貞支配の鳳翔に逃亡( - 903年)。
902年
鄭買嗣が南詔を滅ぼす。
延喜の荘園整理令院宮王臣家が荒田閉地を請占するを禁ずる。
903年 - 大宰府にて菅原道真没。
904年 - 朝鮮半島で弓裔が摩震(のち泰封)を建てる。
905年
唐で白馬の禍が起きる。
『延喜式』編纂開始。紀貫之・紀友則・壬生忠岑らが『古今和歌集』を撰進。
アッバース朝がトゥールーン朝を滅ぼす。
906年
マジャル人によりモラビア王国が滅亡。
モースルのハムダーン朝が独立。
907年
宣武節度使の朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国。五代十国時代の始まり。
契丹(遼)の耶律阿保機が即位。
日本で『延喜格』が完成する。
909年には『延喜格』を頒下、910年には諸国に『延喜格』を写させる。
ルーシ・ビザンツ条約(911年に改定)。
この通商条約により「ヴァリャーグからギリシャへの道」が完成する。
909年
チュニジアにシーア派のファーティマ朝が成立。
メキシコのチャパス州トニナーの記念碑101号に暦日が記録される。
この記録を最後に古典期マヤ諸都市が放棄されたとみられ記録は途絶、以後は後古典期と呼ばれる。
910年代[編集]
詳細は「910年代」を参照
910年
フランス中東部にクリュニー修道院が設立される。
イベリア半島のレオン王国でガルシア1世が即位し領土拡張を開始。
911年
東フランク王国でカロリング朝が断絶。
フランケン大公コンラート1世が東フランク王に選出され、ドイツ王国フランケン朝(コンラディン家)が成立。
サン・クレール・シュール・エプト条約で、ノルマン人の首長ロロがノルマンディー公国を樹立。
912年 - 『延喜式』の編集を促進させる。
913年
東ローマ帝国でコンスタンティノス7世が即位(- 959年)。
この文人皇帝は学者を集め、自らも『儀式の書』『帝国統治論』他を執筆し、「マケドニア朝ルネサンス」の中心として活躍。
ブルガリア王シメオン1世がコンスタンティノポリスに入城し皇帝を称す。
914年 - オルドーニョ2世が即位しオビエドからレオンに遷都(アストゥリアス王国がレオン王国となる)。
915年 - ガリリャーノ川の戦いで、ローマ教皇とイタリア諸侯(スポレート公など)連合軍がイスラム教徒を撃退。
その功績によりイタリア王ベレンガリオ1世が皇帝として認められる。
918年
朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。
遼の耶律阿保機が上京臨潢府(皇都)を新都に定める。
919年 - ハインリヒ1世が東フランク王に即位し、ドイツ王国ザクセン朝(リウドルフィング家)が成立。
920年代[編集]
詳細は「920年代」を参照
920年 - 遼の耶律阿保機が契丹文字を制定させる。
921年
ボン条約により東フランク王ハインリヒ1世と西フランク王シャルル3世が王位を相互承認。
空海に「弘法」の大師号が贈られる。
922年 - 西フランク王シャルル3世が廃位され、ロベール1世が西フランク王となる。
923年 - 李存勗が後梁を滅ぼし、洛陽を都に後唐を建国。
925年頃 - トミスラヴがクロアチア王となる。
926年 - 契丹(遼)が渤海を滅ぼす。
927年 - アラヴィー朝を倒しカスピ海南岸にズィヤール朝が成立。
928年 - ジャワ東部にクディリ朝が成立。
929年 - 後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がカリフを称し、東西にカリフが分立する。
930年代
詳細は「930年代」を参照
930年
清涼殿落雷事件。醍醐天皇が没し第61代朱雀天皇が即位。藤原忠平が摂政就任。
イスマーイール派の分派カルマト派の信者がメッカのカーバ神殿から黒石を奪取( - 951年)。
アイスランドで世界最古の近代議会「アルシング」が創設。
932年 - イラン系シーア派のブワイフ朝が興る。
933年 - 上ブルグンド王国が下ブルグンド王国を併合する(アルル王国)。
935年
平将門・藤原純友による承平天慶の乱が始まる(- 941年)。
呉越国の使者蔣承勲が来日。
翌年には左大臣藤原忠平が蔣承勲に託して呉越国王銭鏐への書状を送る。
高麗が新羅を滅ぼす。
エジプトにイフシード朝興る。
935年頃 - 紀貫之が最初の仮名日記である『土佐日記』を著す。
936年
高麗が後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一する。
石敬瑭が後唐を滅ぼし後晋を建国。建国に協力した契丹(遼)が後晋から燕雲十六州を獲得する。
オットー1世がドイツ王に即位する。
伝承ではイラン東北部ホラサン地方からインドのグジャラート地方にゾロアスター教徒が移住する(パールシーの起源)。
937年
中国の雲南地方でタイ系の段氏が大理国を建国する。
ブルナンブルフの戦いでイングランド王アゼルスタンがスコットランド・ストラスクライド・ダブリンの連合軍に勝利。
939年 - ベトナムで呉朝が成立。
940年代[編集]
詳細は「940年代」を参照
940年 - 平将門の乱が終わる。
940年頃 - サトゥク・ボグラ・ハンがベラサグンを都としてカラハン朝を建国。
941年 - 藤原純友の乱が終わる。藤原忠平が関白就任。
943年 - シーア派(イスマーイール派)に接近したサーマーン朝のナスル2世が廃位され息子のヌーフ1世が即位。
944年 - 東ローマ皇帝ロマノス1世レカペノスがエデッサ占領により獲得した「キリストの自印聖像(エデッサのマンディリオン)」をコンスタンティノポリスに移送する。
946年
朱雀天皇が譲位し、第62代村上天皇が即位(天暦の治)。
ブワイフ朝のバグダード入城。
ムイッズ・ウッダウラがアッバース朝カリフからアミール・アルウマラー(大アミール)の称号を得る。
契丹の耶律堯骨(太宗)が大梁(開封)を陥落させ後晋を滅ぼす。
947年
契丹が華北を放棄し、開封を占領した劉知遠が後漢を建国。
菅原道真を祭神とする北野天満宮が創建される。
950年代[編集]
詳細は「950年代」を参照
950年 - 村上天皇が内裏歌合を催行。
950年頃
トンガがトゥイ・トンガにより統一される。
チャンデーラ朝のダンガ王が即位し、プラティーハーラ朝から独立。
クシ系アガウ族の女族長グディットによりアクスム王国が滅ぼされる。
951年
村上天皇が『後撰集』の編纂を下命。
郭威が後漢を滅ぼし、後周を建国。
ドイツ王オットー1世のイタリア遠征。ブルグントのアーデルハイトと結婚しイタリア王を兼任する。
フランスのル・ピュイ司教ゴデスカルクによる最古のサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の記録がされる。
953年 - ドイツ王オットー1世に対する息子リウドルフと娘婿コンラート赤毛公の反乱。
954年
イングランド王エドレッドがヨーク王エリックを倒しデーンロウを征服。
『ハザール書簡』が交わされる( - 961年)。
後ウマイヤ朝ユダヤ人ワズィールのハスダイ・イブン・シャプルトとハザールのヨセフ・カガンとの間で交わされたもの。
955年
ドイツ王オットー1世がレヒフェルトの戦いでマジャル人に勝利する。
後周の世宗が廃仏を行う(三武一宗の法難の最後)。
957年 - キエフ大公国王母オリガが東方正教会に帰依する。
958年
高麗で科挙制度が採用される。
皇朝十二銭の最後「乾元大宝」が鋳造発行される。
「乾元大宝」の鋳造発行が停止された963年以後、江戸時代の「慶長通宝」まで日本の公鋳貨幣は途絶えることになる。
960年代
詳細は「960年代」を参照
960年
ミェシュコ1世がポーランド王国を建てる。
カラハン朝のテュルク系民族がイスラム教に集団改宗する。
陳橋の変で帝位についた趙匡胤(太祖)が宋を建てる。
平安遷都以来初めて内裏が全焼する(天徳4年の内裏焼亡)。
960年代 - 東ローマ帝国で最古の百科事典『スーダ辞典』が編纂される(- 970年代)。
961年 - イベリア半島でカスティーリャ伯領成立。
962年
ドイツ王オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世から帝冠を受け、神聖ローマ帝国が成立する。
アフガニスタンでトルコ系のガズナ朝が成立。
963年 - アトスのアタナシオスが東ローマ皇帝ニケフォロス2世から勅許を得て、アトス山にメギスティ・ラヴラ修道院を建設する。
965年
北欧でハラール青歯王が洗礼を受ける。
キエフ大公スヴャトスラフ1世の遠征によりサルケルとイティルが攻略されハザールが滅ぼされる。
966年 - ベトナムで丁朝が成立。
967年
村上天皇が没し、第63代冷泉天皇が即位。
藤原実頼が関白就任。
968年
東ローマ皇帝ニケフォロス2世フォカスがアンティオキアを占領。
東ローマ帝国はヘラクレイオス帝以来約330年ぶりにイスラム勢力からアンティオキアを奪回した。
神聖ローマ皇帝オットー1世がマクデブルク大司教座を設置する。
レオン王国北西ガリシアに上陸したヴァイキングをガリシア貴族ロセンドらが撃退する。
969年
ファーティマ朝がエジプトに進出してイフシード朝を滅ぼす。
源満仲の讒言により左大臣源高明が左遷される安和の変が起こる。
冷泉天皇が譲位し、第64代円融天皇が即位。藤原実頼が摂政就任。
高麗の使節が対馬国にくる。
東ローマ皇帝ニケフォロス2世フォカスが暗殺され、甥のヨハネス1世ツィミスケスが即位する。
970年代
詳細は「970年代」を参照
970年 - 藤原伊尹が摂政就任。
971年 - 宋が南漢を滅ぼす。
972年
藤原兼通が関白就任。
ペチェネグ族がドニエプル川河畔でキエフ大公軍を壊滅させ、スヴャトスラフ1世を戦死させる。
神聖ローマ皇帝オットー2世と東ローマ帝国皇女テオファヌの結婚。
973年
デカン高原でタイラ2世がラーシュトラクータ朝を倒しチャールキヤ朝を再興する。
ファーティマ朝がイフリーキヤのマフディーヤからエジプトのカイロに遷都。
クリュニー修道院院長マヨルスがアラブ人海賊により南フランスのフラクシネートゥムで拉致される。
プロヴァンス伯ギョーム1世が報復として南フランスからアラブ人を駆逐。
975年
宋で最初の殿試が行われる。
宋が南唐を滅ぼし金陵を占領。
東ローマ皇帝ヨハネス1世・ツィミスケスがアレッポほかシリア・パレスティナを占領。
976年
東ローマ帝国でバシレイオス2世が皇帝に即位( - 1025年)。東ローマ帝国は最盛期を迎える。
神聖ローマ帝国がオーストリアにバーベンベルク家の辺境伯領を設ける。
宋の太祖が急逝し、実弟趙光義が太宗として即位(千載不決の議)。
977年 - 藤原頼忠が関白就任。
979年 - 宋の太宗が北漢を滅ぼして中国統一する。続く高粱河の戦いで宋は遼に敗北し燕雲十六州の回復を断念。
980年代
詳細は「980年代」を参照
980年 - マルギュ・シュール・シェール条約で、神聖ローマ皇帝オットー2世と西フランク王ロテールが講和。
981年 - 西ガンガ朝のチャムンダラヤによりシュラバナベルゴーラにジャイナ教祖師ゴーマテーシュヴァラ(バフバーリ)の像が建てられる。
984年
円融天皇が譲位し、第65代花山天皇が即位。
日本僧奝然が宋の太宗に拝謁し、法済大師号と宋版大蔵経を賜与される。
986年
遼が宋に侵入する(岐溝の戦い)。
寛和の変により、花山天皇が退位させられる。
第66代一条天皇即位。藤原兼家が摂政就任。
987年
西フランク王国でカロリング朝が断絶。
ロベール家のユーグ・カペーが国王に選出されカペー朝フランス王国が始まる。
バルセロナ伯ボレイ2世がカペー朝フランスから自立する。
988年
キエフ大公ウラディミル1世が東ローマ帝国皇女アンナと結婚し、東方正教会に改宗する。
カイロのアズハル・モスク(972年完成)付属のアズハル大学が設置される。
世界創造紀元が東ローマ帝国ではじめて公式に使用される(この年は6496年と算定される)。
989年 - シャルー教会会議で最初の「神の平和(パックス・デイ)」が布告される。
990年代
詳細は「990年代」を参照
990年
藤原兼家が関白就任。藤原道隆が摂政・関白就任。
司教フベルトゥスによってシャルトル大聖堂付属学校が設立される(シャルトル学派の始まり)。
991年
イングランドにノルウェー王オーラフ1世来襲する。デーンゲルドの徴収始まる。
一条天皇の生母で皇太后藤原詮子に「東三条院」の院号が贈られる(女院の始まり)。
993年
延暦寺から慶祚ほか智証派(円珍派)が山を下りて園城寺に入り、天台宗は延暦寺の山門派と、園城寺の寺門派に分裂する。
この頃清少納言が『枕草子』を記す(成立年代については諸説あり)。
995年
藤原道兼が関白に就任するが、就任後12日で死亡し「七日関白」と称される。
藤原道長が内覧となり、事実上の摂政となる。
996年
長徳の変により中関白家の藤原伊周・隆家兄弟が失脚する。
ロベール2世がフランス王として即位、しかし再婚問題が原因で教皇グレゴリウス5世に破門される。
997年
ハンガリー大公ゲーザの死により息子イシュトヴァーン1世が後を継ぐ。
後ウマイヤ朝の大臣アル・マンスールがサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を破壊する。
奄美島人が対馬・壱岐に来襲。
999年 - カラハン朝のイリグ・ハンがブハラを占領しサーマン朝を滅ぼす。
1000年代
詳細は「1000年代」を参照
1000年
イシュトヴァーン1世が戴冠式を行い、正式にハンガリー王国が成立する。
『チャム王家年代記』によるとヴィジャヤ朝チャンパ王国が成立する。
1000年頃 - アイスランド人のレイフ・エリクソンがヨーロッパ系としてはじめて北アメリカ大陸に到達。
この地はヴィンランドと名づけられ、入植活動が行われる。ニューファンドランドのランス・オ・メドー遺跡がそれに相当するか。
フィクションのできごと[編集]
928年 - 旅の僧安珍が清姫に懸想され逃亡するも、紀州道成寺の大鐘の中で蛇体と化した清姫に焼き尽くされる(『大日本国法華験記』ほか「安珍・清姫伝説」)。
930年 - 信貴山の命蓮が祈祷により、転輪聖王の金輪を転がす剣の護法童子を遣わし、醍醐天皇の病気を平癒させる(『信貴山縁起絵巻』)。
939年以前 - 近江国三上山の百足が琵琶湖の龍神に依頼された藤原秀郷(俵藤太)によって討たれる(「百足退治伝説」)。
940年 - 平安京で晒し首にされた平将門の首級が関東を目指して舞い上がり空中を飛行し武蔵国豊嶋郡芝崎村(東京都千代田区大手町)に落下する(「平将門の首塚伝説」)。
956年 - 藤原師輔が内裏から退出して二条大宮「あははの辻」にて百鬼夜行に遭遇するも「尊勝陀羅尼」を誦して難を逃れる(『大鏡』)。
970年 - 信濃国戸隠の鬼女紅葉が勅命を受けた平維茂によって討たれる(能『紅葉狩』や小説『北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治之傳全』ほか「紅葉伝説」)。
976年 - 比叡山の稚児であった梅若丸が人買いの信夫藤太により連れ出され、奥州に行く途上に隅田川の近辺で病に倒れ12歳で死去。その後その母が安否を尋ね隅田川に来た時に霊となった梅若丸が出現する(木母寺の伝承・能『隅田川』ほか松若丸伝説)。
995年 - 丹波国大江山の酒呑童子が勅命を受けた源頼光と頼光四天王によって討たれる(「酒呑童子伝説」)。
996年以降 - 神聖ローマ皇帝オットー3世のもとへ無実の罪で斬首にされた夫の首を携え無念を晴らすべく伯爵夫人が現れる。夫人は皇帝の面前での神明裁判で熱せられた鉄塊を握りしめ身の潔白を訴え勝利を勝ち取る(「オットーの審判伝説」)。
999年以前 - オーリヤックのジェルベールが、コルドバのアラブ人から魔術を学びその技により悪魔と契約する。やがて彼はシルウェステル2世として教皇となる