どう生きれば自分の人生が一番充実し、本物の自由を満喫できるのかという、ほとんど絶対的とも言えるこの基本を疎かにし、その問題に対する答えを他人の手に委ねるという安直な選択の付けは、生涯にわたって払いつづけることになります
ひとたびその安易な道を歩み始めてしまうと、ほかの道へ切り替えることが不可能に近くなり、あとはもうその日その日を誤魔化して生きる術を身につけ、姑息な気晴らしと気休めの言葉でもって自分を欺いてゆくしかありません。
そしてそういう生き方をする者の数が圧倒的で、周りに同種の人間がひしめいている環境に身を置いていると、いつしかその不自然極まりない理不尽な立場に麻痺してしまい、たとえばサラリーマンの悲哀というような、その程度の自虐の言葉で事の深刻さから免れることができ、愚痴混じりの酒が、醜悪な恋愛ごっこが、ギャンブルへの逃避が、仲間たちとの新年会における空しい限りの気勢が、さも人生の核心であるかのような、また、幸福の証でもあるかのようなとんでもない錯覚に陥り、それでよしとする価値観が固定化されるのです。
そして、あるとき誰かに、その生き方は誤魔化し以外の何物でもありませんと指摘されると、途端にうろたえ、しばらくして今更どうしようもないと居直るか、さもなければ、「説教はごめんだぜ」というお決まりの捨てぜりふにすがりつくかのどちらかです。
しかし、その一方において、極めて少数ではあるのですが、新しい年の幕開けをきっかけにして、本気で生の醍醐味に直結する道へと身を移す者がいることもまた確かな事実です。