スポーツの目的はあくまでも健康の維持であり、それ以上でもそれ以下でもないはずなのですが、職業としてのスポーツ、もしくは、その世界でトップの地位をめざしたり、新記録の樹立を狙ったりするスポーツ界においては本来の目的は蔑ろにされ、異様なほど過激な肉体の酷使が何にも増して優先されています。健康どころか、不健康な日々の繰り返しによって得られるのは、その時限りの名誉や金銭であるのですが、しかし、とことん肉体を痛めつけた付けは必ず強烈なしっぺ返しとなって重大な故障を招くことになり、まだ若くして引退を余儀なくされる原因となるばかりか、引退後に残されている長いはずの寿命を縮める原因にもなっています。
そして、一時はあれほど高まっていたファンたちの声援もみるみる遠のき、今では次の命知らずのアスリートへと移ってしまい、残されたのはメダルやカップや表彰状や記念写真という、思い出としてはまずまずの、しかし、ぼろぼろになってしまった肉体にとっては何の役にも立たない、がらくた同然の代物ばかりです。当人はそれを承知の上で挑んだことなのですから、致し方ないことと言ってしまえばそれまでなのでしょう。けれども、かれらは本当に燃え尽きたあとに待ち構えている、そうした悲惨な末路を覚悟していたのでしょうか。
スポーツの精神的な目的は自立のほかなりません。自立の精神をしっかり身に付けたというのであれば、線香花火のごとき人生設計は描かなかったでしょうし、少なくとも国家からお褒めの言葉を頂戴していたく感激し、人生の頂点を極めたと本気で思いこむような人間にはならなかったでしょう。