敗れて当然の、そして敗れなければならなかった先の戦争によって、図らずもアメリカから押しつけられた、当のアメリカ自身ですら実現不可能な、あまりに理想に走り過ぎた、過酷な現実との落差があり過ぎる、わが国の平和憲法ではあるのですが、しかし、こうした形でしか成り立たなかったであろう憲法を本当に背負っている国が実在するということこそが途方もなく重要なことなのです。
確かに自由と民主を勝ち取るために始めた戦争ではありませんでした。実際にはその真逆の国家をより堅固にするためという、あまりに非人間的な、あまりに理不尽な、あまりに異様な国家を膨張させるための戦争でした。そして圧倒的な破壊力を持った敵国に完膚なきまでに叩きのめされ、多くの血を流し、多くの命を犠牲にしたあげくに、世界に例を見ない憲法を、半ば実験的な意味を込めて押しつけられたのです。
それがすべてとは言いませんが、そのおかげをもって以後戦争に巻きこまれることなく、自然災害と原発犯罪のみを相手に、経済発展の道を歩むことができました。でも、経済の先行きに翳りが見え始め、これまでのような異常とも言える豊かさを享受できないという状況が明白になるにつれて、弱肉強食の世界を生き抜いてゆくには平和憲法が邪魔になっているのではないかという責任転嫁を思いつき、苛立ちをあらわにし、暴力的な地歩を固めておかなければ未来はなく、どうにかして弱体化を食い止めなければ他国の餌食になるだけだと思い詰め、またしてもあの軍国主義に憑依される方向へと自ら進んでにじり寄り、話し合いで回避できないはずはないのに、またしても戦争の予兆に明け暮れる明日へと舵を切りつつあるようです。