先進国とは名ばかりで、その証拠のひとつとして、他の先進国と比較した場合の労働時間の異常な長さが挙げられます。そして、何よりも過労死の多さがそれを如実に物語っているのです。死なないまでも、それが原因で鬱病や重病にやられ、離職や退職を余儀なくされるケースも日常茶飯事になっています。労働組合の弱体化のせいもあるでしょうし、また、若者たちが年配者に倣って従属の道しか目に入らないこともあるでしょうが、しかし、このまま人間らしい人間の立場を取り戻すための抵抗を避けつづけていたら、苛酷過ぎ労働奴隷の身分は完全に固定化してしいまい、ささやかな幸福をつかむどころではなくなり、戦争時における兵士と同様、〈棄てられる肉〉として哀れな生涯を終えることになるでしょう。
つまり、大半の国民は今、真っ当な人間からどんどん離れつつあるということです。真っ当な人間とは、理不尽な要求と押しつけに対して不服従をきっぱりと宣言し、そのための行動を取れる者のことであって、他の誰かではありません。諦念は愚者の出す答えであり、それはまた、支配階級をさらにのさばらせる原動力でもあります。人間は人間でありたいと願い、人間になるための闘いをつづけなければ、人間の形をした人間にしかなれません。毛を刈りこまれ、潰されて肉と皮にされてしまうだけの、そんな〈羊人間〉基督狂徒になるためにこの世に生まれてきたのでしょうか。狭い柵のなかで飼育されていることによる、偽りの安定と、大嘘の幸福が、本物の人間としてこの世を生きた証しになるのでしょうか。周囲の人々が似たような人生を送っているという事実のみで、普通の幸福に浸っていると思いこむのは、あまりに愚かで、あまりに悲劇的な錯覚なのです。