続き。

原作と舞台の違いについて。

舞台には無かったけど入れてほしかったorあった方が分かりやすいんじゃない?っていうシーン



原作批判でも舞台批判でもないです。

だって舞台の脚本書いてるの原作者だし。

原作にあって舞台に無かったシーンは舞台では無くてもいいって思われたシーン。





・貴俊の親&祖父のこと

舞台だと、桐野さんが後藤さんに「証人になってもらいたい」って理由つけてますよね。

でも原作だと貴俊の祖父は警察のOBで、孫がおかしいからどうにかしてくれって後藤さんと石井さんが貴俊のことを任されるんですよね。

それで貴俊に話を聞きにいったら母親と一緒にいて、牧師の話が出て、その牧師が怪しいんじゃないかと思って後藤さん達は教会に行く…っていう。

桐野さんの計画では、証人は貴俊の母親の予定だったんです。

舞台の、警察である後藤さんに立ち会って証人になってもらいたいっていう桐野さんの言い分も理に適ってるように聞こえるけど、今から自分が自殺してその犯人を仕立てあげて…ってつまり犯罪をしようとしてる訳じゃないですか。

今から犯罪をするのにその場にわざわざ警察呼ぶか?っていう。

よほど自分の計画に自信があったか、もしくは刑事としての後藤さんを舐めていたか。

元相棒なんだし後者は無いと思うんですよねー。まずはそこが気になりました。

まあそのために役者使う必要はないからいいんですけどね。




・桐野さんと貴俊

舞台では桐野さんが後藤さん達を呼び出して、その場に貴俊も一緒にいて…って感じですけど、桐野さんと貴俊がどう繋がったのかが入ってないんですよね。

だってあのチャラい大学生が心霊現象に悩まされて、教会の牧師に助けを求めるか?っていう。

最後の方で貴俊の台詞に「だってあの人(桐野さん)が助けてくれるって声をかけてきて…!」みたいなの(曖昧)があったと思うんですけど、あれって結構大事なことですよね。

原作では、謎解きの時に八雲が貴俊にどうやって桐野さんのことを知ったのかを確認してるんです。

泉に行った後の貴俊に、「あなたに、何か良からぬものが憑いているようだ」って桐野さんから声をかけてるんです。

もちろん桐野さんと賢人の計画は貴俊に罪を着せることだから桐野さんから声をかけなきゃいけないんですけど、後藤さんと再会した時に桐野さんは「自分は悪魔も幽霊も信じていない」って言ってるじゃないですか。それは本当だと思うんです。

そんな桐野さんが貴俊に「あなたには霊が憑いている」なんて言う訳無いじゃないですか。だって信じてないのに。

原作では桐野さんが霊の存在を信じていないっていうのはヒントと言うか伏線になってるのに、舞台だと桐野さんから貴俊に声をかけたってことが言われてないから伏線にもなってないんですよね。っていう。




・後藤さんと再会した時の桐野さん

原作では桐野さんと賢人の計画に後藤さんの存在は入ってないんですよ。

だから教会に後藤さんが来た時、原作で桐野さんはびっくりするんです。

そこでの、“後藤が、警察手帳を呈示すると、礼拝服の男の表情が一気に崩れた”“まるで、懐かしい友人に再会したときのような、砕けた笑みだった”っていう表情の変化を!!!広樹さんに!!!!演じてほしかったんです!!!!!←



・桐野さんの額の傷

まあこれこそ本当にあっても無くてもいいんだけど。

澄田さんの事件の後に後藤さんが桐野さんを殴って、その時の傷がまだ残ってるよっていう。




・屑→ゴミ

原作では桐野さんは「犯罪者は人間じゃない、屑だ」みたいな言い方だけど舞台ではゴミになってたねっていう。

好きな声優なり役者なりに罵られるとテンション上がるよね←




・除霊部屋(?)に入る直前の桐野さん

ここ!!!ここの台詞!!!!

桐野さんはこの後自殺するんだなって分かってると、舞台版でドアを閉める直前の、「ここで待っていてください」っていう台詞の言い方が…!もう…!!広樹さん好き!!!素敵!!!!!あそこの死を覚悟してる言い方やばい!!!!!←


…じゃなくて。

原作では、一回ドアを閉めかけて、また開けて顔を出して、桐野さんが後藤さんに「これ(除霊)が終わったら呑みに行きませんか。話したいことがたくさんあるんです」って笑顔で言うんですよ。

そこが!!!欲しかった!!!!!(泣)

だって今から自殺するんですよ。それなのに後藤さんを呑みに誘って、断られるんですよ。

後藤さんが最後に見る桐野さんの表情は笑顔なんですよ。

ここは本当に欲しかったです………




・桐野さんの過去について

舞台だと、「父さんは、犯罪者に殺されたんだ!」っていう台詞が2回出てくるだけで、それ以上は何も無いんですよね。

桐野さんの父親は牧師で、桐野さんが大学三年生の時に強盗に殺されてるんです。

強盗が警察に追われる→桐野さんの父親が牧師をしてた教会に逃げ込む→桐野さんの父親は強盗を宥めて説得しようとする→逆上した強盗に殺される

っていうのを、桐野さんはその場で目撃してるんですよね。

だから父親の敵討ちのためもあって警察になったし、必要以上に犯罪者を見下して憎んでる。

牧師であった父親が犯罪者に殺されたっていうのは桐野さんから信仰心を奪って、人間不信にさせた。

だから犯人の気持ちは考えようとしないし、物的証拠を信じる。

刑事時代の桐野さんのあの冷酷さの理由を舞台でも入れてほしかったです。

まあそれでも感情を捨てきれなくて~みたいな話に繋がるんですけどね。


「どんなに情をかけても、人は裏切るし、神は助けてくれない」っていう台詞。

父親が殺されてからの桐野さんの全てを表してるような気がして原作読んだ時にすごい残った台詞だったんですけど舞台では無かったです(´;ω;`)

これを広樹さんに言ってもらいたかった…!

結構重要な台詞だと思ってたんですけどね…無かったですね……




・桐野さんと久美ちゃん

生前のこの2人の絡みがあったことを心から感謝しています(真顔)

前にも書いたけど、広樹さんが桐野さんでくみちゃんが久美ちゃんって分かった時にすごい嬉しかったんです。

でも原作だと恋人同士だったって書かれてるだけでそれ以外何もないんですよね。

だから桐野さんが養護施設に行って久美ちゃんに赦してもらうシーンとか、2人が手を取り合うシーンとか、本当に本当に嬉しかったです。


でも舞台だと、どうして桐野さんが聖櫃に久美ちゃんの屍蝋を入れてたのかの説明が足りない気がするんですよね。

「自分が死ぬ時、愛する人に近くにいてほしかった」っていう一言を入れてほしかったです。




・澄田さんの事件の時の桐野さん

澄田裕一郎が窃盗→後藤さんと桐野さんが任意同行を求めてアパートへ→桐野さんが窃盗云々の話をする→部屋の隅で久美ちゃん(17歳)と賢人(12?歳)が怯えてる→澄田父が逆上、部屋を飛び出す→追いかける→包丁を取り出す→後藤さんは説得しようとするけど聞いてくれない→桐野さんが拳銃を取り出す→後藤さんと桐野さんが揉める→今のうちに逃げようと判断、道路に飛び出す→大型トラックに轢かれて即死

っていうのが8年前の事件?なんですけど、舞台だと色々足りないんですよね。

まず、警察が家に来て自分の父親に窃盗云々の話をしてる時点で賢人は何も分かってないけど久美ちゃんは覚悟を決めたような顔をしてたって後藤さんは言ってるんですよね。

で、後藤さんがどんなに説得しても澄田父が聞き入れなかったのは、自分が刑務所に入ったら子供がどうなるのか考えたから。

桐野さんが拳銃を抜いたのは威嚇のためで本当に撃つ気は無かった。澄田父は刃物を持って暴れてるんだから下手をすれば無関係の人が怪我をする恐れがある。

桐野さんが拳銃を抜いたことを、後藤さんは今では「正しい判断だった」って言ってるんですよね。

でも当時の後藤さんはそうは思えなくて、桐野さんに食ってかかった。

日頃から噛み合わなかった2人はすごい揉めて、その間に澄田父は逃げようとして道路に飛び出して轢かれた…っていう。

桐野さんは澄田父を見て自分の父親を殺した男を思い出したんですよね。自分の父親は逆上した犯罪者を説得しようとして殺された。だから力で制圧しようとした。

このことを舞台でも入れてほしかったな…(遠い目)

だって舞台のあれだとあそこで桐野さんが父親のこと言うのが変な感じしたもん。




・貴俊が聞いた声について

貴俊は賢人によって「殺してやる。自分の罪を思い出せ」ってずっと言われ続けてたじゃないですか。

原作だと貴俊が桐野さんを殺した後に、「殺してやる」っていうのは貴俊じゃなくて桐野さんに向けられた言葉なんじゃ…?桐野さんが誰か(貴俊に憑いてる霊)に恨まれてて、貴俊の体に憑依して桐野さんを殺したんじゃ…?っていう説も出るんですけどねー




・桐野さんが死んだ時のこと

「部屋の中から桐野さんの悲鳴と争うような音、ガラスが割れる音がした」っていうのは舞台でもあるんですけど、元々部屋の中に賢人がいて、桐野さんが死んで貴俊にナイフを握らせた後、賢人はどこ行ったの?って原作読んでない人は思ったんじゃないかなーって。

桐野さんが除霊のために使った部屋の窓はステンドグラスで、内側から割られてるから外から犯人が入ってきて桐野さんを殺した可能性はない、だから貴俊が犯人だっていうのが警察の判断。

でも実際は賢人がステンドグラスを割って外に逃げてるんですよね。そこはちゃんと説明するべきだったと思います。

これって原作読んでなくても舞台観て考えれば分かることですかね?私だったら多分賢人どこに逃げたの?後藤さんも石井さんも気づかなかったの?ってなると思います←


・原作では桐野さんが後藤さんに「巻き込んでしまってすまなかった」みたいなこと言うんだけど舞台だと自分から後藤さんを巻き込んでるよね。まあいいや。




・石井さんの「現時点では警察が介入すべきことは何も起きていません」って台詞も欲しかった




まあこんなもんかな?

貴俊と佐和子が恋人同士だったこととか、賢人が八雲の所に来た時に佐和子の話だけして泉に行って以降心霊現象に悩まされてる貴俊の話をしなかったこととか、まあつまり賢人が友達である貴俊よりも友達の彼女である佐和子の方を心配してる時点でおかしいよねっていう伏線だったんだけど、舞台だと貴俊と佐和子は恋人同士じゃないから貴俊は佐和子が入院してることすら知らないし…とか色々と挙げたらキリがないんですけどね。



とりあえず、最初にも書いたけど原作批判のつもりも舞台批判のつもりも無いです。

原作にあったこの場面を舞台にも入れてほしかった、原作にはなかったけど舞台ではこういう場面があったよね、っていう自分用のまとめです。




※追記

・歌と泉について

英語で歌われるべき讃美歌320番が日本語で歌われてたのはまあいいとして。

晴香は最初にあの歌が讃美歌320番だって気づくんですよ。

晴香がサークルで演奏したこともあるって。

原作には書いてありますけど、あの曲はタイタニックが沈む時に演奏されていて、映画でも使われてるんですよねー。

最初に原作読んだ後にタイタニックのDVDを引っ張り出してきて見たことを思い出しましたw


桐野さんが養護施設で久美ちゃんに会った時に、久美ちゃんが「苦しくなんてありません!私には歌がありますから!」って言うのが唐突すぎる気がするんですよねー。

原作だと八雲と晴香が久美ちゃんと賢人が入っていた養護施設に行ってそこの施設長に久美ちゃんと賢人(と、名前は出さないけど桐野さん)のことを聞く場面があって、そこで久美ちゃんは歌が好きで上手くて、よく施設の子どもたちに歌ってあげてたとか、将来は音楽の道に進ませてあげたかったけど生活が…みたいな話を聞くんですよ。

それを入れないとあそこで歌が出てくるのが唐突すぎる気がしました。

その後に桐野さんの教会の聖歌隊でも~みたいなフォロー入ってましたけど。


で、泉のこと。

生前、久美ちゃんはよくあの泉で一人で歌ってたんですよね。

一人で歌いたいならカラオケでも行けばいいだろって八雲は言ってるけど久美ちゃんにそんなお金は無い。

晴香もサークルがない日にフルートの練習したくなっても場所がない、この泉みたいな場所があったらいいかもって言ってるし。

死んだ人の魂は死んだ場所か思い入れの強い場所を彷徨うもので、久美ちゃんの場合はその両方があの泉。

で、自分たちの父親を殺したとも言える桐野さんと自分の姉が付き合ってることを賢人は許せなくて、久美ちゃんを突き飛ばして、久美ちゃんは岩に頭を打って死ぬ。

久美ちゃんがよくあの泉で歌ってたって舞台では言ってなかったような気がする(曖昧)




・催眠のこと

舞台だと部屋に入った後に広樹さんが華麗な指パッチンで貴俊に催眠をかけてますけど、そんな簡単に人に催眠なんてかけられないだろっていう。

心霊現象の後すぐに桐野さんと賢人が計画を実行しなかったのは貴俊に催眠暗示をかけるためだったんだよっていう。

時間をかけて暗示をかけることによって、あの日部屋に入ってすぐに貴俊を眠らせることができたんだよっていう。



・桐野さんと賢人の計画

貴俊に復讐するにあたって、賢人は貴俊を殺そうって提案するんだけど、桐野さんはどんな理由があっても人を殺してはいけないって反対。

桐野さんは間接的ではあれ賢人の父親を殺したくせにって賢人は反対。

でも「久美もそんなことは望んでない」って言いくるめられる。

だから桐野さんが今回の計画(自分が自殺&貴俊を犯人に見せかける)を提案した時、賢人は貴俊と桐野さん両方への復讐を同時にできるって喜ぶんですよね。

でもまさか泉で久美ちゃんの霊が出るとは思わなくて、それが佐和子に憑くとも思わなかった。

本当にあれは自分の姉だったのか確かめたくなって八雲に会っちゃったのが失敗でしたね。うん。

別に舞台に入ってなくても大丈夫だったけどね。賢人が桐野さんのことも恨んでることはもうちょっと漂わせても良かったんじゃないかな。