方言を禁止する運動と方言札  戦前,沖縄の人の多くは,古くから使われてい る琉 りゅう 球 きゅう 語で日常の会話をしていた。琉球語は,日 本本土の日本語と共通する要素もあるが,会話で はたがいにまったく通じないほどのちがいがあっ た。  人々の生活言語を「方言」とし,発音をふくめて 標準語を用いようとする運動は,1900年代以来, 日本の本土で学校を中心にしておこなわれていた。 沖縄では,琉球語を方言として標準語にかえる運 動が,1900年代から戦後の1960年代まで長くおこ なわれた。  方言を禁止する運動では方 ほう 言 げん 札 ふだ を使う学校が多 かった。方言を使った生徒に方言札が渡され,別 の生徒が方言を使うまで持ちつづけなくてはなら ない場合があった。方言札は,東北や鹿児島でも 使用されたが,沖縄では長いあいだ使われた。 ■戦時下に強化された標準語の使用運動  日中戦争がはじまると,沖縄では国民精神総動 員運動 (→p.130) の一環として,琉球語の使用を禁止し,標 準語の使用を徹底する運動が学校中心に強力に取 り組まれた。沖縄県立第二中学校(現那な 覇 は 高校)で は,1939(昭和14)年 6 月,標準語励行運動を 5 年 生中心の自治団に担わせている。 5 年生は中学の 最上級生,現在の高校 2 年生である。二中の運動 で方言は沖縄の「癌がん 」であり,「非常時」のために, 「沖縄的なものの総すべ てを取り去ろう」とまで言われ た。 ■徴兵制と出稼ぎ・移民  沖縄で長く方言札が使われ,方言をなくす運動 が続いた背景には,徴兵制と出で 稼 かせ ぎ・移民 (→p.108) があった。 沖縄の人々は,標準語を十分に話せないとして, 軍隊や出稼ぎ先・移民先で差別をうけたからである。  方言だけでなく,沖縄の生活スタイルも差別の 対象になった。ある沖縄出身者は,出稼ぎ先で沖 縄民謡のレコードを聞くときに,雨戸を閉めて蓄 音機に毛布をかぶせ,毛布のなかに頭をつっこん で聞いたという。  沖縄の人々にとって,方言をなくす運動は差別 をうけないためであり,戦争体制強化のためだった。 しかし,沖縄で方言をなくす運動が長く続いたこ と自体,方言撲ぼく 滅 めつ に無理があったことをしめして いる。  戦争末期の沖縄では,民間住宅などに多数の日 本軍が駐留した。日本軍は,住民から情報がもれ ることを極度におそれ,とくに方言に神経をとが らせた。方言を使う住民はスパイとみなされ,日 本軍によって虐殺されることもあった (→p.152) 。