東日本大震災から7年、

もたってしまいました。
時の流れとは本当に早いものですね。


2011年3月11日私は中学校の体育館にいました。たしか三年生を送る会的なやつに出席していたのだと思います。

私は合唱がなかなか好きでこの会での三年生の合唱を楽しみにしていました。式が進み、やっと合唱が聞けると思ってました。指揮者が台に立ち手を上げて始めようとしたとき、なんか会場が少しざわめきました。


あ、地震かな?
最初は前の人が貧乏ゆすりしてるのが伝わったのかと思いました。
地震っていってもすぐ収まるだろうと全然焦らなかったのですが、その状況は一変しました。


急に大きな揺れが来て、体育館の中ではざわめきと悲鳴が響き、上を見ると体育館の照明が凄まじく揺れ、いつのだかわからない引っかかっていたバトミントンの羽根やバレーボールが落ちて来ました。


先生が逃げろー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎

と叫んだ近くの出口から
とにかく走って逃げたのを覚えています。とにかくひたすら走りました。
パイプ椅子のガシャガシャしてる音と逃げろと叫んだ先生の身振りだけは鮮明に覚えています。


校庭に避難したあとも何回か揺れ、校庭の地面にはヒビが入り、揺れるたび地割れが起きているのがわかりました。

ああ、これ、やばい。
とだけ幼い中学一年生の私にもわかりました。


親は生きているだろうか、兄貴は大丈夫だろうか。自分の身の危険を初めて感じた体験でした。

集団登校で家に帰り、誰もいない家に入ったときは衝撃でした。部屋はぐしゃぐしゃ。あらゆるものが落ち、食器棚は倒れ、皿は割れまくり。ブラウン管テレビも落ちて私の知っている家ではない感じでした。

関東でもこれでしたので、
被災地に近い方面はもっと酷い惨劇だったのでしょう。


13歳の私は玄関で呆然とするしかありませんでした。


こんなにも世界は一瞬で一変するのか、幼い私の心にもそれだけは感じました。


テレビで流れる津波の映像。
家事火災の現場。
繁華街では看板が落ち、
人の上に降り注ぐ。


自然現象の圧倒的な力に恐怖を感じました。今まではテレビでどんな事件が起きようが、自分とは関わりがなかったので他人事として捉えていましたが、自分自身も実際に恐怖を感じるほどの体験をしましたし、テレビで見るだけでも本当に衝撃的な映像でした。


震災後永遠にリピートされるACのテレビCMはもはやトラウマです。

あのCMを見るとあの時のことが鮮明に蘇ります。



震災後、サッカーの合宿で七ヶ浜に行きました。
そこではプレハブの仮設住宅に人々は住み、瓦礫の山がそこら中にありました。
車はぐしゃぐしゃに押しつぶされ、現地のチームの人の仲間にも死者や行方不明者が出ていたそうです。



よく募金等で言われている、

世の中にはよっぽど苦しんでいる人が多くいる。サッカーを普通にできるだけ幸せだ。

というのが本当にわかりました。
悲しいことですが、百聞は一見にしかず。という言葉は本当のようですね。




この記事の題名
東日本大震災で感じたジェネレーションギャップというのは、大学で感じたものです。


東日本大震災の話題になり、その時皆当時のことを語ります。

その時浪人組は中学生だったのですが、
なんと現役生は小学生だったのです。


この時たった一歳の年の差ですが、
とても世代間のギャップを感じました。


おそらくどんどん若い世代は震災や記憶が薄れて行くのだと思います。
私は中学校が故に自我があり、しっかり記憶もありますが当時幼稚園、小学生だった人たちはあまり印象がないかもしれません。仕方ないことです。私も小学校の記憶はほぼありません。


よくテレビでと言われていることですが、記憶は風化させてはならないと思います。

そして、東日本大震災の教訓を次に来るであろう南海トラフ、首都直下型地震に必ず生かすべきです。



記憶が風化し、徐々に日常を取り戻しつつある今、またいつその日常が非日常になるかはわかりません。それに常に気を張って行くのは無理です。しかし少しでも備えをして行くことは可能であるし、個人のレベルではなくとも、地域行政のレベルでは確実に対策が取れるでしょう。もちろん対策は行なっているとは思いますが。





中学1年生だったと思いきや、すでに大学生2年生です。


おそらく大学2年生だったと思いきや30歳を迎えてしまった、と未来に言っていることでしょう。



少しだけ昔を思い出すとともに、
今の自分の現状を見返しつつ、
これからの人生を少し考えた3月11日でした。