昭和の中頃。
戦後の登山ブームに
沸いていた頃の山地図を
振り返る第二弾。
前回の美ヶ原からも近い
八ヶ岳編です。
日地出版「登山ハイキングNo.15 八ヶ岳・蓼科」
美ヶ原のと同じく昭和38年版です。
ビーナスラインの開通という
劇的な変化を起こした美ヶ原霧ヶ峰エリアと
違ってこちらは大きな変化は期待できない様子。
後ろに写ってる「山と高原地図」が
北八ヶ岳ロープウェイはまだこの時代
ありません。
そして麦草峠へのいわゆる
「メルヘン街道」も途中で止まって
しまっています。
稲子池からのルートで見かける
森林鉄道の軌道跡がまだ現役のようですね。
しらびそ小屋も「みどり池ハウス」と
さらに南下する鉛筆でつけたマーキング。
どうやら昔、父が歩いたルートのようです。
横岳、赤岳へ
さらに権現岳、編笠山を経て小淵沢駅へ
こちらは美濃戸付近。
我が親ながら、なかなかのヘンタイ振り。
今じゃ高尾山どころか近所の散歩くらい
でも大変なのに…
南八ヶ岳エリアをズーム。
赤岳天望荘は「山渓小屋 赤岳石室」と
表記されています。
美濃戸口へと続く道は
八ヶ岳農場で止まってます。
ん?八ヶ岳農場?
なのでしょうね。
なにかの本で「八ヶ岳は昔は小海線側から
登るのがメインルートだった」と読んだ
ことがあります。
だからかこの地図のガイド本での
八ヶ岳ルートは美しの森から登る
真教寺尾根ルートから始まります。
美濃戸から登るのが定番ですが
この本ではまるで裏ルートかのように
掲載はずっと後ろのページに載っていました。
こうして見ると八ヶ岳西麓の別荘地開発は
西側からのアクセスを飛躍的に向上させ
登山ルートの人の流れを大きく変えたのかも
しれませんね。









