敬愛・尊敬の気持ちはあれども、天皇は神の子!神の末裔である!とまで逆上(のぼ)せる熱狂さはありませんが、日本における天皇はなぜ日本にとって抜き差しならぬものなのか。…の『1つ』の見解を述べさせて頂きます。


あくまで幾つもある理由の中の1つです♪




🔵何だかんだで『天皇』なる存在は日本人・日本国民にとって抜き差しならないもの。その理由の1つ。



大昔から天皇皇室は『権力はあれど、権利無しの状態』を、少なく見積もっても1000年以上続けています。


天皇皇室家は記録も定かでない頃から頂点として存在した最初であり、起源であり、五輪競技でいうなら『1位(金メダル)である』と自ら名乗り、周りもそれを『認めました』。


この頃は権利も権力も全て掌握した王と一族のもの…というものです。ここまでは『世界の王が勝ち得る統治の形(システム)』として共通するものです。



ただし、神の子・神の子孫と名乗れど、やはり人間。国の舵取り(治世)は容易ではありません。間違いも犯しますし、間違ってなくても、正しいやり方をやっていても、あっさり自然(天変地異の災害)が、正しいやり方を『ねじ切り』ます。治世の失敗は愚かな策だったら勿論、天変地異など本来なら仕方が無い、責の行方の問いようがない事態でも必ず『誰か』の責任を問われ、求められるものです。


そう頂点に座し、あらゆる権力・権力を統べる『王』という存在は必ず『全ての責任』を問われる存在です。たとえ『人の姿で降臨した神』であろうと。


行き場のないうず巻く怒りは神の子にすらも向けられる。この手のリスクは国の頂点(権利+権力)を掌握した者には常にのしかかります。だから世界各地の『神』あるいは『神から統治することを信託されたという王達』は、統治・治世に失敗すると『殺され』ました。


そして『再び神が選んだ(とされる)』新たな王にすげ替えられる。そして『王は国そのもの(同体)だから、王には贅沢をさせなければならない』。何不自由なく、気持ちよく、快くいる王の状態はそのまま、『国も気持ちが良い状態』であり、王が気持ちよければ国が富み栄える…と考えた訳です。


日本も世界のこういう王の統治のシステムとそう変わらずに進みましたが、平安の頃に『権力と権利の分離』が起こります。摂関政治です。


貴族…この場合、藤原氏ですが、…は藤原氏の親族からの女性を天皇や天皇候補と婚姻させる事で、『権利を掌握』しました。藤原氏は治世における一番の『旨味』と同時に『リスク』である『権利』を『権力の頂点である天皇が認める形』つまり『天皇という神の子の後ろ楯』という『神託権(神から統治する権利を認められる)』を頂く。…というシステムが確立します。



五輪競技でいうなら金メダルの天皇家が『認め』貴族が『銀メダル』を貰った形です。 


治世に失敗すれば自分や一族は怨まれた者達に『血祭り』にされるリスクはあるが、一番の旨味の『権利』を『権力の頂点の神(=天皇)』から与えられるの形で繁栄の力が手に出来た訳です。



これは天皇皇室にとっては収益は確実に減るが、非常に長い視点で考えるなら都合が良い。



一番の旨味の権利は失うが、治世の責任を負い、問われるというリスクから解放され、代わりに『何があっても守られる天皇という地位と皇室の暮らしと、不可侵の神のカリスマ性という権力』は延々と手に出来るメリットがある。


一方、国の治世を任された側…権利を掌握した側は神から『日の本の国の治世をやってみよ。と我らは神(天皇)から神託されたのだ!!』…と自分がこの国を治める正統性を胸を張って主張できる。どちらも旨味がある訳です。



その分離が偶然かどうかはわかりませんが、『その仕組み(システム)』が出来た訳です。その後は天皇皇室は代を重ねるほど『カリスマ化・神化、神格化』は強まり、天皇は強く崇めるべきもの、守るべきもの…とそれを当たり前として考える者はどんどん増えます。


このあと今度この『日ノ本を治世する権利』を天皇皇室家&貴族達を保護を守ると約束した『武士階級』が統治の権利を貰い受けます。五輪競技で言えば武士階級は『金メダル保持者(天皇皇室家)』から『銅メダル』を授与された訳です。



この天皇の『権力あれど権利なしシステム』はずっと続いてますし、権力あれど権利無しだなんてハリボテだ! と揶揄したところで、例えば『清和源氏』『桓武平氏』など、その武士階級も『天皇皇室家(つまり日の本国の神の)の子孫である!』という『我は権力の頂点である天皇と同じ神の末裔である』という『神の血脈・神の一族の後裔』で正統化し、周りはそれに納得していた訳です。


豊臣秀吉は農民からの出自のようですが、なので彼は清和源氏・桓武平氏などは絶対に名乗れぬ『正統性なし』でした。


だが『神の子の天皇(金メダル保持者)が日本の統治を認め』認めた証として与えた称号『関白』頂くことで、己の『日本統治の権利を持つに値する者であるという正統性』を掌握しました。


まぁ途中いくつか歴史の中で、権力と権利の二つを再び我が手に…と色気を出した天皇も出るというイレギュラーな展開はありましたが、非常に大雑把に日本における天皇の位置づけと、その歴史を説明するとこんな感じです。


この国の統治(権利)を巡り、様々な統治者が現れ、神(=天皇)から日ノ本・日本を統治する権利をもらい、富と栄光を手にしましたが、権利を手にした者と一族は何かあるたびに国中から批判を受け、大惨事が起きれば怨嗟の嵐となり、政権の統治が上手く行っている時は尊敬もされましたが、政権が倒れる頃には酷い言葉で罵られながら滅びました。


まぁ統治をする政権の最後がハッピーエンドな話なんてほぼ100%聞いたことありませんが、天皇という存在はその『絶対ハッピーエンドにならない国の統治こ権利なんて望んではなかったかもしれないが、(逆に本当は統治したかったかもしれないが)これを放棄し、権力だけを掌握した結果、ここまで生きながらえた』と考えます。



偶然か必然か?意図したものか?そうではないのか?わかりませんが『権力は持てども権利を手放した。』その結果、天皇家は頂点の位置に座したまま、よくもまあここまで…と最早、世界中の人間誰一人、追いつくことも追い抜く事も不可能な驚きの長さの血脈をここまで繋いでいるわけです。



結局、この形を近代の帝国日本も継承していますし、天皇皇室は、白黒つけるなら『治世(統治)はしていない』ので、明治・大正・昭和期に関しての全責任を問うことは不可能。といった具合です。



これが『現実』で、そして今も正に誰も真似しようにも出来ない太古からの『系譜』を継続させてしまっており、今はひたすら日本と、このそして世界の安寧を願い祈り続ける『大神官』としておられる訳で、


天皇という存在は日本の歴史を語る上で、またその血脈の歴史と国民からも敬愛されているというカリスマ性から世界からも崇敬されている存在だというのに、これをブッこ抜いたり、潰す事はもはや不可能です。



こういうことが一向に分からず、勉強もせず、自分に都合の良い情報だけを脳内に集めて・煮詰めて的外れな天皇・皇室に対する妄言・暴言を吐き散らしているのが日本の左翼


といった感じです。(笑)