ある質問サイトを眺めていたら、『なぜ韓国はキリスト教信者の総数は人口の半分に迫る程なのに、日本の信者の数は少ないのですか?』の質問があり、『そんな事は無いだろ。教会とか……あるちゃあるがあんま見ねえなぁ』と気になりだして、調べてみたら、日本全人口の1%をちょっと越えてる程度しか信者いないとわかり、『少なっ!』とビックリ。

それで、『こうなったのは豊臣秀吉のバテレン追放令辺りから江戸のキリスト教禁止令が日本にキリスト教が根付かなくなったんでは?』で、調べてみたら、めっちゃ面白く結構な量になったんで、6日連投でブログ投稿したいと思う♪

何か気せずしてDISNEY+(ディズニープラス)のネットドラマ『SHOGUN』も流行っているようだし、という訳で、ウチのブログじゃやった事ない歴史を『やってみる』♪


🔵日本でキリスト教は何故、今現在もそれほど拡大出来ていないのか?

詳しく言うと、『韓国ではキリスト教信者が多いのに、なぜ日本はキリスト教が普及していないのですか?』という質問があり、日本でもキリスト教は普及してるじゃ? あー韓国と『比較して』か。

で調べたら、あら韓国人口の4分の1以上がキリスト教徒。なんと!日本は1%くらい。

それで韓国の場合は『朝鮮戦争』が布教が拡大した原因。市民が戦争に巻き込ま、同じ民族の戦い・殺し合いで、敵か味方かも見分けがつかない中、何でも良いから十字架を作って持ってるか、首から下げてれば、連合軍からは撃たれない、食物をくれるの噂が拡大し、(北朝鮮軍は皆殺しだから効果なし)

これをきっかけにキリスト教信者が爆発的に増えたという話を聞いた事があるので、そういう理由じゃない?と、こっちは解決(大して裏は取っていない。)させたが、日本にキリスト教が馴染んでないのは何故だろうと疑問が湧き、調べてみたらかなり『面白かった』ので、書き留める事にした。

と言うわけで歴史ブログでは無いのに『日本とキリスト教の歴史』と『何でキリスト教は日本で浸透しないか?』の理由の一つを講釈したいと思う。

えげつなくて面白いぞ♪



🔵スペイン・ポルトガルの『オラオラ!』時代

15世紀〜16世紀はまずスペイン、そして隣国のポルトガルが世界を覇権しちゃうほど隆盛し、もっともオラついていた時代。

両国のスタイルは『布教』と『植民地化』。船の建造と操船と航海術に武器も優れていたので、見つけた島や大陸の人間の文明が自前の船で圧倒出来るぐらい遅れていたら『カソリック』を布教。逆らうなら『虐殺』。にげる者は『捕まえて奴隷にして売り飛ばす。』が基本。

そして相手が大砲や武器を潤沢にもつ強そうな国なら、すぐに手は出さないが、虎視眈々と布教で現地民の信者を獲得・拡大。信者を『死ぬことも厭わない殉教者』に仕立てて、乗っ取るも画策。そういうのが当たり前の時代だった。

1494年6月
そんなスペインとポルトガルが『世界を半分に割ってそれぞれで世界を統治しようぜ』という今なら噴飯ものの『トルデシリャス条約』を両国で交わす。

この条約、地球は丸い事はもう分かっていて、大西洋のド真ん中に南北の線を引いて、東回り半分はポルトガル、西回り半分はスペインが支配しようぜと、取り決めた『どえらい条約』。


そしてまだスペインとポルトガルにとって未踏・未開の不完全な世界はこの大西洋のド真ん中の線の真裏で、そこは『日本』もある地域。しかも条約で決めた世界統治の分割線をなぞると東日本と西日本を真ん中あたりをこの線が通る。正に『えらいことが』勝手に決められたのだが、

スペインもポルトガルも地球の真裏の詳細はまだ分からなかったので、『アジアに関しては『早い者順で支配しよう』という取り決めだった。


両国は、この取り決めに従いスペインは先ずはコロンブスが見つけた北米大睦に。そして北米大陸を横断し東太平洋へ。

ポルトガルはスペインと同様のやり方で、勝てるところは力で支配したが、東には既にヨーロッパ生まれの武器(銃に大砲)などを持つ軍隊までできていた中東や中国には歯向かう姿勢は引っ込めつつも、布教で何とか国を侵食しようと試みる。

一方、スペインは南米大陸を発見。持ち込んだ『天然痘』を皮切りに免疫の無いものが初めて罹患すると、死亡率が非常に高い疫病をユーラシア大陸から南北アメリカに持ち込み(天然痘(1519年~致死率90%)、麻疹(1531年~致死率80%)、水疱瘡(1538年~)、ペスト(1545-49年~致死率90%)、おたふく風邪(1550年~)、百日咳(1562年~)と疫病のオンパレード)を食らい、1518年に2500万人いたと推計される先住民人口は、85年後の1603年に100万人まで減少。

アステカ帝国もインカ帝国も滅亡に追い込んだ。

⬆天然痘パンデミックに倒れ、喘ぐアステカ人

その後、スペインは人口減による奴隷などの労働人口に悩まされるも、南アメリカで金と金鉱脈や銀鉱脈を発見。スペインのこれまでの歴史の中でも『1番の絶頂』を謳歌する。

そんな絶頂への上り調子のスペインの国王に即位、君臨していたのが『フェリペ二世』である。(後にスペインの没落の始まりも見る人物になるが。)


ちなみに当時の南米大陸の大半はスペイン領だったが、決めた大西洋の線から南アメリカ大陸の一部が大きく出っ張っている事が分かり、『これは俺らポルトガルのモンだろ』という事で、今のブラジルはポルトガルが取った。だから今の南米がスペイン語が母国語だらけにあって、ブラジルの母国語がポルトガル語の理由はそういう訳。


そしてポルトガルの世界覇権を狙うカトリック宗派は『イエズス会』。対してスペインの同じような組織は『フランチェスコ会』。どちらも本部はイタリア。

このフランチェスコ会が開いた都市が『聖フランチェスコ』で、これが今の『サンフランシスコ』

そしてアメリカを出て、太平洋に乗り出し、たどり着き、逆らう原住民は殺し、捕らえて奴隷にし、国を滅ぼして作られた国が、この時皇太子だったスペインのフェリペにちなんでフェリペと名づけ、これが後に『フィリピン』となる。

というわけでフィリピンにはスペイン艦隊上陸以前の歴史がない。フィリピン独特の名前もあったはずだろうにその痕跡も殆ど無いという『文化の根絶やし』という有り様で現代に至っている。ポルトガルもスペインも野心はお互いに満々だが、スペインとフランチェスコ会のコンビの方があからさまに『強硬派』だったようだ。

そのスペインはヨーロッパでも力を見せつけ、王家婚姻云々での策略でネーデルランド…今のオランダをも『飛び地領』として支配に置き、オランダ人にはスペインの交易の手伝いをさせていた。


そんな時代、日本は『戦国時代の真っ只中』だった。

そして、その日本に手を伸ばしたのがポルトガルとなり、ポルトガルは日本侵食の機を伺うのだが、そこでポルトガル人も仰天の出来事が起こる。

次回『新兵器・火縄銃と日本が起こした予想外の事にポルトガルは仰天』の巻