🔵かくして儒教による影響を受けた国は周りに様々な「迷惑」を引き起こす


儒教の説く人間のゴール(到達点であり頂点)は「聖人君子」である。

それと儒教の思想には「天(てん)」という神らしい存在は述べているものの、明確な神と呼べる存在はない。魂(たましい)の概念はあるものの「死後の世界」も用意されていない。


元々が死者を弔う、亡くなった祖先を敬う、いずれ先祖となる親を敬うが儒教の教義なので死に関しては詳しく説かれ、「魂(たましい)」の存在も説かれる。


儒教によると人間は「魂(こん)」と「魄(はく)」で構成されている。【三魂七魄(さんこんしちはく)】といって、魂の割合は3割で心に宿り、魄は7割で肉体(骨)に宿るとしている。なので魂と魄が合一しているものが「生者」で、分離してしまった者は「死者」となる。

人は死ぬとこの魂と魄が分離し、3割の魂は肉体から抜け出るのだ。

だから現世にとどまった幽霊は3割の魂の姿なんで薄らぼんやりしている。となる。


日本も儒教の影響を受け、古くは飛鳥時代、本格的に影響を受けたのは江戸時代である。


江戸時代、四代目・鶴屋南北の書いた「東海道四谷怪談」で、お岩が夫の伊右衛門に殺される時の、断末魔の中で 「魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか」という台詞を吐くが、この「魂魄が留まる」という概念は「儒教」のものだ。仏教でも魂の概念はあれど、抜けた魂は直ちに現世を離れ「次の段階」に入る。本来の仏教の教えでは「魂は現世に留まり続ける」なんて有り得ない。そういう意味では日本の仏教は「非常に儒教的な仏教」と言って良い。


話を儒教に戻すと、儒教では死後の世界、つまり死者の魂の次に行く先は「無い」。無いので、儒教の世界では魂は「この世にずっと居残る」。ガスとなって現世の空を漂ってるイメージ。

ここからおよそ3つの考えが生まれる。

①儒教が理想とするのは人の頂点(聖人君子)に至る事である。だが儒教では「あの世」が設定されていないので聖人君子への道は自分が生きている時間内に遂げなければならない。生きているうちにゴール出来なければ、それでおしまい」。

「輪廻転生(うまれかわり)」なんて装置もなく、次の時代で道半ばった聖人君子の道の続きを来世でやろうなんて出来ない。

②「おしまいとなった祖先・親の魂は万年・億年、現世を今なお漂い、生者のにそばにいる」

③「おしまいとなった悪人の魂も万年・億年、現世を漂い、生者のそばにいる」

という発想に至る。

儒教の太祖といわれる孔子の教え(本当に太祖なのかも甚だ怪しいのだが)を、それを学んだ儒家と民衆は後にそう理解した。

儒教は「親・祖先をなにより大切に扱うことが聖人君子に至る道」と唱え、最も大事な根本に据えている。だから腹を立てて死んだ親や祖先はずっと生者の耳元に「私の恨みを忘れるな!」「我の怒りを忘れるな!」と常に強く語りかける。そんな祖先(死者)を何より大切に敬わねばならないと儒教は定めているので、それゆえ生きている韓国・中国人は先祖の恨みは絶対に忘れない。忘れてはならない。忘れるは大切な親を祖先を侮辱すること、自身の聖人君子の道を台無しする絶対にやっていはいけない事なのだ。

一方で悪人の魂も目の前にいて、今なお現世をずっと漂っている。だから生者は悪人には万年・億年、怒りと、恨みと、侮蔑をするのが当然となり、悪人の石像を蹴ったり、唾を吐きかけたり、破壊するのが当然となる。つまり「生者、死者関係なく抱いた恨みは億年忘れまじが当然の事」となるのだ。

だから「悪人の体は残酷に損壊すべし。」が当然となる。損壊するのは三魂七魄の概念からだ。抜け出た魂は3割だが、残り7割の魄(はく)は骨に残り、骨が土に還るまで魄は残り続ける。

三魂七魄の概念では魂が体から離れても、再び魂が体に戻り魄と結びつけば「蘇(よみがえ)る」。

儒教では葬儀の時、最後に死者が再び生き返る事を願う「魂(たま)よばい」をする。死者の遺体に向かって魂が再び肉体に戻ってくれるよう、生き返ってくれ、魂よ戻れ!と故人の遺体に向かって呼びかけるのだ。これを3回繰り返す。

魂よばいは3回呼んでも戻らないことで「故人の死をきちんと確認する作業」なのだが、……となれば悪人も遺体が残っていると「蘇ってしまうリスクがあるではないか」という発想がでてくる。


だから遺体が悪人の場合、または「確実に死んで欲しい人間の場合」、二度と生き返らないよう、戻るべき魄(肉体・骨)が無いよう、悪人の体はバラバラに破壊する。徹底して破壊する。これは魂の帰る場所を破壊し、殺したり、処刑した者が二度と生き返らない・現世に戻れないようにする。という発想から行うことであり、ここから「残酷な処刑」が当然となる。

つまり韓国とは
「現世でも亡者が生者に語りかける亡者の国」な訳で、朝鮮を「隠者(死者)の国」と評した文献もあるくらいだ。

だから韓国のメディアが頻繁に「歴史と未来は別」または「歴史の問題がある。だが未来思考で」といった言葉を対日報道で頻繁に使うが、あれは本当の意味で「別」なのだ。と日本人は知っておくべきだろう。歴史問題に対する韓国民の日本に対する「怒り、恨み」は亡者となった敬うべき大切な祖先が悪鬼の形相で今も日本を憎悪しているのだから、それに従う生者の絶対に日本への怒り・恨みも消える訳がない。


さりとて日本を使わないと、日本の助けがないと、自国の経済は・将来は上手く行きそうにない…。となれば、目前の日本対する怒りを取り敢えず抑え、自分が助かる為に手を握ろう。となるが、しかし日本への恨みと怒りは別。絶対に忘れない。

だから例え韓国が「未来思考」といって日本と手を握ったとしても、儒教から由来する考えを改めない限り、韓国の経済の調子が上向けば、自分が助かったと思うようになると、直ぐに握った日本の手を叩いて、「積年の恨み」をまた日本にぶつけることになる。

『未来思考』というと日本人なら『過去のことは水に流す』も含めたものという印象を受けるだろうが、この言葉を使う彼らに『水に流す』の思考はない。もし忘れようと決めたのであれば彼らは『過去のことは忘れる』といった事を明確に口するはずで、これを口にしない限り絶対に過去のことは忘れてはいないと日本人は肝に銘じておくべきだ。




🔵一回こっきり、次はない「聖人君子」のへの道が生み出した「暗黒面」

次に、儒教の説く人が目標とする頂点でありゴールは「聖人君子」であるが、その一方、死後の世界。つまり魂の行く先(終着の世界)が無い、輪廻転生して現世にも戻るという仕組みも説いていないとなると、聖人君子になるには「生きている間に成し遂げなければならない」となる訳で、だから何としても生きている間に人生の勝者・成功者にならねばならない。

だが地道にやっても地道にしか人生の成功への積上げは進まない。となるので、ここが成功の近道。とみれば「社会では不正であっても不正をする事への抵抗感」が下がる。なので「成功者となるための不正(嘘・告げ口・陰口・誹謗に中傷・横領・贈賄・収賄・コネ・付け届け)」が当然となる。


また死生観が時間制限。死んだら終わり。来世でやり直す、の考え方が無いとなれば「死ぬ事への恐れ」が発生する。具体的には「いつまでも若いままでいたい」という願望に行き着く。だから韓国は早くに「美容整形大国」となった。

若さを保ちたい願望に執着、死のイメージである老醜を恐れる思想が大勢を占めているので「若いままでいたい」の思想は肥大する一方で「枯れた味わいを楽しむ思想」は極端に小さくなり、死と死をイメージする老いを恐れるから、相貌や身体をいじることへの抵抗が低くなる。

そして儒教における人の到達点が【聖人君子】なのだが、その聖人君子を儒教では「働かず、ひたすら書を読み、学を研鑽し続け、あらゆる知をその身に納めた、あらゆる生き物から尊敬を受ける者」としている。

儒教の発想に毒された人々は「不労(働かず)で優雅に生きていける人」そして「人々から尊敬を受ける者」が人としての理想だという発想に至った。


現代において働かず。は難しいが、この儒教が説いたことから、「金持ちか権力者になれば聖人君子(不労)に近付ける。」という歴史的に見ても人間社会を築くには誤った発想に至る。具体的には「権力者・実力者・金持ち」なる事。これらが最上の目標となる。

これが現代の韓国人の今、自分が働くことの意味、原動力となっている。一刻も早く働かない身分、力、権力を得るために働いていると言って良い。

そして聖人君子はその深い知恵で尊敬を集める人物なので、韓国人はこの「尊敬される」という部分、つまり「自分が尊敬される事を望む」ようになり、「自分が尊敬されているかどうか?」を非常に気にする。

儒教思想の暗黒面に染まると「みんなから褒められたい・尊敬されたい」の感情が発露する訳だ。

そして、先に述べたように国の出来事は=家族・親族・自分の事。だから、自分たちの国が良い事をしたと思ったら別に自分の手柄でもないのに我が事のように自慢する。韓国人が我が事のようにお国自慢をよくするのは正に「≒自分自慢」なのだ。

勿論、韓国人と考えが変わらない日本人もいる。が、そこは比率の問題。「国の事≒我が事」と思っている韓国人は日本と比較して、、いや世界と比較しても非常に多い。

そして自分が自慢したことがウソだった、間違いだった、言ったことが非難されるような事だった。と分かると尊敬されたいの欲求が強い分、「本気でヘコみ、しょげ返る」。

見方が狭い人の集団が国家を成しているので、こうした世界との認識違いによって、韓国民が声を上げて我が国自慢をする・あるいは何らかの主張する➡それが世界に伝わる➡世界中の人が「あんたら、それは間違っているぞ!」の非難が世界中から殺到する➡しょげ返る。となるのだが、儒教の思想に縛られているから、コレを延々繰り返す。

韓国や韓国人の頓狂で身勝手と見られる発言と、それに付いての多くの人からのバッシング劇が頻発するのはこの為だ。

そしてこれは「中国と中国人」でも当てはまる。中国も非難轟々になるまで「自分たちは正しい」と言い張るが、本当に非難轟々となると、しょげ返る。(処理水を汚染水と言い張った事例が最近のソレでだ。)

お前のしていることは間違っている!おかしい!改めろ!と非難されても、それが何だ!?居直るくらいの「ロシアくらい悪ぶれる肝の太さ」は中国・韓国にはない。根っこで「聖人君子」と呼ばれる事に憧れているからだろう。

例えるならロシアは「非難されても屁でもない本物ヤクザ」

中国・韓国は「非難されるとしょげ返る、【インテリ憧れ】ヤクザ」と言ったところだろうか?

ただし韓国も中国も「悪いのは自分ではない。悪いのは他の誰かだ」という「自分に責任があっても自責を認めず、他者に責任を擦(なす)ろうとする他責の文化」もしっかり発達しているので、「今までのは無かった事にして」つまり「恥の歴史は抹消して」他責(俺ではない。〇〇のせい)をベースにした話を創作、作り変えるという「歴史の改ざんをして」しょげ返りからスグに立ち直る。


🔵北朝鮮は殆ど情報がないが

北朝鮮は分らない。苛烈な共産主義で一般市民にあった儒教思想は削がれたとも聞く。が、儒教思想によって大事にされている自分のルーツを指し示す「家系図」は、一般市民らは潰されたが、戦車党の幹部達は密かに持っているという情報もあり、金正恩が当時のNo.2を対空機関砲で肉片も残らない残虐な「処刑」をした事からも、儒教思想か儒教思想の残滓は根強く残っている可能性は高いと推測している。