やっぱりながくなるなぁ〜


戦車の装甲の変遷。

🔵戦車は艦船の作り方からスタートした。

歴史に初めて登場した頃の戦車は、戦艦の作り方に倣(なら)って設計図に基づいて、まずフレーム(骨組み)を作り、そのフレームに合わせて作った装甲板を切り出してあてがい、リベットやボルトで骨組みと固定する方式をとっていた。

だがやがて対峙する敵の国の砲の威力が高まる事によって、対抗のため防御力を高めなくてはならなくなり装甲板の厚みが増してくると、手間のかかるフレームから作るやり方は止めて、分厚い装甲板そのものにフレームの役目を負わせて、装甲板同士を直接くっつけて車体や砲塔を作り上げる「モノコック構造」に変わっていく。第二次世界大戦初期の戦車の車体は殆どがモノコック構造になっていく。

一方、リベットやボルト留めでの装甲板の取り付ける方法は、モノコック構造の作りより時間と手間がかかり、更に戦場では敵の弾が命中すると、たとえ装甲板の貫通が起こらなくても、命中した敵弾の衝撃でリベットやボルトの頭が千切れ飛び、飛び散ったものが銃弾並みの速度で車内を飛び回り、乗員の死傷と、車内の機器の破壊が頻発した。


リベット留めの戦車といえば、日本の戦車が思い出される…。

そこで接合方法がリベット、ボルト留めから『溶接接合』に変わる。リベットやボルト留めの接合方法が針と糸を使った縫い合わせとするなら、溶接接合は接着剤を使った貼付け方法といえる。

これは良いアイデアだが、当時の溶接機(電気溶接機)の性能では、装甲が分厚く、強度が命の戦車を作るには不十分で、必要な強度に仕上がらなかったり、接合不良だったり、戦場では敵弾が命中すると貫通はしなかったが、接合部分が剥離し、裂けた接合部分から車内が見えるなんてことが起こった。しかし溶接機と溶接の技術は戦車みたいな馬鹿げた強度が求められる機械の出現により必要に迫られる事で急速に進化。現在の戦車は、『ここは、あえてボルト留めでなければなならない。』……という所以外は全て溶接接合となっている。


🔵装甲板の変遷

硬いながらも命中した敵弾が叩き込む衝撃を割れる事無く受け止め、敵弾のエネルギーを1箇所に留めず、すばやく周囲にエネルギーを散らすことで、貫通させない性能が戦車などの装甲板には求められる。金属素材に求められるこういう性質を『靭性(じんせい)』というが、戦車などの装甲板にはこの靭性(しなやかに受け止め散らし、敵弾に容易に貫かせない性質)が求められる。


こうした物を装甲板の大半を占める素材である鉄をベースにして作るには、鉄にニッケル、マンガン、クロム、モリブデンなどを必要量加え、加えた物を高温の状態で巨大なローラーにかけて、延ばすという『圧延(あつえん)』という工程をかけて作る。ローラーで圧をかけて延ばすと、金属のバラバラに散らばっていた原子が整列し、原子間の結合が強まり強度が上がる。この圧延工程を一回やり、向きを90°回してもう一度やり、更にまた90°回してもう一度……を何度もやることで、装甲板の素材の鋼板の原子はどんどん整列し強度が上がっていく。こうやって作り上げた鋼板を『均質圧延鋼板』という。


だがである。

そうして作った圧延鋼板は確かに強靭な鋼板になったが、対抗する敵戦車の弾の威力も強大になっていったわけで、これに対処するとなると、装甲板の鋼板の厚みを増す策が早いのだが、ただ厚みを増すだけでは戦車の重量がどんどん重くなるばかりで、戦車はどんどん鈍足・鈍重な乗り物となってしまう。


『対戦車戦闘』つまり戦車同士相対し、戦うが当たり前になって行き、敵戦車を上回る機動力も求められる中、丈夫でも鈍重な事は致命的な事に至る問題となる。


これを何とかしようと考え、採用されたのが「浸炭法」である。浸炭法は紀元1500年の頃、アナトリア(今のトルコあたり)にいたヒッタイト族が発見した鉄の強化方法で、高熱化の中で木炭を使い、叩きながら発生した炭素を鉄の表面に染み込ませる事で、鉄の内部は柔らかいままなのに表面部分はカッチカチになる製法。ヒッタイト人はこの現象を鉄剣を作る中で発見。当時、銅剣より脆く弱かった鉄の剣を銅剣より遥かに優れた剣にした。

(もっともヒッタイト人が編み出したやり方をそのまんま戦車作りで実行した訳ではないよw。)

これは分厚い装甲板を使う戦車には最適な方法で、表面のカッチカチで、敵弾を撥ね付ける一方で、受けた敵弾の破壊エネルギーを内部のしなやかな鋼板がエネルギーを受け止めながら周囲に散らし、敵弾貫通を防げる。

だが、カッチカチの部分はカッチカチにするほど炭素の侵入により、しなやかさ➡靭性を失い、表面を求める硬さにすると表面の硬い層と、内部の柔らかい層の境目から割れるという現象が発生した。そこで『表面ガチガチ・中間カチカチ・内側しなやか』と三段階の硬さ。硬さのグラデーションの数を増した『表面硬化装甲鋼板』が考案され、これが戦車の装甲板に採用される。

これは当時は分厚い鉄の鋼板を必要とする戦車の装甲でこそ最適な方法で、逆に言えば戦車の装甲くらい分厚くないと『表面硬化装甲鋼板』は作れない代物だった。

第二次世界大戦までは戦車の装甲板はこの様な感じだったが、現在は圧延技術も大きく向上し、浸炭に頼らない均質圧延装甲鋼板でも、同等かそれ以上の性能を持っている。


🔵鋳造装甲
リベットやボルトや溶接での手間を一挙に解決するのが、溶かした鉄を鋳型に流し込み成形する『鋳造装甲』だ。 この方法は大量生産向きで、アメリカや特に旧ソ連で車体の一部や砲塔製作で多用された。


例えば、旧ソ連は鋳型に溶けた鉄を流し込み、パッカンパッカンと作り出し、最終的に約4万から5万両もの旧ソ連主力中戦車・T-34の砲塔を作り世に送り出した。しかしながら均質圧延鋼板や表面の硬化処理を施した装甲鋼板よりも鋳造鉄は強度で劣る、また流し込みによる装甲の厚みも各部でバラ付きやすい、何より作り込みがアバウトになる欠点が鋳造にはあり、その鋳造のアバウトさを考慮して圧延鋼板などよりも、余分に厚くする設計にして、欠点をカバーしなければならない。

⬇ソ連のT-34戦車の砲塔は鋳造ってのは有名。