次は手榴弾やら地雷の話


🔵梱包爆薬の作り方を手榴弾でやったのが集束手榴弾

火炎瓶や梱包爆薬は前線で即席に作られたが、対戦車手榴弾や、吸着式の対戦車地雷、対戦車小銃擲弾など、威力自体は小さいが、正規の装備として作られた。

第一次世界大戦で英国が最初に世に送り出した戦車が登場すると、ドイツ軍は一本の柄付き手榴弾の弾頭の周りに他の柄付き手榴弾の柄だけを外した弾頭数個分を針金で巻いて結束した「集束手榴弾(ゲパルト・ラードゥンク)」を即興で作り、対戦車戦闘に使った。

写真はドイツの集束手榴弾


この当時の戦車は装甲の材質も脆弱で厚みもなかったので、手榴弾数個が一度に爆発した時の強い衝撃で装甲板の剥離や装甲を繋ぎ合わせるリベットの飛散を生じさせやすく、乗員の殺傷が出来ていた。この集束手榴弾は第二次世界大戦でも緊急時に作られた。


🔵対戦車手榴弾

その後、第二次世界大戦の初期から中期にかけて、ドイツやソ連は成形爆薬を使った「対戦車手榴弾」を実用化させた。

ただし成形炸薬によっての装甲貫徹効果を発揮させるには、炸薬と装甲板の向き合う面が決まっていないと効果が得られない。 そこで弾体にバトミントンラケットの羽根のような働きを果たす布製の吹き流し(ドラッグシュート)が投げると引き出される仕掛けの弾尾が取り付けられ、適正な命中面が得られるように工夫された。



第二次世界大戦後期に開発・実戦投入された日本の三式対戦車手榴弾とその内部構造。厚さ50mmの装甲の貫徹が可能という。上部の房がドラッグシュート(空気抵抗による制動・姿勢制御の装置)の役目をする。



ソ連の成型炸薬手榴弾RKG-3対戦車手榴弾。1950年開発。重さ約1kg 投げると尾部から4本の紐が付いた小型の落下傘(これがドラッグシュート)が開き、必ず弾頭部が下になって着弾する工夫がなされてる。いくつかのシリーズが作られているが、170〜最大220mmの装甲を貫徹出来るとある。

この対戦車手榴弾。今回のロ・ウ戦争においてウクライナ軍が使用してる動画があるのを確認。現場の兵士が使用している動画だが、完全停止した、恐らく破壊済の戦車に投げているので「手榴弾の効果をみる目的の映像」と思われる。とりあえず今でも現役なのだろう。



🔵吸着地雷

吸着式地雷は磁石によって戦車の車体に吸着させるもの。第二次世界大戦ではドイツが「HHL3」日本は「九九式破甲爆雷」が作られたが、前者は装甲を貫徹するモンロー・ノイマン効果を狙った(つまりHEAT弾)構造をしていてデータ通りなら140mm厚の装甲を破る威力があったが、後者の日本のソレは単なる爆薬で20mmの装甲の破壊しか期待出来なかった。

その後、ドイツの「パンツァーシュレッケ」のような「歩兵携行式対戦車ロケットランチャー」が実用化されると、敵戦車に肉薄しないといけないHHL3は1944年5月で生産を止めるが、日本は「九九式破甲爆雷」を終戦まで使用した。




ドイツの吸着式地雷「HHL3」。使い方は敵車両に肉薄し、磁石の力で敵車両に吸着させてから、信管を引いて離脱するもの。この肉薄は敵車両1両でも危険度は高く、ましてや敵車両が複数ある中での接近し、これを取り付ける行為は非常に危険である。

厚さ140mmの装甲の貫徹が可能。
1942年末から1944年5月まで開発・生産された。


こちらは日本の吸着地雷「九九式破甲爆雷」。四隅の磁石で敵車両装甲に吸着させ、真ん中の爆薬が爆発する。モンローノイマン効果を狙う構造ではなく、1つだと20mm程度の装甲を貫徹するくらいの能力程度しかない。磁石で2個連結の使用も可能だが、威力は倍の40mmの装甲しか貫徹出来ない。



🔵対戦車小銃擲弾(ライフルグレネード)

小銃擲弾(てきだん)は第一次世界大戦中に登場。その擲弾の弾頭が成形炸薬弾「HEAT」と同じ構造なのが対戦車小銃擲弾(アンチタンク・ライフル・グレネード)だ。この擲弾は第二次世界大戦中アメリカ、イギリス、ドイツが使用。特にドイツは信号弾発射拳銃を改造。対戦車小銃擲弾も発射可能な拳銃を開発。「カンプ・ピストル」の名称で実戦投入されている。



M31小銃擲弾を装着したM14小銃とM31の断面図


陸上自衛隊でもM31は採用されたが、発射には擲弾投射用の専用の空砲を使わねばならないという使い勝手の悪さと、命中精度に難があるので、保管はされているが現在、殆ど使用されてはおらず、主に新隊員教育に使用されるくらいである。写真のM31は青色なのは演習弾(模擬弾)だ。



こちらはカンプピストル