丸ブルー人間至上主義について考える。

 

有神論宗教は神の崇拝に焦点を絞る。人間至上主義の宗教はホモサピエンスを崇拝する。 ホモサピエンスは独特で神性な性質を持っており、その性質は他のあらゆる動物とも、他のあらゆる現象の性質と根本的に違う。、、、というのが人間至上主義の信念である。

 

人間至上主義者はホモサピエンス独特の性質は世界で他に類を見ない最も重要なものと考えており、その性質が宇宙で起こる一切の事の意味を決める。 至高の善は = ホモサピエンスの善と考えている。 世界の残りのあらゆるものは、ホモサピエンスという種を助けるためにある。と考えている。

 

全ての人間至上主義は人間性を崇拝するが、人間性の定義に関しては意見が別れる。

 

人間至上主義は3つの競合する宗派に分かれ「人間性」の厳密な定義を巡って争いをしている。その争いは同じキリスト崇拝なのに血で血を洗う戦争をしたカトリックとプロテスタントのように。

 

 

今日、最も需要で幅を利かせている人間至上主義の宗派は「自由主義の人間至上主義」で、この宗派は「人間性とは個々人の特性であり、したがって個人の自由はこの上なく神聖である」と信じている。

 

 

自由主義者によれば、人間性の神聖な性質は全ホモサピエンスひとりひとりに宿っていると信じている。個々の人間の内なる核心が世界に意味を与え、すべての倫理的、政治的権力の源泉となる。 もし私たちが倫理的、あるいは政治的ジレンマに直面したら自分の中に目を向け、内なる声 ~人間の声に耳を澄ますべきだ。

 

自由主義的な人間至上主義の主要な戒律はこの内なる声への侵入や害から守るよう意図されている。これらの戒律は一まとめに「人権」として知られている。

 

たとえば自由主義者が拷問や死刑に反対するのはそのためだ。

(日本など、死刑に関しての見解が違う国もあるが)

 

近代以前のヨーロッパでは、殺人者は宇宙の究極の秩序に反し、それを乱す者と考えられていた。 神の法則を乱す者だ。

 

宇宙の均衡を取り戻すにはその犯罪者を拷問にかけ、秩序が再び回復する様を誰もが見られるように公衆の面前で処刑する必要がある。殺人は人間の神聖な性質への冒涜と考え、その冒涜を働いたものを残酷に処刑し、乱れた秩序が元に戻る様子を公衆に見せることが必要と考えた。シェイクスピア、モリエールの時代では身の毛もよだつ処刑は大衆の人気の娯楽だった。

 

今日のヨーロッパ人は秩序回復の為に犯人を拷問したり、処刑したりはしない。

 

代わりに彼らはできうる限り、盛っとも「人間的」な方法とみなすもので殺人者を罰し、それによって殺人者の人間の尊厳を守り、さらに再建さえする。犯罪者がもてあそび、踏みにじった犯人の「命を」もてあそんだこととは真逆に、たとえ殺人者でも、その命を尊ぶことで、「私たちは犯罪者とは違うのだ。」を認識する。

 

 

自由主義的な人間至上主義は人間を神聖視するとはいえ、神の存在は否定しない。それどころかこの主義(の考え)は一神教に基づいている。 各個人の自由で神聖な性質を重んじる。 自由主義的な信念は各個人では自由で神聖な性質を重んじる直接の遺産だ。永遠の魂と造物主たる絶対神に頼らなければ、自由主義者が個々のサピエンスのどこがどう、そこまで特別なのか?を説明するのが不真面目なほど難しくなってしまう。