強国を前にして早々と膝を折って屈した国の当時の対応と、その後は似てくる。

 

 

 

丸ブルー大戦時の朝鮮とオランダの相似

 

韓国及び、北朝鮮が作るプロパガンダ映画は多い。両国のプロパガンダ色が盛り込まれたストーリーというと、大体が朝鮮兵(もしくは韓国兵)が残虐卑劣な日本兵を撃ち殺し、蹴り殺し、殴り殺す。 「勧善懲悪、日本は悪鬼」というワンパターン。中国は、韓国は、北朝鮮は日本軍を前にして少しも怯むことなく戦い殺したのだ。を強調する。

 

だが、日本が朝鮮を併合してから第二次世界大戦の終結までのおよそ30年間、朝鮮半島において日本の統治に対する大規模な抵抗運動と呼べるものがあった事実はない。朝鮮人たちは概して日本の統治に対して服従的だった。

 

むしろ多くの人々は服従以上の態度で自発的に日本に協力、積極的に日本軍への入隊を志願した。その数は80万人に達しているが、その中には朴槿恵(パク・クネ)前大統領の父である朴正煕(パク・チョンヒ)前大統領も含まれている。

 

彼は日本名「高木」を名乗り、自分の血でしたためた血判状を持って、当時の満州国の軍官学校、陸軍士官学校に入学している。極めて優秀な成績だったという。終戦時の階級は中尉。 本人は「大佐となって退役したかった」と語っている。

 

 

韓国の話に戻そう。

 

韓国人は未だに自分達の父や祖父達が臆病者で卑屈だったという心理的なトラウマに悩まされている。オランダ人達のケースと同じだ。 ロシア人やユーゴ人はドイツの力に対して力で対抗したが、ベルギー人達は違った。ベルギー人達は静かだが強力に抵抗した。

 

ベルギーの人達はドイツとの戦闘こそ殆どしていないが、ドイツに対する妨害・サボタージュは完璧だった。ドイツがオランダとベルギーを占領した後、ドイツは両国の警察に対しユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろと命じた。

 

ベルギーは第一次世界大戦の直後、ドイツの侵攻で占領された。次の第二次世界大戦でも同じだった。でも第一次世界大戦時の頃、娘だったベルギーのおばさん、おばあさん達は、第二次世界大戦がはじまり、ドイツがベルギーに乗り込んでくると、第一次大戦時に覚えた「偽文書作り」を始めた。  このテクニックでドイツ人を騙した。

 

ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアのような山岳地帯と呼べるようなものはない。隠れて抵抗運動を続けられる地理的に優位な環境ではなかった。 それでもベルギー人達は非常に効果的に抵抗した。 「 ドイツの言うことは聞かない 」ことだけを狡猾に行ったのだ。

 

 

 

丸ブルードイツの使用人のように振舞ったオランダ

 

ベルギーに逃れてきたユダヤ人達はベルギー人達の「狡猾なドイツへの抵抗」によって助かっていたし、ユダヤ人だけでなくナチスに反対するドイツ人達も多く存在していた。反ナチスのドイツ人達はヒトラー政権下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーはドイツから逃げてきた彼らを守った。これはベルギーによる静かな抵抗の実例の一つに過ぎない。 ベルギー政府はドイツに向かって「 NO 」とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。

 

 

 

しかしオランダはドイツに協力してオランダに逃げ込んだ逃亡者たちを率先して逮捕し、ドイツに引き渡した。彼らは強制収容所に送り込まれ、オランダを逃亡先にした者達は悉(ことごと)く死んだ。  オランダはまさにドイツの使用人のように振舞った。だからこそ戦後、ドイツ人を長期に渡って憎み続けることになった。 1945年以降、オランダ政府の国民に向けたメッセージは2つの嘘で塗り固められていた。

 

第一は戦時中、殆どドイツに対する抵抗運動などオランダはしなかったが、にも拘らず、話を誇張して大々的に抵抗したように振舞った。

 

第二は「個別での対独協力をしたケースはあったが、政府ぐるみで協力していた事実はなかった。」ということにした。

 

これが完全な嘘であることはアンネ・フランクと彼女の一家が、容易には見つからない隠れ家に長期に渡って住んでいたにもかかわらず、見つかり逮捕された事実から分かる。 誰かがオランダ当局に密告したのだ。これは当時のオランダ人社会に大規模、且つ組織的なドイツへの協力体制があったことを示している。

 

 

 

戦後のオランダ政府がこうだと臆病者だったオランダ人の父や祖父達も嘘をつきだす。臆病だった自身の半生を脚色・誇張して英雄譚へと変えていく。国のメディアも事実を曲げる。  やがて彼らの子や孫が生まれると、その嘘の英雄譚を教え込み、ドイツ人を悪魔のように語り貶める。敗戦したドイツもドイツ人も敗戦国の引け目から押し黙り、抗議もしないから都合がいい。 

 

戦争を知らないオランダ人達の子や孫は本当は臆病者だった父や祖父達の事実ではない脚色した嘘を信じる。政府もメディアも嘘を本当として教え込むのだから、まったく疑わない。疑わないまま同時代を生きているドイツ人達を憎み、蔑むようになる。

 

 

こうして「嘘」は「事実」へ。そこから「真実」となり、「歴史の定説(ていせつ)」となる。

 

 

 

オランダで固まった定説は後に大きな政治的副産物を生んだ。オランダは西ドイツがNATO(北大西洋条約機構)への加入の話が持ち上がると、猛反発をして加入拒否を表明した。だがNATOは西ドイツを必要としていた。なぜなら当時の西ドイツは社会主義勢力の最前線である東ドイツと国境を接していたからだ。ところがオランダはドイツに対する憎しみの感情に突き動かされ、西ドイツのNATO加盟阻止運動をしたのである。

 

反日の韓国人と同じように、オランダ人の反独感情は長年に渡って維持された。