面倒くさいが書くしかないなぁ・・。

 

 

右差しその前に知っておくと楽な予備知識

 

乙名(おとな)→意味のいわれは諸処あるが、アイヌにおいては酋長。村の総名主。代表者を指す。

 

丸ブルー武藤勘蔵「蝦夷日記(1789)」から引用

 

「 クナシリの乙名、サンシャ 留萌の乙名コタンヒル 余市の乙名キンキリュウ 岩内の乙名ワジマらは、いずれも有名な財産家で 近代の宝物をたくさん所持している 」

 

 

丸ブルー平秩東作(へづつとうさく)「東遊記録(1784)から引用(読み下し文)

 

「 村の長をオトナという 男つき良く、髭美わしく 弁舌良き者をオトナとする。 この乙名、豪強の者多く 容貌関羽のようで富者もいる  ルルモッペ(留萌)のトラビスは家広くして蓆(むしろ)百枚敷 妾の数十三人  東蝦夷の酋長は大きなチャシ(家であり蔵であり、砦の機能も持つアイヌにおける「城」に相当)を持ち 四方険阻にして、藤蔓にすがって出入りする。  四間に六間の蔵を三つ持ち、中に数々の重宝、干魚の類を蓄え置く。  その妻は錦(にしき)を着、羅紗十間を敷いて座してるという。 ノッシャム(根室か?)のツキノエは豪強で、ロシア人が鉄砲を撃ってきたので怒り、ロシア人を殺害した。 ツキノエは家が富み多くの手下を率いる勢力の強い者 」

 

丸ブルー最上徳内「渡島(おしま)筆記(1808)」より

 

「 村里には各長(おさ)がいる。 乙名・小使という。長は世襲制であり、小使は門地を選ばない。只上に立って衆夷を率いる。 衆夷はこれを仰いで、すべての長の命令を背くことはない。 役目の仕事があるときも長等が自ら勤(つと)めることなく、その仕事を監督する 」

 

丸ブルー松前広長「松前誌(1781)」より

 

「 凡そ一村の酋長ともなれば、家富み、家僕(下僕・下人)多き者は妾を置くこと十余人より二十余人に及んでいる。 妾をチハンケマチ、下僕をウタレという。 妾多きは必ずしも色欲多淫のみではない。 下人の多くは終日毒箭(毒矢)を背負って深山幽谷飛走して獣を狩捕し、或いは船を大海に浮かべ、海底に潜って魚貝を漁捕する。 岸に上がってこの収穫物を道路にうち捨て、他の交遊をなして、はなはだ怠けているけれども、妻妾一同が集まりまじえてこの魚貝を運び、これを乾かすのである。   これを乾肉とすることや、これを薄く切って細長くのばして干し肉とすることは、みな妻妾の仕事である 風雨には妻妾が各々、その家に居てアツシ(着物)を織るなど諸産業のことごとく女子の手作業で造られないものはない。 その故に妾を多く扶助している夷人(アイヌ人)は必ず家が豊穣である。 」

 

 

アイヌ協会などアイヌの団体や、その取り巻きの団体・関係者、反日日本人はアイヌを語るとき


「アイヌは自然を崇拝する平和的な民族だった」


と盛大に喧伝しているが、実際のアイヌの社会は富者と貧者がはっきり分かれている「格差社会」で奴隷制度があった「奴隷社会」あることが記録を見れば分かる。これを今のアイヌ協会を筆頭にアイヌ団体は素知らぬ顔で隠している。


 

しかし、日本政府からの「援助」で無償の利益を得た「甘い汁」を知ったアイヌがこれを切っ掛けに、援助を政府から貰い続け、自分たちは働かないで国からの援助で生きるやり方を狙うようになり、


「まだまだアイヌは日本の社会に馴染めず、立ち遅れている」


と訴え、政府から援助の期限を何度も延長させ、利益を得ていた。 しかし訴え続ける延長作戦も、いい加減、続かなくなると「差別」を利用するようになる。

 

 

具体的な手口(スキーム)を教えたのは被差別部落の解放を訴える中で出てきた「差別ゴロ(ゴロツキ)」で、会社に押しかけ「この会社は差別した」と、例えば試験に落ちた学生を被差別出身者に仕立てて、代わり会社に押しかけ金を巻き上げるような事もする団体で、こうした被差別解放団体が編み出した、政府からの援助というものを勝ち取り、援助金を受ける手口を学んだ。

 

この手口は韓国にも渡り、ここも被害性を訴えて日本から金を巻き上げようと画策する団体が生まれる。

 

こうして繰り返すうちに、差別として訴えるネタが無くなると、歴史そのものを都合よく操作し、創作し、歪曲してまで金を得ようとする。 ここまで行っているのがアイヌ協会を筆頭とする北海道であり、韓国なのだ。