ようは最初に大声で騒ぎ立て、世界中に言い立てるウソつきがいるというのが、残念ながら世界の常識で、言い立てられたほうがマゴマゴして黙っていると、言い立てたウソつき共の言い分が「真実・事実」になっちゃうんだよ。 だから自分でウソつき共の言うことを検分・検証し、嘘と分かったら全力で反論する。これが大事なんだ。

 

 

丸ブルーアイヌを「旧土人」というのは差別だと言い立てるアイヌ団体&左翼のウソ

 

安政3(1856)年

公文書でそれまで「蝦夷人」と表記していたが、これを「土人」と表記することに決めている。「土人」とは「土着民」つまり「地元民」に相当する意味合いで「アイヌ」という呼称は明治時代になってからという。今日のアイヌ団体や頭の悪い左翼、浅薄な人らが「(アイヌを)差別している言葉である!」と言い立てているが、真っ赤な嘘である。 とりあえずウェブサイトにあるアイヌ協会のウソの言い分を見てみよう。

 

「日本の公教育では、アイヌ民族の認識が教科書記述に端的に表れています。
19世紀当初から20世紀後半まで、日本の中央政権は、アイヌ民族に対し同化政策を押しつけました。それでも明治期から第二次世界大戦敗戦前まで使用された国定教科書にはアイヌを「土人」と表し(行政用語ではM(明治)11から「旧土人」)、基本的にはアイヌは先住民族との認識 の下で公教育を進めてきました。戦後は、一転して国籍を持つ者「国民」としてだけで把握し、その民族的属性やそれら集団に対する配慮を欠くこととなりました。」

 

(中略)

 

「和人とアイヌの不幸な過去の歴史を乗り越え、それぞれの民族の歴史や文化を相互に尊重する多文化主義の実践や人種主義の根絶は、人権思想を根付かせ発展させようとする国連システムの取り組みに符合します。日本のアイヌ民族についてもこれからの取り組みが大切です。」

 

「和人とアイヌの不幸な過去の歴史」「不幸な過去の歴史」「人種主義の根絶」と、あくまで「アイヌは被害者、アイヌを一方的に苦しめた日本と日本人」の構図を作り出そうとしているが、ウソ・デタラメである。


 そもそも「旧土人」という言葉を長らく生き残らせたのはアイヌ協会がアイヌ協会と改称する前のウタリ協会であり、ウタリ協会が旧土人保護法を続けてくれと訴えた理由は北海道旧土人保護法が「アイヌを特別に優遇出来る方法がある法律」だからだった。


その保護法が無くなる代わりに「アイヌ新法」が出来るまでの間に「旧土人」なる言葉を「差別語」に変換した。そうして「差別被害ビジネス」の材料にアイヌ協会を筆頭とするアイヌ団体やアイヌ擁護団体などが拡散した。が実態なのだ。

 

 

残っている「土人が別に差別用語でも何でもない」資料を拾い上げてみる。

 

 

丸ブルー甲子夜話 江戸藩主・松浦静山の話

 

「予が領地にも多久嶋と云へる二里に足らざる嶋の城地に近きに、此(ここ)に異種の雉(キジ)あり  土人、(地元民)高麗雉(こうらいきじ)と呼ぶ (以下中略) 

上矢印

土人が「地元民・原住民」を意味しているのが良くわかる。

 

 

丸ブルー同じく、甲子夜話 高麗人参栽培失敗の其の理由の話

 

「徳廟、朝鮮国の寒期は吾邦(我が国)の信州と均(ひと)し(よく似ているという意味)と御考ありて 信州に人参(朝鮮人参)を植えさせ給うに  其(その)生産、気味、朝鮮に異ならず  因屡々(よってしばしば)人をして視せられし故(ゆえ)、(←朝鮮人参の育成の具合はいかが?と江戸からの役人が見に来る)

 

土人これを厭(いと)ひて(嫌がり) 密かにかの草(人参)に湯を濯(そそ)ぎ 土不協(土が合わない)などと云いて竟(つい)其こと廃せしと云う。」

上矢印

信州の土人(地元民が)朝鮮人参の生産に適していると踏んだ信州に植えたのだが、江戸からの役人の頻繁な視察を嫌い、湯をかけて人参を立ち枯れさせたという話。

 

 

 

丸ブルー江戸期末期の思想家で兵学者「佐久間象山」の名前の由来の話

「予慮之西南 巨陵奮起 其状厳然類象 土人目曰象山。 則余亦遂以象山 自号焉」

上矢印

漢文だが中身は「信州・松代の佐久間象山の家の西南に象に似た大きな丘があって、土人(地元民・原住民)はこれを象山と呼んでいたので これを自らの号にした」と象山は書いている

 

 

丸ブルー昭和初期の朝日新聞(1938年12月4日付)

「(山形県では)こういう現象を土民(地元民)は年に一度は体験する。)」

(錦三郎「飛行蜘蛛」より)

 

 

丸ブルーアイヌ女流作家バチェラー八重子(1884~1962)の詩の一節

「和人(シサム)土人(アイヌ)の区別なく、」

上矢印

旧土人保護法によってアイヌに与えられていた土地が日本の大戦によってアメリカの占領下に入り、マッカーサーが施行した農地改革法(昭和22年)で没収となった時のアイヌの困惑。このことをアイヌのバチェラー八重子は「和人(シサム)土人(アイヌ)の区別なく、」と、文章の中で表記している。 「土人はアイヌをさげすむ言葉」と、アイヌの八重子が承知していたなら、こんな表記は絶対にするはずがない。


🔵『土人』に差別のイメージが付いた「きっかけ」


上記の表朝日新聞の記事の記録を見れば、昭和38年時点(1963年)は確実に「土人(=地元民・原住民)」は別段差別語でも何でも無かったのは火を見るより明らか。


この差別語でも何でもない『土人』が何時頃から差別語になったのか?


恐らくではあるが、まあ間違いないであろう『キッカケ』はある。『アメリカから日本にブラウン監督に乗ってやってきた西部劇ドラマシリーズ』だ。


時期的にはこの米製西部劇ドラマシリーズの数々がが日本には1959年から1963年まで日本で放映された。この中で西部劇なので当然、アメリカの原住民である「インディアン」が登場する。


このドラマでインディアンは『理屈が通らず、愚かしく、野蛮で、すぐに白人に襲い掛かり殺そうとする蛮族』として描かれた。


このアメリカ原住民のインディアンを邦訳や新聞の番宣で『アメリカ土人(原住民)インディアン』と表記したり呼称した。


これによって、それまで特に注目もされなかった原住民、地元民を表わす言葉『土人』に、にわかに『未開人・野蛮人』といった『差別語のイメージ』が付いた。この線が大変濃厚だ。


実際にこれ以降、元々そんなにメジャーな言葉では無かった『土人』は急激に言葉としてメディアは使わなくなる。悪いイメージとなった言葉を、悪いイメージとなってきても散々使っていたのは特権・利権のために『旧土人保護法』を必死に守る現在の北海道アイヌ協会の先人達(ウタリ協会)とその関係者だけだったのだ。

 

 

丸ブルーアイヌを「旧土人」と呼称するよう変更した理由

 


これも大した問題ではない。ずっと昔から日本は北海道の地を認識し、平安時代に和人の集団が入植。鎌倉時代には鎌倉幕府が蝦夷地(北海道)日本国領と任じ、以降、戦国→江戸を通じて北海道は日本の領地として認識されており、江戸時代の砂金の発見で、男を中心とした和人が大量に北海道に流入。

 

こうして和人がアイヌ人の数をはるかに上回る数で北海道で生活。


江戸期、北海道に住むアイヌの数と北海道への和人(日本人)の流入を記録した人別帳(戸籍謄本と理解してよい)が残っているが、アイヌがおよそ2万人に対し、北海道に居る日本人の数は6倍以上の13万人。人別長には載ることができない無宿者や流れ者、罪人も北海道に流れていたと考えられるので実態としては北海道は圧倒的に日本人で溢れていた。 その江戸期に北海道から流入した和人(日本人)が土着化。


土着とはこの場合、親は別のところの余所者でも、新天地に住み着き、結婚し、子を成し、その子供、つまり北海道生まれ、北海道育ちの和人が生まれたら、北海道生まれの彼・彼女らは「土着化した和人」つまり「土民(地元民)」となる。これが正しい「土民とは何か?の解説」である。

 

 

アイヌ協会などは「明治時代になるまで、北海道には和人(日本人)は入ってきておらず、北海道は正に「アイヌの地」であった。それを明治になって、日本人がやって来て、アイヌを差別・虐待・虐殺したのだ」という話にしたく、我々は被害者なのだ!と言い立てる一方で、自分たちの言い分に都合の悪い文献、資料は隠しているのだが、ずっと前から北海道の地に日本人は来て住んでいたのが事実。その痕跡や資料は北海道の地に、文献にたくさん残っている。

 

 

話をもどすと。明治になるとこうした江戸時代に入植し、定着している和人を「土人」それ以前から北海道に住まうアイヌを古い地元民の意味の「旧土人」にした。つまり便宜上こういう分け方をしないと、アイヌだけに適用させる保護法が機能しなくなるから、アイヌに「旧土人」の字をあてた。それだけの話なのである。

 

アイヌに対しての近代化政策をとらねば、彼らは一層立ち遅れ、大変なことになると考えた日本政府は「アイヌ保護政策」を立案する。その立案にあたって、すっかり北海道に馴染み住み着いた日本人は完全に「土民(地元民)」化しており、これでは区別がつかない。・・とうことで旧土人(もっとも古くからの地元民)」という言葉を作り出したのである。

 

 

そうして可決・成立したのが 北海道旧土人保護法(ほっかいどうきゅうどじんほごほう、明治32年3月2日法律第27号)である。

 

旧土人保護法がいかにアイヌを保護しながら近代化の波に乗せようとした政策だったか北海道旧土人保護法 - Wikipediaを参照するとよい。

 

(実際はアイヌの慣習などが障害となって上手くいかないこともあったが、良かれと思って打ち出した政策が100%上手くいかない事実は世界を見渡さずともごまんとある。ブログを読んでいる人ならば、いわずもがな。ではなかろうか)。)

 

 

 

これをアイヌ団体やその取り巻き、名を上げようとする知識人や目先の金(報酬)に転んだ、学者、教授、票田欲しさの政治家などなどがアイヌ協会を筆頭としたアイヌ団体の意向ののままにウソ・いつわりを全国に向けて垂れ流し、ありもしないアイヌの差別と被害を訴え、日本政府に永遠の賠償を迫る一方で、日本国民にはあらゆる媒体(インターネットは勿論、幼児には絵本、子供には副読本、を全国の図書館にバラ撒き)をも使い、日本国民には、そもそも持つ必要もないアイヌへの罪悪感を植え付けようとしている。

 


北海道民でさえ、「 明治になって日本人が北海道に入り、それまで住んでいたアイヌ人たちに対し、悪行の限りを尽くした。これは事実だろうな。」と、詳細を調べることもなく、アイヌ協会のなどがぶち撒けるウソを本当のコトとして、調べもせずに受け止めているのである。

 

 

 

「土人」も「旧土人」もなんの差別用語でもない。でもこのウソが世界中にバラまかれているのである。アイヌ協会や反日左翼や反日日本人の口によって。

 

「土人は差別語しているものだ」と言うはここまで述べたように、調べれば直ぐにボロがでるデタラメである。しかし 本当のことかウソか?で言いよどんでいるうちに、反日左翼やアイヌ協会を筆頭とする団体は世界に向けて日本を貶める材料として、こうしたデタラメを世界中にバラまく。 これが実態なのだ。