だから面白いっちゃ面白いが、マンガ「ゴールデンカムイ」は好きくないんだ。

 

 

丸ブルーアイヌは平和を愛する民族なのです」のウソ

 

 

「 アイヌは自然と共存し、昔から平和に暮らしている民族です 」と、日本政府から援助金をむしり取ろうとするのに反日姿勢を見せるアイヌ団体や、それを応援するこれまた反日国内左派などがこういうアイヌのイメージを喧伝しているが、江戸期の資料を読むとアイヌは交易のために、ワシ、ラッコ、オットセイ、エゾジカ・サケなどを乱獲。 一部はほとんど全滅に追い込んだ。 道東のアイヌはウルップ島にわたり、年間およそ3000頭のラッコを乱獲。 当時(江戸時代)ですでにラッコは希少動物となり、1頭が(毛皮だが)米俵50俵で取引されるまでになっていた。 

 

天明6(1786)年。「蝦夷拾遺( 佐藤玄六郎 )」という本には「ラッコは火を恐れ、人家有るところに居らず、蝦夷人、年々、ウルップ島へ行きて、捕まえし来(きた)り。 肉は食し、皮を売り出す。最も乏(とぼ)し。 」との記載があり、昭和初期、すでにラッコは絶滅危惧の理由から禁漁となっていたが、当時逮捕されたラッコの皮を取り扱っていた密売業者の逮捕後、取り調べでの自供によると、1頭につき500円で取引していたとある。

 

当時の土木員の日当が1円くらい、現代の土木作業員の日当がざっと1万円と考えると、ラッコの皮一枚はおよそ500万円に相当する。 ちなみにアマッポ猟(猛毒を矢じりに塗り付けた仕掛け毒弓猟)を禁止した明治政府は、禁止によって生活が絶たれる恐れが出るアイヌを支えるために猟銃を無償供与。撃ち方も無償で教授したが、これにより、またたくまにエゾジカが激減した。

 

 

とてもアイヌが「 自然と共存し、太古から自然を大切にしながら平和に暮らしている民族 」のイメージはうかがえない。

 

 

 

ちなみにアマッポ猟を禁止にしたのは、仕掛けた本人くらいしか、どこにどのように仕掛けたのか分からないよう隠ぺいする仕掛け猟で、鏃(やじり = 矢の先、獲物の体を貫くために尖った部分)には、ヒグマすら僅かでも刺されば、ほどなく絶命する程のトリカブトを主体とした猛毒が塗られ、これが何も知らずに北海道の森林に入り込んだ人を射殺す事件が起こり、「 こんな状態ではとても文明国にはなれないし、これを続けていてはアイヌを日本の一員とするのは難しい 」ということで禁止することにした。

 

 

アマッポ猟の禁止令が出たのは明治だ。

 

たしか、そのころのアマッポで足を撃たれたおじさんが死んだ話を最後のアイヌ(と言っても差支えがない。)砂沢クラさんがしている。

 

 

 

砂沢クラさんという方が最後のアイヌと言っても過言ではない理由はいずれ書くと思う。