丸ブルーナショナリズムが適用できる範囲

 

 

結局のところ、どこまでが『 自分たち 』か、そしてどこまでが『 故郷 』か、という意味付け自体、『 自然的 / 人工的  』といった明確な区分は難しく、むしろそれは曖昧に連続している。

 

ある意味すべて人工的であり、国の捉え方・歴史観がナショナリズムとパトリオティズムの適用可能な範囲を決める。

 

だからこそ中国も『 チベットは昔から中国の領土であった 』と強弁し、チベット侵略という国際社会からの非難にも対抗しているのであろう。 

 

 

 

 

丸ブルーアナキズム・コスモポリタニズムは『 勝ち組 』の思想

 

 

『 こんな恣意的な迷路にハマってどうする。 そんなこと考えるくらいなら、国家や国境なんか無くして、みんな一つになればいいじゃないか 』という構想もある。

 

いわゆる『 キラキラアナキズム ( anarchism 無政府主義 ) 』 や 『 キラキラコスモポリタニズム( cosmopolitanism 世界民主主義 )がソレだ。

 

しかしこれらの思想を奉ずるにしたって、『 一定の条件 』というものがないと成立は難しいだろうな。 ということはコレまでの主義に関して右往左往している様を見れば判るだろう。

 

 

 

たとえばコスモポリタニズム

 

コスモポリタン( 世界主義の思想をもつ世界市民 )になりたいと思っても簡単になれるものじゃない。 世界全体を『 我が故郷 』とし、何のしがらみも無く自由に生きるには少なくとも外国で不自由なく暮らせるだけの語学力と財力が必要だ。

 

 

確かに老後を海外で過ごそうなんて人も増えてきてはいるが、そういう生活を実現できるのは、一握りの特権階級といってよい。  18世紀までのヨーロッパでは貴族階級が国境を飛び越えて交流した時代で、そうした貴族の意識は自国の民衆よりも他国の同じ階級もの同士の連帯感の方が強かったといわれる。   今現在コスポリタニズムを実践する『 コスモポリタン 』でいる者は、経済的に勝利し、文化的資本も勝ち得た『 勝ち組 』であり、つまり『 ごく一部 』だけが享受できる思想にすぎない。

 

 

 

他方でアナキズムも実現は難しい。

 

無政府主義のアナキズムを実践するとなれば、国家が存在しないので、自分の財産と安全は自前で守らなければならない。 自分の支払いで自分自身を安全に守り、それを継続的に出来るものなど少数の強者に決まっている。

 

もし自分に害を及ぼそうとしている者が現れた場合、他人の善意に期待して自分の安全を守ってもらうのは期待しにくい。だから自分で武器を手にして立ち向かわなければならない。ただの労働者・庶民にとっては、そういった安全は『 国に頼んだ方が 』はるかに安上がりだ。

 

結局この2つのあり方は理想としてはとても結構なものだが、実現するには問題が大きすぎるのだ。

 

 

星アナキズムもコスモポリタニズムも個人が実現するのは大変だ

 

 

 

丸ブルー愛国心とは何か

 

 

スポーツ選手とかアカデミシャン(教授や博士といった学究的な職の人)とか大層な金持ちとか、いろんな意味で人並み外れた『 資本 』や『 能力 』を持っている人間なんかはどこの国も大歓迎する。

 

松井やイチローがビザで苦労した話は全然聞かないが、普通の人が外国に働きに行こうとすると、どんなにその国に貢献しようが、愛していようがビザを取るのは大変だ。

 

そして大変だからとこっそり不法滞在なんかしていたら犯罪者としてしょっ引かれる。  その意味で充分に強者でない人間は、相互扶助制度が整っている生まれた国家に頼って生きざるを得ない一方、国家からの庇護をあまり期待できないというジレンマの中にある。

 

 

結局。社会的強者でない者にとって、国民を充分に保護する能力がある国家に生まれるか?生まれないか?は『 一種の運 』だ。 そこに生きることが快適であれば、自然に周囲にも社会にも感謝の念として愛国心も生まれる。 しかしそうでないなら、たいていの人々はそこから逃げ出し『 難民 』となる。

 

 

その意味で言えば、今は充分でなくても、将来、どこをどうすればもっと良くなるのかが分かり、その『 もっと良い 』に向かって努力しても良いという希望があるなら、それだけで充分『 愛国心 』があると言えるかもしれない。

 

 

 

ルナンが言うように『 国民意識とは山や川、あるいは海で仕切られた自然の環境でも、美しい母国語でも、共通の歴史でさえもない。 そういう所与ではなく星自分 /自分たちがその国の未来に向かって望む方向に作り上げられるという見通しが国民意識を形成する 』のであって、それが出来る望みがあるのなら、自然に周囲にも社会にも感謝を抱き、愛国心も出てくるものであろう。

 

 

星国家は欠陥の多い制度だが、それをコントロールし、自分たちに利益をもたらすように変えられるという希望がある。その希望が愛国心である。

 

 

そして

星弱者ほど国に守ってもらわねば生きていけない。

なかなかツライがこれもまた現実だ。