共産党批判でもいいし、武士(ヘタレ)批判でもいいんだけれどもね。

 

 

 

そういえば共産党の『  「綱領」と「党規約」読みこなせたらあなたは前衛( ぜんえい 共産党でいうところのエリートの意味 ) です。 』ってのは、なんだかなぁ。という話から、「 それ憧れの先輩の生き様 」とか「 一冊の本 」の名言やスタイルを自分の中の「 人生の背骨 」にして生きる奴に似ているね。なんて話をした。 今日はその話を進めよう。

 

 

丸ブルー間違いの例を挙げてみる

 

1先輩だから後輩を毎日パシリとして使い、ジュースや昼飯の買い物に走らせ、生意気だったらブッ叩く。

 

2母親をなぐる甥っ子がいると聞きつけ、親を殴るとは何事か。 と甥っ子を殴り、親に謝れといい、謝らせた。

 

3巡回パトロール中に、アヤシイ男がいたので、『 なんでこんな時間にあるんてんだ? 』と聞いたら、その男が『 なんだお前、なめてんのか? 』と返されたので、警官はキレた。

 

 

①の場合

先輩本人は『 それの何が悪い? 俺らが一年の時は先輩のパシリだった 』というのだろうが、 先輩は後輩を指導する立場にある以上、その指導には『 ちゃんとした意味がなければならないずで、 その意味は必ず後になって指導された後輩が成長するもの。 』でなければならない。

 

毎日の昼のパンやジュースの使いっぱしりが特段、後輩の成長に成らないのは一目瞭然。 

 

これは先輩後輩の関係を歴代の先輩からの『 よくわからない伝統のようなもの 』を、これまた良く考えもせずに引き継いでいるだけ。 がこういうことになる。

 

 

②の場合

これは殴った当人の中には『 親を大切にしない奴は、言語道断 』の考えがあったと思われるもので、この場合、彼から見れば、息子は有無も言わさずの『 悪 』となる。 

 

だが親も人の子。 間違いも酷い事もする。

もしかしたら親にも子に酷い事をした・言った可能性は十分にあり、 その酷い事への憤りで息子は殴ったのかもしれない。  殴った自分だけ憤りは下がるだろうが、 もし親にも非があるなら、息子の怒りと憎しみは 倍増 しかしない。 彼は『 殴る前に息子の言い分を聞くべき 』だった。

 

 

③の場合

警官の口のきき方が悪い。

アヤシイ奴でも現時点では『 怪しいだけで犯罪者ではない 一般人だ 』。ならば『 なんでこんな時間に歩いてんだ? 』とタメ口を叩くのは失礼。まぁアヤシイと思ったのだから言い回しも悪かったのだろう、それが質問された今のところ一般人の彼のイラ立ちに火をつけ、ついに。『 お前ナメンとんのか? 』と警官にたてついた。  その言葉にカチンと来た警官が『 なんだぁお前 』となり、そこから先は激しい言い合い・にらみ合い。

 

実はこれ、その現場に居合わせた実話。 職質されたのは友達。 後から来たのだが、警官が2人いて質問されている事に、彼はだんだんとイラ立ち始め、聞く態度の悪い警官に『 お前ナメてんだろ? 』と一言。 それで警官と大いにもめた。

 

 

とまぁ 状況もタイプも違いはあるが共通するのは『 自分は正しく相手は間違っている 』という考えがベースにあることで起きた事例ということ。

 

人はそれぞれの状況に応じた判断基準があるが、それがどういうことになるか?・・なんてそう深くは考えていない。 でもそれが後々大いに問題になったりする。

 

 

丸ブルー「憧れの人の生き方」 「 尊敬する人の本 」をマネても成功はまずしない。

 

でも人は『 俺の生き方 』みたいなモットーを持たないと、出くわしたトラブルにただオロオロとするしかない。 だから生きる指針がどうしても欲しくなる。 そこで手軽な『 生きる指針の入手方法 』として、『 成功者の著作や憧れの先輩の考え方をマネる 』というのがある。

 

 

例えば矢沢栄吉さんの「 成りあがり 」に感動して「 ヤザワな人 」になる。

 

でも本の中に書かれた彼の言動・発言・生きざまをマネたところで、世界は何も変わらない。 むしろヤザワになった人間の出現に周囲は困る。 これが普通だ。  憧れの先輩の生きざまをマネたとしても、結果はヤザワになった人と大して変わらない。   

 

人生において「 私の生き方 」「 俺の生き方 」「 自分の背骨 」は欲しい。 確固としたスタイルで生きていければなんと良いことか。  ということで皆 結構「 人生の成功者 」の生き方・考え方を安易に取り入れ 「 自分のスタイル 」にしたがる。 

 

 

でもこういう一つの考えに染まった人間の出現は、周囲が多少迷惑になるという現象しか巻き起こらないのが現実だ。

 

それはなぜか?

 

丸ブルーそりゃ君に能力がないから

 

成功した人やカッコイイ人ってのは「 もともと優れた能力 」「 優れた才能 」を持って、それを武器にしてあらゆる局面に対峙して、その中で自分の才能に更に「 磨きをかけ 」、 そうこうしているうちに「 新たな才能を備えた仲間 」が現れたりして 難局を突破しながら成長しているものだ。   

 

そもそもにおいて 現時点で「 磨くべき突出した能力がみあたらず磨きようもないのに 」 成功した人のマネをしたところで、伸びようがない。 掛け算でゼロに何をかけても「 答えはゼロ 」と同じ。  でも若いときは自分の中に確固たるものがないから、アセリもあって、成功者の生き方のマネに陥りやすい。

 

 

人生で成功した人を色に例えると『 何色にももう染まらない ゆるぎない黒色 』といえる。

 

これをマネるということは「 憧れの人以外の生き方は受け付けない 」となるのなだが、いかんせん憧れの人をマネているだけの彼は能力など持っていない。

 

だからマネて他人様の黒に無理やり身を染めたところで、 その黒はポロポロと剥がれ落ちやすい。そうしているうちに その憧れの人の考えを安易に解釈して間違った判断を下す。そしてトラブルになる。うまくいかない。こういうのは 『 自分に黒いメッキを1回施しただけ 』みたいなものだ。

 

 

丸ブルー所詮人生は メッキの塗り重ねみたいなもん。と考えてみる。

 

憧れの人の生き方をマネしても、その人本人じゃないから上手くいかない。また、その憧れの人が出くわした事のない問題に自分が出くわすこともある。 その時はマニュアルがないから、応用も他の問題解決のアイデアも浮かばない。

 

だからこそ、本来ならば たった一人の憧れに頼るのではなく、様々な人の助言や、足りなければ本を沢山読んで、考え方を深めるべきなんだろう。  しかし本を読むのも面倒だ。 いまはインターネットがあるじゃない。・・とネット情報ばかりを漁る。

 

ネットは『 すぐに飛び立てるが、自分の生きたいところにしか飛ばない。 そして好きなものしか探らない 』

 

食生活に例えると『 お菓子ばっかり喰っているようなもの 』

 

それじゃ脳は一部だけがブヨブヨ太り、他はやせ細る。 気が付くころには随分と考えが偏った上に、浅薄な考えの人間に仕上がってしまう。

 

 

どうせ人は色んな人の考えを受け入れながら、自分で試し、上手くいったりしたら採用。 失敗したら廃棄。 失敗した分はほかの考えを採用して、また試す。の繰り返し。 つまり『 沢山の色のメッキ( 他人様の考え方 )を自分に試して、剥がれた部分には別の色のメッキ( また別の他の人の考え方 )をかけの( 取り入れ、試し )をしてみて 』の繰り返しをし、 最初は汚いがメッキを重ねてくうちに、だんだんと濃くなって、気が付けば『 真っ黒 』つまりもう何色にも染まらない。その 『 これが自分 』というゴールを目指していくのが正しい。

 

 

 

でも、このやり方だと、自分の生き方を持たず、上手く考えられずの時間が長くなる。 いつまでもマゴマゴしてしまう。 他人のトラブルに介入するのも躊躇してしまう。 介入しても解決できない。 そうしているうちに周囲からは 『 優柔不断なやつ 』という風にされてしまう。

 

それはそれで困ったこと。

 

優柔不断な奴は男の場合、確実にモテない。

 

 

 

丸ブルー一つだけ確実に言える事

 

他人様のマネをしたところで付け焼刃。 ウンウン考えすぎて唸っていたら優柔不断。 『 俺の生き方 』を手に入れるは実は難しい。

 

でもひとつだけ確実に人生の成功にも人生の楽しみにもつながる『 考え方 』がある。

 

それは『 人脈を大事にすること 』

 

 

あちゃー前回、日本共産党の内部の話でクサしていた言葉だあ!


 

 

もちょっと美しい感じのイメージの言葉に変えるなら『 人と人の繋がりを大切にしろ 』かな?

 

 

『 ウサギは寂しいと死んじゃう 』なんてフレーズがあるが、寂しいと死んじゃうのはウサギではなく人間だ。

 

自分には誰もいない。・・とハタと自覚したとき、思い切り、死にたい心境になれる。そういうもんだ。

 

そうでなくても何かをしたい。と思った時に自分一人ではほとんど何もできない。 結局 どこかの誰かの手助けなしには自分の望みも満足に叶わない。

 

有名人の著作や憧れの人の生き方を詳しく探れば、 確かにそういった人らには輝ける才能があるのだが、 かれらは自分でのし上がってはいない、もちろん自分の力を全力で出しているのだが、かならず『 その様子を見て関心を持った助力者 』がいて、あがいている彼らに手を貸している。  成功者の姿ばかり追うと そこを見逃しがちになる。

 

大体 有名人の著作で一時 人生の絶頂から転落するとき、その前後では必ず それまで助けてくれた助力者( 上司 同僚 部下 恋人 家族など )をないがしろにしてからの転落が多く、 

 

どん底からの復活は、かつてお助けてもらったか、あるいは助けた者が手を差し伸べたのがきっかけで復活している。

 

 

だから家族を大事にしろ!とは言わないが、周囲の人はまず大事にしたほうがいい。 その存在は助けになるし、癒しになるし、生きる力になる。

 

丸ブルーとりあえず その場で頑張ってみる

 

他人が『 おっ・・あいつ・・・』と関心を示すのは、その人が一所懸命頑張っている時だ。 頑張りは誠実さを全面に出しているようなもの。

 

頑張っていて苦しんで、『 苦しい・・・ 』と素直にいえば、 見ていた誰かが助けてくれる。 素直に苦しみを吐露するのも大事だ。 やせ我慢して誰にも助けを求めないと、周りの人は 『助けてあげたいけど、助けられない 』 気持ちになるもの。 頑張り。はやせ我慢。につながるから難しいのだが。 

 

 

そして自分の周りで頑張っているやつがいたら助けてあげる。 これが大事。苦しそうだったら手を差し伸べる。 そして他の誰かが求めている能力を手にするために『 自分磨き 』をして、相手が心から君を欲する人間になるのもいい。 たとえその彼とのタッグが組めなくても、それまでに磨いたスキルはほかの誰かも欲しがる。

 

 

で、エゲツなく言えば、そういう人の繋がりは前回いったとおり『 人脈 』だ。 人脈はぶっちゃけ 力が増せば現代のマジックスキル( 魔法 )に等しい。

 

 

と最後の最後で生臭くなっちゃったが、周囲の人との繋がりは大事にしよう・・・て、 繋がりの薄いインターネットの世界でいうことか?なんだが。

 

 

そうだなぁ 近日中に『 拝金主義者( ホ〇エモンとか ) は、なぜ嫌われる?でも同じくらい憧れられる? 』とかの話でもかこうかな?

 

(おわり)