正統竹内文書では、邪馬台国について、はっきりと言っています。

本当は、邪馬台国(やまたいこく)と書いて、やまと国と、読むのが本当の読み方だそうです。

 

4代から、8代までの天皇は、倭国大乱で九州にいました。

この時代は、統治王と、祭祀王と、二人で国を治めていました。国体と、政体を分けていました。

そして、祭祀王の方が上でした。

統治王と、祭祀王がいた所が、邪馬台国です。

そして、首都の事を、飛鳥と言っていました。何処に、移っても、首都の事は、飛鳥と言っていたそうです。

孝元天皇の娘、ヤマトトモモソヒメ命が、九州で、祭祀王(卑弥呼)になり、開花天皇と、共に大和に入りました。

大和に、入った事で、今度は、大和が、邪馬台国になりました。

 

卑弥呼とは、日の巫女で、天照大神を、自分に、下ろす事が出来る(巫女)祭祀王です。

ヤマトトモモソヒメ命は、10代崇神天皇まで、かなり高齢になるまで、卑弥呼を(祭祀王)やっていました。

 

亡くなってから、男性が、祭祀王になりましたが、また、国があれたので、崇神天皇の13才の娘トヨスキイリヒメ命が、祭祀王になり、卑弥呼を、継いだようです。

そして国は、平和に収まったようです。

 

邪馬台国論争で、九州説、大和説で、もめていますが、統治王(天皇)と、祭祀王がいた所で、土地ではないですから、場所は動くので、決まっていないという事です。

九州も、畿内のどちらも正解という事です。

大阪や、滋賀県の近江の国にも、場所が移ったことがあるようですよ。

 

日本書紀(中国に向けて書いた嘘の書)、古事記(国内に向けて書いた本気の書)で、なぜ、邪馬台国を載せていないかと言うと、隠したかったからだそうです。

責任者は編纂の、責任者は藤原不比等が、中国に、情報を与えたくなかったからだと言われています。

中国は、皇帝が変わると、歴史が書き変わるので、隠せると想ったようです。

 

3つの嘘が書かれていると竹内宿禰は言っています。

 

複数の事件の事が、一つの場所で起きたように、噓で書かれています。

神様の系図も、わざと、ずらして、解からないように書かれています。

起こった時期を、わざと、ずらして書いています。