「あっ!袴田先生!院長先生がお呼びでしたよ!」
「え!院長先生!?」
(そういえば院長室なんて着任のあいさつ以来だから少し緊張するなあ)
コン、コン
「どうぞ」
「失礼します」
「おお、袴田先生、お疲れ様。聞いたよ。美空君が手術に入ったそうだね」
「はい、実は、眼球の提供者が見つかりまして・・ただ、神経系の伝達がうまくいくのかわかりませんし・・・」
「ん!?まだ、何か不安なのかね?きっと、彼ならうまくやってくれるだろう」
「私もそう思いますし、そう願っています」
「ところで君、美空君のように、幼少期から盲目の患者がどれほどいるか知っているかね?」
「先天的、後天的、あるいは事故によるものをあわせて、約8000人ほどかと」
「それは日本だけの話だ。世界に目を向けると、かなりの数になる。君もわかっていると思うが何より難しいのが『心のリハビリ』だ。美空君はその成功例と言って良い。彼女は事故で両親を亡くしたうえに目も見えなくなった。しかし、それを乗り越えて、歩けるようになったばかりか、『杖』を開発してビジネスまで展開した。それを間近で見た君にぜひ、論文の発表をしてきてもらいたいのだ」
「論文ですか!?ですが、それは彼女の力であって、私の力ではありませんし、それに・・・」
「それに?」
「彼女にとって、今も心のケアが必要なのです。提供者という人が彼女のとても大切なおじさんで、両親と同じように好きだった人なんですよ。その人が亡くなって、あの年頃で普通でいられるはずがありません(!そうか!珍さんってもしかしたら!)」
「しかし、君もいつまでも美空君専属の医師と言うわけには行かないぞ。それに看護師もつけてあるだろう」
「あ(確かに)」
「場所はドイツのデュッセルドルフ。発表は一週間後だが、あさってには向かってもらうから、引き継ぎはやっておくように」
「あさって・・・」
断るすべもなく、院長室を後にした。
(ドイツ・・か。しかも。あさって・・・急だな。ああ、そうか。こっちにいたら、論文に集中できないとふんだんだな。だからか。向こうへ先に行かせておけば論文に集中できる。美空さんにつきたくてもつけないからなあ。なるほど・・・。
でも、美空さん、心配だ。もし彼女がおじさんを支えていた珍さんだったとしたら・・・ん!?待てよ・・目の見えない彼女がどうやって彼のブログを見れた?ああ!看護師か、なるほどな・・・彼女がいれば内容を読み聞かせることができただろうし、コメントも返すこともできた・・・)
「あの・・・すいません。袴田先生でしたよね?」
「あっ、はい、そうです。あなたがたは名古屋から来た方でしたよね。・・・えっと、所長さんでしたね」
「はい・・・私ども、これで失礼しようかと思いまして。本当なら、美空さんの手術が終わるまでとも思いましたが・・・」
「いえ、長くなると思いますし」
「それで先生に少しお話があるのですが・・・」
「なんですか?」
「会社でも、あまり知られてないことなんですが、・・・実は補佐は本社の社長の義理の息子さんでして」
「えっ!?じゃあ、ご家族がいると言うことですね」
「はい・・・だから、この事実を伝えないといけないですし、会社や病院にある彼の遺品をご家族に渡したいと思うのですが・・・」
「そりゃそうですね・・・(でも、このとき、僕はポケットの中の携帯をつかみ、渡すか渡すまいか迷った)」
そして・・・
「大変ですね」と一言だけ言って、携帯をつかんだまま、彼らと別れたのだった。どうしても、この携帯だけは渡す気にはなれなかった。
(社長なら、簡単に彼がここに入院していることくらいわかるはずなのに一度だって来ちゃいない。そんな家族に彼の心を渡せない・・・)
他人のことなのに涙が出てしまった。彼のことを思うと、つらかった。