わたしはたぶん、パートナーが居なくてもひとりで楽しく生きていける。

(ここでの”ひとり”は、幸いなことにわたしにはたくさんの素敵な友だちが居るということが前提条件にある)

 

誰かに本当の意味で寄りかかるということはきっとできないし、誰かにそれをされると負担に思ってしまう。

 

そのくせ、「ひとりで生きていけそう」と言われるのはひどく苦痛なのだ。

身勝手な話である。

だから、そう思われないように適度に寄りかかるし、適度にへりくだる。そうすると相手も甘え、求めてくれる。

そして、それに違和感と疲労感をおぼえながら、過ごしていく。

そうやって、過ごしてきた。

 

どうして、そう思われたくないのか。

それはまだわたしが、”ひとり”を”さみしい”と思っているからかもしれない。

わたしは、何かを求めることも求められることもしたくないのに、求めることに充足を感じるし、求められることに安心をおぼえてしまう。浅ましいな、と思う。

 

いちばんの理想は、「ひとりでも生きていけそうだね」「こっちだってひとりでも大丈夫だけど」「隣に居た方が楽しいよね」と言ってくれることなのかもしれない。かもしれない、だけれど。